これからの日本で必要なのはKY力🌀
「東京都新規感染者数2001人!」
緊急事態宣言再発令から早一週間。感染者は減るどころか寧ろ増えてますから、一体なんのための再発令だか良くわかりません。
単なる飲食店・旅行産業イジメにしかなってませんし、平日の満員電車は継続。さも「緊急事態宣言など存在しない」かのように日中の行事が行われております。
日本トレンドリサーチの調査では緊急事態宣言再発令の要望が7割もあったのに、そんな世論など無かったかのように通勤が続けられています。
方や「感染は怖い」と言いながら通勤している人を見ると「じゃあお前はなんで出勤をしているのですか?」と言いたくなります。
少なくとも日本では良くも悪くも個々の判断に任せられており、私権の制限は飲食業や観光業以外にはされていないわけです。出勤7割減も「お願い」ベースなのであり、出勤100%のままの企業に対して罰則があるわけでもありません。
個々人ベースで見ても、感染リスクを受け入れて出来るだけいつも通りに過ごすか、感染リスクを避けるために削れる外出は削るかは、各々の自由意志に委ねられているわけですね。
これは「上司がテレワーク認めてくれないから出勤せざるを得ないから出勤してるのに」とか「感染怖いから可能な限り休日は外出自粛してるのに」と考えてる人にとっては、堪ったもんじゃないでしょう。
感染リスクを受け入れ、出来るだけいつも通りに過ごそうとしている人は、概ね何かしらのポリシーがあるか、いつも通りに過ごさないと気がおかしくなる自分を知っているか、はたまた両方かっていう感じです。
今日も川崎に外出している私ですが、朝のカフェは意外と席で寝てるオバちゃんがいたりとか、適度にマスクしながら会話してる若者が普通にいます。まぁ若者は重症化し辛いということもあって、比較的感染リスクは受け入れやすいのかなとは思いますが、方や40歳も過ぎた小父さんが「でも感染怖いもんね」とか言いながらオフィスに出勤してきてたら、良い歳して何故テレワークも出来ないんだと言いたくなりますね。
🗾察し文化が感染を拡大させる:空気読みは有事に弱い
ともあれ緊急事態宣言再発令から一週間。事態は悪化しかしておりません。
これでは緊急事態宣言なんてやらずに経済を回すことに専念した方がマシだったと言うもの。
内容が飲食店イジメにしかなっていないのですから、これじゃ余計な宣言などしない方が良かったと言うもの。まぁ小池百合子に押され負けした上での宣言なんでしょうけど、一番感染を拡散させているであろう会社員による平日の移動が制限されないのですから、それは感染も広がろうというもの。
かねてから「テレワークも一過性で終わる」と言っていた私ですが、一度実施した企業の7割もが現在も続いてるだけマシなのかもしれません。
実のところ日本以外で意外にテレワークが上手く行ってない国があります。
どこだと思います?
フランスです。フランスは実はテレワークがあんまり上手く行ってないのでして、着地点としては「週2日までがテレワーク」ってところに落ち着いたそうです。それ以上になると労働生産性が落ちるということなのですが、なるほど確かにフランスは欧州の中でも、察しの文化が強い方なのかもしれません。主にパリなんだろうけども。
察しの文化が息付いている国では、確かにテレワークは浸透し辛いでしょうね。特に日本は「場の空気」が意思決定に大きな力を持ってますから、出社しないことによる「空気感の読めなさ」は、ある種のストレスになるわけです。
取り分け、ヤング層に比べてミドル層以上になると「今までこれでやってこれたんだ!」みたいな感情が働くので、いざ「緊急事態になりました。さぁテレワークをやってください!」と言われても直ぐには変われないのです。
📮ブルシット・ジョブをやってる感覚に・・・
ブルシット・ジョブっていうのは「クソどうでも良い仕事」という意味ですが、ネットの意見では「テレワークでできること=ブルシット・ジョブ」なんて意見が見受けられますね。
これはテレワークをやった人の中でも迷うことがあるテーマらしく、いざテレワークをしてみた時に「あれ、実は私の仕事ってどうでも良い仕事やったの?」なんて考えてしまうことがあるようです。
実はね、出社をずっとしてると表面化し辛いんですよ。
仕事のための仕事、会議のための会議。でも暇な自分より忙しく動き回ってる自分の方がみんな好きでしょ?
