崩しとは何なのか?
1.安定しているとは何なのか?
作用反作用の法則と言うものがあり、静止してい物体に力をかけたとき、物体が静止している限り、かけた力と同じ分だけの力を受け取る。
学生の頃に習いましたね?
この時、帰ってくる力を反作用と言いますが、壁から返ってくる反作用に負けないように地面から反力をもらうと安定しますが
壁から返ってくる力と釣り合うような力を出せないと
押した方向とは逆に飛ばされます
実を言うと単純に壁を押すという行為の中にも、かなり緻密な身体の働きがあるんですが、意図的に飛ぼうとしない限り飛ばされませんよね?
実はこれ身体と脳は瞬時に的確に仕事してくれているので飛ばされず壁を押せるんですね。。。
とりあえず、安定とはつり合い
そのように理解した上で次に進みましょう
2.崩しとはズラシ
さて、ここで今回の表題の答えに近いところをサラッと言ってしまいますが、崩しとは心理的もしくは力学的なズラシと考えます。
まず力学的なズラシについて
以下の図は呼吸法(合気上げ)において、受けが取りの腕を抑えて、受けが安定している様子です。
ここで作用と反作用にズレが生じたときの現象を以下に図示します
ともかく作用に対して反作用がずれてきたとき、つり合いが破れ安定できません。
しかし、この崩しは簡単なようで難しく、先ほども少しふれたように人間の脳と身体は非常に優れた修正機能予測機能があり、少々力をずらされたぐらいでは即時対応してきます
特に意図的なものはまず読まれます。
ずらそうともずらそうとも追われてしまいます。
であるので、まず心理的に崩し、このセンサー機能を崩さないと力学的な崩れはそうそう綺麗には表れてくれないのです。
では、心理的に崩すいい方法はないか?僕らはそこで中心帰納をします。
3.いい姿勢悪い姿勢
上の図は非常に単純化したものですが、二人の人間が押し競まんじゅうをしている時の力の働きは非常に複雑で、しかも力の働きの裏にそれを制御する思考も加わりますので、超超複雑系と言えると思います。
こちらがズラそうと思った時、相手もズラされまいと思いますから、中々埒があきません。
ではどうするか?
相手のことを十分に感じた(受け入れた)上で接触から受け取る情報との、自分の中心を基準に安定することを目指します。
すると、相手はこちらの姿勢の変化、心の変化を追い、変化します。
この時、接点の圧力を変えないように努めると、相手はその変わらない接点にすがりつつ、こちらの状態に対応しようとするため、ズレが生じ崩れます(接触から受け取る情報と視覚やその他の情報とのズレ)
そして、こちらは無理に崩そうとせず安定することを目指すので、安定します。
このことを無元塾では「いい姿勢悪い姿勢」と言います。
4.対峙してれば合気である
二人の人間が対峙している。実はこれだけで、「合気」と言う状態は起きています。
なぜならば対峙している二人の間に反応のし合いがあるからです。
つまり、崩す崩されたなどの結果によらず、「合気」はそこにあり、「合気」とはすなわち「関係性」と言えると思います。
「関係性」の中でどうあるか?次第で結果は変わり、武術として望ましいのは相手の崩れでありますが、相手の嫌がる結果をイメージするとなかなかうまくいきません。
例えば
お互いがお互いに反応しあってる中で、
「崩そう!」
では
「崩れまい!」
と反応されてしまいます。
これは本当にタイミングばっちりぶつかることを協力しあったのです、即ちこれも合気です。
そこで、
「私はあなたのことを受け入れました!しかし、我が道を行きます」
と言う心境になります。すると
「え?受け入れたのに我が道に行くの?え?どこ行くの?え?え?」
と崩れていきます。こちらは崩そうとしてないので、「崩れまい」と言う反応が起きづらく、しかし相手はこちらの変化を追ってきてくれるのに対し、こちらは安定した姿勢を目指すので
相対的に
「いい姿勢悪い姿勢」
になります。この「いい姿勢悪い姿勢」も両者の脳が協力し合って作り上げた関係です、即ちこれもまた合気なのです。
また、前回の記事を踏まえた話をすると、
崩そうという一つの目的をもとに手首の角度をこう変えたら、相手はこう反応してくるから、こう返す。みたいな手続き的な方法では上手くいかない。
なぜなら、一つの脳にとって、二つ以上の脳の関係性から生じるものは計算不能なものだからです。
全体を観た上で関係性の中での自己の在り方だけを気にすると、対立関係が生じないので、相手が協力してくれます。
一つの脳にとって計算不能な非計算的な働きが生じ、辻褄は後から合うんだと思います。(後からは解析できる。)
5.おまけ。。。無対立,相抜け
さて、ここからは僕は未体験ゾーンなので、想像のみで書くんですが、もしお互いに中心帰納をやったらどうなるんだろうか?
と言う話を書きます。
ちなみに先生と私だと、先生の技のほうがかかります。
これは中心帰納の精度、練度の問題になります。
また、これは修行途中だと、中心帰納と言いつつ、少し倒そうとか、あるいは崩れまいとか(崩れまいと中心帰納のいい姿勢を取るはまたちょっと違う)そういう雑念がまじり、100パーセント中心帰納と言うのはやはりとても難しいのです。
ではここに100パーセント中心帰納を成しうる達人が二人いて、剣でも持って仕合となった時どうなるか?
シミュレーションしてみましょう。
お互いににらみ
お互いに受け入れ
お互いに我が道を行ったとき
剣は交わらず、お互いに抜けていくのでないか?
まるで、あの伝説の業
「相抜け」のように
北斗の拳だと無想転生っていわれてますね💦
いつかそんな境地に至ってみたいものです。