第三節 誇り
新しいサッカークラブの名称がセレッソ大阪に決まった。セレッソとはスペイン語で桜を意味するとニュースで知った。(どこの誰かも知らず会ったこともないはずの)小学生の応募が採用されたと聞いて、なんだか特別な気持ちになった。
ぼくの故郷である大阪市大正区千島。そのど真ん中に位置する千島公園。デンと構える日本一の名峰である昭和山。春夏秋冬どのシーズンでも世界で最も美しい景色を見せてくれる小さな山。
二歳のときに千島団地に越してきて以来、昭和山に育てられたといっても過言ではない(そしてなんと言ってもだ。一九七〇年代に誕生した人工の山であるにもかかわらず原始人のお風呂が存在するという類まれなる霊山でもあるのだ)。
特に春が来るとこの山岳地帯は日本有数の桜の聖地となる。だから日本を代表する国花でもあるこの桜が愛すべきサッカークラブの名前として一生涯残っていくだなんて、これほど嬉しい出来事が他にあるだろうか。
そうしみじみ思いながら手帳に書いたCEREZOというスペイン語を何度もぼくは目で追い続けた(蛇足のようにつけ加えると、ぼくの応募した名称はカスティーリョだった。スペイン語で城。なんとなく大阪城をイメージしたのだけど。凡庸な大人の面白くもなんともない ― クソつまらない ― アイデアなんてたかだかその程度だ)。
チーム名と同様に、サッカークラブ、もっと言うとJリーグ各クラブの応援にも「地域性」というものがある。豊かな特性とクラブ母体が持っているDNAがスタジアムでの応援にも色濃く表現されていく(この頃のぼくはサポーターの行動様式や応援というものに深く傾倒していた)。
では翻って大阪の文化、大阪人の気質で考えてみるとどうなのだろう。
ひとことで表すなら祭りだ。大阪は商人の街であり商店街に欠かせない祭りに誇りを持ち、応援にも強く影響を及ぼすのが当たり前といえば当たり前なのだ(もし信じられないのなら天神祭や岸和田市のだんじり祭を見てみればいい。それが如実にわかるだろうから)。
ただポジティブなものばかりでもない。Jリーグ元年という痛みを味わったぼくの身体には数え切れないほどの傷跡も刻み込まれていた。
サポーターという生き方が、ただ楽しめりゃいい、なんてそんな甘いものではないのだとも思い知らされたし(Vゴールなんて決められた日なんて、このまま心臓が止まるのではないかと思うくらい呼吸が荒くなっていくのがわかったりしたのだから)。
もちろん、開幕した当初は、実力もないくせしてサポーターとして生きている自分に酔っていたし、偉そうに「選手とともに戦うぞ」なんて言っているうちに自分を見失っていることにすら気づけなくなっていた。
要するにぼくは、どうでもいいくらい自信過剰になっていたのだ。今思い出しても恥ずかしくて汗が吹き出てしまうばかり。
サポーターが盛りあがれば自然とスタジアム全体が盛りあがって、その声を聞いて選手は勝手に走るものだなんて当たり前のように考えたりしていた。思い違いもいいところだった。
そりゃ当然だろう。サッカーのすべては人で構成されているのだから。なにもかもが生き物の成すことなのだから。人と人が交わって生まれていくのだから。すべてがすべて思いどおりに進むわけがない。
ぼくが声を送る選手たちはサッカーという物語を創り出す人であり、けっして機械などではないのだ(オーバーヘッドキックで一回転して着地できないし、スパイクの裏同士で人を遠くまで飛ばすこともできないし、ゴールネットを突き破るようなシュートもそうそう簡単には打てないのが実情だ)。
ぼくと同様に生身の人間なのだから、時計の短針が二回転する間に全力で一二、三キロメートルも走ったら身体が動かなくなるのは至極当然なのだ。
速くなる脈拍。暴れ狂う心臓の鼓動。数センチ先のボールにすら足が出なくなる自分への絶望。すぐにでもここで倒れこみたいという衝動。
応援とは、その届くか届かないかの選手の心と”ひと足”に力を与えるものなのだ。試合を重ねるごとに、ぼくはそう思うようになっていった。
だから、そんな選手たちのために同じ場所にいて、いつも彼らの背中を後押しするのがサポーターなのだとぼくはようやく思いはじめていた。選手たちが動けなくなったのなら喜んで自分の肩を差し出す、ただそれだけのことだった。
走り疲れた彼らに向けて、愛あるメッセージを送り続けること。少なくともこの一年でぼくは学び、そして人として生きる意味なんてものを知った。
こういう経験が一生なければ、いつまでも応援のための応援を繰り返していたことだろう。そんな過去をふと思い出し、恐ろしくなって身震いした。
学校や会社や家庭環境だけでは得ることのできないサポーターライフという命の欠片。少しずつでもいいから着実に手に入れようともがきながらぼくは生きてきて、そして、今も生きている。
あと一歩、いや、あと半歩分でいい。気力を振り絞り戦う選手のために、ぼくは声の断片をかき集め、大きくして、そして発する。それがサポーターという生き物の踏み外してはならない常道なおだとぼくは信じている。その結晶の末に生み出されるのが応援という賜物なのだ。
だから、サポーターの応援には意味がない、なんてぼくはけっして思わないしサッカーの試合に応援は不可欠だとも思っている。コールリーダーはそんな応援という宝の原石を切断・研削・研磨していく存在なのだ。まさしく職人と呼ぶに相応しいのかもしれない。