多分ただテレワークがスタートするだけなら、特に気にしなかったことかもしれません。
ですが、どんなに頑張っても「人々の生活を支えるために絶対出勤しないといけない人」は存在します。パンデミックに伴って「エッセンシャルワーカー」という言葉が知れ渡るようになりました。
人々の生活の為に無くてはならない仕事、エッセンシャルワーク。世の中は不条理なもので、人々の生活に必要なエッセンシャルワーカーの給料が安いのに、無くても困る人のいないブルシットワークばかりする人の給料が高かったりするわけです。
平時なら表面化しなかったことも、有事になると、こうした問題が表面化してしまうのです。
尤も、エッセンシャルワークの全てがテレワークできないわけではありません。ITの仕事についていえば、プログラムの仕事は遠隔でもできるし、なんならサーバー監視の仕事だって在宅ワークはできるでしょう。経理だって会社の存続に関わる部分ですから、週五と言わずとも、二,三くらいは在宅ワークしても良いんじゃないですかね。
「社会(または会社)維持の為に必要な仕事だけど、必ずしも週五で出勤しないといけないわけでもない仕事」ってのもあるはずで、一度落ち着いて仕事の切り分けをしてみると良いと思うのですけどね。
🌀空気を読まずに自己をしっかり持つことが肝要だ
「残業多い人は残業時間を減らすには何をしたら考えてね」
週一で行われるミーティングで月末に近付くと必ず聞こえるこのセリフ。
実際には当のセリフさえ形式上のものと化しているのですが、もう週一のミーティングそのものが無駄だと思ったんで、先輩社員(議長?)には何度か言ったことがあります。
「この定例会議を無くせば残業時間が最大2時間減らせます!」とね。
「情報共有のための会議だから・・・」
「そんなんSlackでも導入してポンっとメッセージ送れば一発でしょ。この会議が一番の無駄!」
「いや、週一でやるって決まりだから・・・」
「ならその決まりを変えれば良いじゃん」
てな具合で、事ある毎に反発してたのは確かですね。辞める時まで反発したりもしましたが、それは書き出すと長くなるんで、こちらを読んでいただけると幸いです。
まぁね、実を言うと、時の課長は寧ろ私に好意的だったし、仲悪かったの係長の方なんだけど、記事のタイトルでインパクトを付けるには課長の方がね(おい)。
私自身が保守的なものを苦手としているのもあって、大バトルして辞めたのだけど、別に会社が嫌いだったというのは無いです。辞めたのも私生活の激務が祟ったということもあり、ホント私の体力的な事情で辞めたので。
ただ一つ、ただ一つだけ言えることは、抗うところでは抗いましたよ。
今、パンデミックが起きているこの状況の中で、私は東京ではなく、あきる野へ通勤しているから気持ち的には余裕はあります。川崎勤務時同様、電車は30分に1本しかないけど(笑)
一方、感染リスクが高まっているこの時期に満員電車に乗るのは怖いという人の意見も、間違ったものではありません。
ただ「感染リスクが怖いならなんで満員電車出勤を続けるのですか?」と問いたくなることはありますね。
「会社がテレワーク認めてくれないから出勤してるんだよ!」
こう言いたくなる人もいるでしょう。ただ、それならテレワークを認めてもらえるよう、会社と交渉すれば良いだけの話です。力士と違い、労働者には労基関連の法律で守られているのですから、テレワークが無理でも時短勤務やフレックスの交渉くらいはできるでしょう。
過去に飲食店が自粛警察から投石を受けるなどの悪質な嫌がらせを受ける中で、サラリーマンの通勤だけは不思議と咎められることは無いんですよね。
これは飲食店=自主的に休業できる⇔サラリーマン=自主的には休めない⇨よって仕方がないという図式があると思うのですが、ある意味、飲食店が自粛警察の被害を受け、サラリーマンの通勤が許されてるのは、一種の日本的な空気とも言えるでしょう。
そのサラリーマンも会社に入ればまた、会社特有の同調圧力(空気)があるわけで、言うなれば「出勤しなければいけない会社の同調圧力」に染まっていれば、自分は感染が怖くても感染を拡大させることの免罪符を得られるわけです。
しかし、どう言い繕っても、今日会社に出勤することを決めたのは、一人一人の会社員です。どう「会社がテレワークや時短勤務を認めてくれない」と言おうが、そんな会社を選んだのもまた自分自身。
私は満員電車が嫌だから東京の会社への応募は止め、あきる野で働いています。確かに東京勤務に比べると給料安いですが、あきる野で働くことを決めたのは私自身です。もちろん出勤を続けているのも客先の方針だけでそうしてるわけじゃありません。感染リスクを受け入れた上で、できるだけの日常を過ごすのが私の選んだ選択だったということ。だから緊急事態宣言再発令のその日に京都旅行へ向かったのもまた、私自身が決めたことです。
同調圧力(空気)に従うと言えば一見免罪符のようにも見えますが、同調圧力に染まることを選んだのもまた自分自身であると考えましょう。
KYとは「空気を読めない」の略で、言わば「みんなと同じに出来ない人」を非難する言葉です。もしかしたら今は死語かもしれません。
しかし、空気を読むばかり、上司の顔色を伺うばかりでは、自己の考えが形成されません。
「会社がテレワークを認めてくれない、時短勤務させてくれない」
それはそうなのかも知れません。
でも、できることは全部試しましたか?
何も試さず交渉もせず満員通勤を続けているのなら、同調圧力に染まって満員電車通勤を続けているのは他でもない自分自身なのだということ意識しましょう。有事の中でこそ、同調圧力に染まるのではなく、自分自身は一体何をしたいのかを意識することが重要だという事を、心の片隅に置いてくださいね。