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結局虐められっ子の救いは報復しかない

「いじめるアイツが悪いのか、いじめられた僕が悪いのか?」
何となく主人公がラスボスになりそうな気がしないでもないタイトルの漫画ですが、虐めを受けた身から見ると、主人公に共感することも多いタイトルです。

虐めを受けた身から言うのもなんですが、虐めを根絶することは不可能であり、また、虐めというのは程度にも大きく差があります。
不幸中の幸いと言うべきか、私は高校生活では「身体的暴力を受ける虐め」には遭わずに済みました。
尤も、集団から無視されたり、聞こえるように悪口を言われるのは、中高生時代と、川崎勤務時代にありましたね。
また、身体的暴力を伴うものについては、埼玉の工場勤務や佐川勤務時代に結構体験しています。

振返ると、私は遠回しに言って、関東には報復したい人間の数というのは、軽く3桁はいると思います。主に埼玉と東京・川崎にそういう類の人間がおり、結局は誰一人にも報復をすることなく、関西に移住しております。それは私が臆病だったからです。

しかし、世の中には報復せずにはいられない人間も必ず存在します。
それらの人間は「自分の人生の全てを捧げて」でも報復しようとするので、努力も厭わない人間がいます。

赤司良治同窓会爆破未遂事件は結構有名なんじゃないでしょうか。
この事件の計画書は一度見てみたいのですが(小説風らしいので読み物としても価値があるかも知れません)、この時の赤司良治は、自分ごと同級生を皆殺しにしようとしたわけです。

これは虐められっ子の救いの手段が報復であることを見事に表わしており、今回の漫画はそういう「虐められっ子の復讐劇」となる漫画です。

同窓会開催は個人情報回収のための罠

さて、物語は虐められっ子だった主人公・相沢の同級生の同窓会が行われる場面からスタートします。表向きの幹事はクラスメートだった女性(冒頭の人物)がやってるんですが、これは相沢の仕組んだことでした。
この辺、何故か赤司良治同窓会爆破事件との共通性を感じます。

この女性、相沢に何かの経由(恐らく作中版のTwitterかインスタ)で身元を特定され、それが原因で相沢の要求に従わざるを得ないことになりました。

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こうして同窓会は開催されたわけですが、思えば何故同窓会を開催したのでしょうか。これは推察なんですが、同窓会を開催させることで、集まったメンバーの個人情報が(極めて合法的に)手に入るんですよね。
そこから、かつての虐め主犯格であった鈴木の個人情報(特に勤務先)の窃取に成功したと思われます。

虐められる側にも原因がある

これは虐めっ子だった鈴木が相沢に言う言葉です。
この言葉に対して「君の愛する人が虐めに遭ってても同じことを言えるか」と訊き返します。
「そんな出来損ない俺が愛するわけがない」というのが鈴木の答えです。

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そして鈴木の娘、詩織もまた、虐めを受けています。
なんで虐めを受けるようになったかの経緯は今読んだ範囲(7話まで)だと分かるません。
ただ分かるのは、相沢も詩織の虐めに加担しているということです。

「虐められる側にも原因があるんだよ」

相沢から見ると詩織は「自分を激しく虐めた男の娘」という〖虐める原因〗があります。
いずれ鈴木には相沢から引導を渡されるでしょうが、相沢もまた、いずれ詩織から引導を渡されることになりそうな気もします。

「もう20年も前」と「たった20年前」

虐めと言うのは、加害者と被害者で時間の流れ方が違います。
加害者からすると「アイツをからかっていたのは20年も前」ですが、被害者からすれば「たった20年前」です。

虐めっ子だった人間は大抵、大人になると、加齢に合わせて精神年齢も心の年齢も歳を重ねます。
一方、虐められた側のは、立場に合わせて表面的な精神年齢は重ねるも、心の奥底の時間は「そこで止まったまま」になります。

20年前という時間は、虐められっ子について言えば「つい昨日」です。
いや、人によっては「3分前」かもしれません。当時の記憶を3分前の事のように思い出すのは造作もないことです。
勿論、受けた虐めの程度によっては、この辺は変化するでしょうが、相沢や詩織くらい激しい虐めに遭うと、それは20年経とうが40年経とうが「何一つ忘れてない」でしょうね。

復讐することで傷付くも復讐でしか救われない

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詩織の虐めを傍観している相沢が複雑な心境を持ってる様子の一コマです。
恐らく自分を虐めた男の愛娘が虐められていることの喜びと、自分が虐められた時の記憶のフラッシュバックによって、拳が震えているのではないかと思います。

虐めを受けた人間が何によって救われるか。
それは幾つかのパターンがあると思いますが、余程運が良い人を除き、救われる方法なんて金か破滅か報復か。この3つしか無いのです。

運が良い人は自分を理解し、受け止めてくれる人が現れて、幸福への道を歩んだ人もいるかも知れません。
しかし、多くの虐め被害者(特に男性被害者)は、幸福なんて望んでもいないでしょう。私自身、生きてて幸福を感じたことはないし、幸福になりたいと思ったこともないですね。

まぁ、私は埼玉と川崎に仕返ししたい人間なんていっぱいいるのですが、言うて関西に出て行ってしまったので、救いの手段というわけではないですけども、虐めを受けた後の自助の一手として、故郷を捨てるという選択も良いのかも知れませんね。

結局、京都に移住した自分は埼玉や川崎の人間たちとの接点は(少なくともオフライン上では)0%に等しいでしょうから。

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センチュリー・大橋
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