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3000円ではじまった、セメントプロデュースデザイン。

noteで書くことになりました。

大学卒業後最初に入った会社は企画制作会社。
カタログ制作や雑誌編集や店舗の企画など色々していて、
その後転職して大手広告代理店の下請けの広告制作するプロダクションに入った。

当時大手の広告代理店からの仕事が全てで、
言ってみれば、生きるも死ぬも代理店次第。
でも普段見ているような大きな会社の大きな広告や
大きな仕事をいくつもデザインしてた。

で、その状況をもっと色々やっていこうと、
先輩たちが社内でベンチャーチームを作って商品をつくろうと
色々と進めてました。が、成果と会社の判断でその事業が凍結。

そんなきっかけに先輩たちが大量に辞めてしまった。。。
デザイナーが思う生き方もよく分かる。会社が言うこともよく分かる。
僕はそこの社長の考えに直に触れる部署にいたので
上手く連携できる事業にならないか色々と話しをしていたけれど
当時はなかなか上手く説得もできなかった。

で、結局はその「新ジャンルへ挑戦する」部署は無くなった。
でいつもの仕事に戻ってきちんと居れば、いつもどおりの
そこそこの給与が貰えて、ボーナスもそこそこ貰えていた。

親から見れば「きちんとしたサラリーマン」としての
人生を歩んでいたのだろうなと思う。

が、28歳の僕はアホだったので人生の算数ができなかった(笑
今までの様な決まった受注仕事だけでなく、
自分の力をデザイナーと試していきたかった。
自分たちから発信していけるクリエイティブチーム運営できないだろうか。
という思いがより強まってしまった。
(この時点で相当理想だけが先行してますが)

でまあ、とにかくやってみようと。
その時考えていたのは、親父も先輩たちも大体3000万円くらいの
家やマンション買って人生終えているってこと。
ってことは最悪3000万円くらいの借金背負っても
この国で仕事を選ばなければ何とか頑張って働けば返せるんじゃないかなと。
(この時点で相当見立てが甘いのですが)

ってなバカ決断の元、実家に帰ってオヤジに話したら「がんばれよ」と。
で、オカンに宣言したら・・・
「お前に何ができるねん!サラリーマンやっときゃよかったのに」と。
(オヤジが自営業で過去上手くいかなかった経験もあってのことかなと)

で、まあ始まったわけです。

立ち上げ当初は本当にお金がなかった。
口座に3000円しかなかったくらいです(笑)
実家の4畳半で3000円が僕のCEMENT PRODUCE DESIGNの始まり。

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