そんな、こっ恥ずかしい感情をチラチラと垣間見せながら開幕までの時間をぼくは過ごしていた。ただし、Jリーグ昇格を目指す我がクラブには、もちろんいいことばかりが続いたわけでもなかった。
最たるものは、年末の天皇杯関西予選での完敗だ。この試合によってセレッソ大阪の前途が多難であることも深く印象づけられてしまった(ハーフタイムにトイレに入ったら、運良くレジェンドのネルソン吉村と隣り合わせになった。監督からしたらこんな悪ガキが横にいるのだから運が悪いとしか言いようがないのだけれど)。
それでも、第三回ジャパンフットボールリーグ、JFLの足音がひたひたと近づいてくる気配を感じつつ、じつにたくさんの準備でぼくの毎日は溢れ返っていた。
一同に介した北新地で初めてのミーティングをおこなってからというもの、リトルの言いつけどおり、応援という部分においてはぼくが自然と仕切っていくようになっていた(北新地とは呼んでいいか憚られる殺風景な雑居ビルだったけどセレッソ大阪サポーターの門出としては最高の場所だ。そう思う反面、なんだか急激に大人の階段を登っているような気さえした。急に登るのも急に降りるのも身体にはよくない。それをあだち充の青春マンガから嫌というほど教わってきた)。
ちぎっては投げ、ちぎっては投げ、と持ち込まれる応援歌。その場のノリのまま即興で歌われる応援歌。矢継ぎ早に試合の構成を考えながら応援歌を当て込んでいくという重要なお仕事が目の前に横たわっている。
そんなとき、あるサポーターから持ち込まれたひとつの応援歌がなにかを一変させる空気を醸し出した。
ミーティングルーム内に録音されたテープからの歌声が流れる。何度も繰り返し再生されるたびに、眉間にシワが寄って明らかに拒絶感を漂わせるメンバーも増えている。だけど大丈夫だ。時間の問題だ。そのうちこの歌に魅了されていくはずだ。ぼくのリトルはそう言っていた。
『大阪の街の誇り みんなの人気者 勝利を目指して走れ ララ セレッソ大阪 アモーレ アモーレ アモーレ ミア セレッソ大阪』
ビートルズの名曲、オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダのテンポ。
特に、大阪の街の誇り、の部分は、セレッソ大阪とともに生きると決めた人間にとってもっとも大事な部分だ。大阪市のサッカークラブに対する熱い思いが刻み込まれている。
だからタイトルにはそのまま、誇り、という言葉を選択した(そのあとに続く、みんなの人気者、という誰かの絶妙なワードチョイス。少しどころではないとまどいを隠せない自分がいたのは疑いようもなかった。全体を通してこの部分にだけは相当な違和感を感じたけど、歌って歌ってまた歌って、なんとかその違和感を克服することにぼくは成功した)。
表現しがたい言葉の矢。歌うたびにぼくの心臓に突き刺さるような気がした。大阪人らしさとはなにか。人気者としてのプライドとは一体なんなのだろうか。ぼくはこの、誇り、という名の応援歌へ愛情を注がずにはいられなくなっていた。所詮、応援歌なんてそんなものだ。
たとえ瞬間的に疑問符がついたとしても、時間が経過するにつれて深みを増していくことだってあるのだ。もしかしたらそれは現存するサポーターが全員あの世に逝った後なのかもしれない。ファン・ヴィンセント・ゴッホの絵画のように。
ある夜、いつものようにぼくはワンコと散歩に出かけた。まだ大した仕事もしていないし、インパクトすら残せていないこの誇り。だけど、間違い無くセレッソ大阪にとっての重要な応援歌になっていくはずだと、ぼくはそう確信していた。
昭和山を練り歩きながら頭のなかでクラブの行く末を描いていると、いつの間にかテンポ良く大きな声で歌っていた。
だけどあまりにも歌う場所が悪かった。表高三三メートルの昭和山山頂は思いのほか声が響く。立ち並ぶ団地のやまびこ効果も伴ってか、ぼくの歌声はさらに反響していった。
一号棟六階の住人が窓を大きく開けながらこちらに向かってなにかを叫んでいる。おじさんの高音につられたのか、散歩中のどこかの犬の遠吠えが耳に届いてくる。声は声を呼ぶ。応援の連鎖とはこういうことなのか。叱られているにもかかわらず、ぼくはほくそ笑まずにはいられなかった。
そうだ。
ぼくは声を挙げたのだ。
セレッソ大阪サポーターとして心の声を挙げたのだ。
多くの桜色のサポーターとともに歌うための声を挙げたのだ。
ピッチを走り続ける選手たちのための声を挙げたのだ。
まだまだか細いぼくの心の声はきっとここから連鎖していくはずだ。応援歌は奏となり、人から人へ、サポーターからサポーターへと伝播していく。そうして大きなうねりとなって、いつかきっと大阪中に轟き渡るのだろう。
一号棟六階の一室から大声を発したおじさんに、ぼくの心の声は充分に伝わっただろうか。いつかはおじさんもセレッソ大阪サポーターとなって、このけたたましいほどの叫び声をスタジアムの声援に変えていけるだろうか。
きっとそうだ。そういうことにしておこう。今はそれでいいじゃないか。
呼吸を整えながらぼくは首が痛くなるくらい空を見上げた。見事なまでの星月夜だった。糸杉はないけれど、たくさんの星と大きな三日月が大阪の寒空を鈍く照らしていた。
この空もこの歌声もいつか過去になるのかな。たとえそうだとしても常に誇りは感じていたい。かじかむ手を擦りながらひとりごちた(案の定だけどこのあとしっかりと風邪を引いた)。