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第59回子規顕彰全国俳句大会
みなさま、こんにちは。
ここ数日涼しかったのですが、今日は暑いです。まるで初夏のよう。
さて、このたび第59回子規顕彰全国俳句大会で入選をいただきました。
選者の皆さま並びに事務局の皆さまに厚く御礼申し上げます。
総応募数は7,740句でした。
入選:稲畑廣太郎選
花ふぶき風のかたちを描きけり
高浜虚子が提唱した「花鳥風詠」を目指しました。
子規と虚子の関係は改めてここで云々する必要はないでしょう。
実家の父が「一幅の絵の如く、情景が浮かんできて良い」というコメントを寄せてくれました。嬉しいですね。俳句や短歌といった短詩型文学の映像喚起力のおかげだと思います。不思議な力です。
なお、選者の稲畑先生は曾祖父に高浜虚子がいます。
私は虚子の書物を通して俳句を学びました。
今日のnoteでは、拙句よりも虚子の思想を多くの人に知っていただけたら…と思います。
以下、高浜虚子『立子へ抄:虚子より娘へのことば』より
花鳥風詠の俳句はその時代の思想に煩わさるることなく超然として世塵の外に立っている。
俳句はもとより詩ではある。大いなる文芸的使命を持っておる。しかしそれ以外に、花鳥風月に親炙してそこに安住の世界を見出すという、他の文学にない一つの宗教的使命もある。
以下、高浜虚子『俳句への道』より
言葉の複雑ということも、場合によっては効果的であるが、しかし多くの場合は言葉の単純ということが大事なことである。省略に省略を重ねて一塵をとどめないところに到ることが極意である。(中略)
年の浅い人は平易な句はもの足りなく思う。その奥にひそむ主観を解し得ないからである。それらの人もだんだん修練を積んでくればおのずからそれがわかって来るのである。(中略)
感懐はどこまでも深く、どこまでも複雑であってよいのだが、それを現す事実はなるべく単純な、平明なものがよい。これが客観描写の極意である。
主観の匂い、主観の光り、というものはその単純な平明な描写の中から出て来るのである。
深は新なり
(中略)
徒らに左眄右顧確信なき徒輩たる勿れ
平凡と見える客観の写生の底に作者の主観の火を見得る人のみが句を善解する人であると思う。
平明にして余韻ある句
俳句は寡言の詩である。言い尽さざる詩である。