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みたらし団子ちゃんは、性欲が強め。|曖昧で文学的な最高純度の大学生活

大学に行くといろんな奴がいる。

訳もわからず雑草を掻き集めるひと、ひたすら淫粉を振り撒くひと、歌舞伎町のゴミになったひと。

誰もが何かを求めて生きていて、でもその正体は一生分かりそうもない。

そして僕でさえも、観察者では終われない。

ずっと何かを求めているのかもしれない。


『相互作用の社会学』という選択授業がある。僕は大学2年からこの授業を取ったんだけど、やけに大きな講堂には、3年生がほとんど、ちらちらと4年生もいた。

いつも1人で、窓際の前の方の席に座り、気弱そうな教授がボソボソと喋る声を熱心に聞いていた。

僕は、ミツヤや羽鳥が取らなそうな授業をあえて取った。たまには、仲のいい友人と離れることも大事だ。新しい出会いがあるかもしれないから。

そして案の定、新しい出会いはあった。


ある日、僕は遅れて教室に入った。特に理由はないが、今日は遅刻する気分だったのだ。ただただ、遅れた。

だからその日は前の方の席には座らず、僕は一番後ろの席に腰をかけた。

すぐ横にはショートカットがよく似合う女子学生が背筋を伸ばして座っていた。襟足からするっと白い首が伸びていて、眼鏡が色っぽかった。

彼女は何やら熱心にノートを取っているようだった。真面目だな、遅れた分をちょっと見せてもらうと思い、そのノートを覗き込んでみた。

すると、そこにはやけに写実的なみたらし団子が描かれていた。

鉛筆一本で再現されたツヤ感、モチモチ感、焦げ付き。

それがあまりにも忠実に描かれていて、まるで写真のように見えた。

僕は彼女に話しかけなかった。話しかけてはいけないと思った。彼女の芯の通った背筋は他者からの介入を跳ね返すかのようなオーラを放っていて、僕は話しかけることができなかったのだ。



生活のリズムを意図的に乱すことは、新たな歪みを生み出すことだ。その歪みが素敵なものになるかどうかは、運によるものだ。

歪みを愛し、偶然の出会いを望めば、新たな波が打ち始める。

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