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25/02/24 書籍と火加減、ダブルの奴隷

昨年から始めた「インプット奴隷合宿」。月1回、3連休をとって、引きこもって本を読む時間をとっています。

今月は2/22-24の3日間。これまでスパラクーアとか鳥貴族とかソラマチとか、いろんなところで読書をして、先月は初めてブックカフェなんかも行っちゃって。今月はどうしようかな〜と思っていた。

立ち止まって考えて、私は原点に帰る。

私って、めっちゃ家好きだわ。

家が好きだから読書をしていると言っても過言じゃない。そもそも私読書家じゃないし、堂々と家にいる言い訳が欲しくて本を読み始めた気すらする。仕事で出張のときだって「ついでに自分で1泊しよ〜」と宿を探しはするが、結局「いや…絶対疲れてるし家でゆっくりしたいな」と取りやめることばかりだ。

恐れず言おう。私は外に出たくないし他人と接したくない。

そんなわけで今月は3日間出ないと決め込む。散歩くらいは行くけれど。

代わりに(代わりか?)おでんを煮ることにした。本を読んでいる間に料理が完成したら嬉しいじゃん。前日から下拵えをして、カルディでワインも買って、煮る&読むをしながら過ごす。

想像していたのは、出汁のいい香りを漂わせながらの読書。たまに煮え具合を見に行って、台所のスツールで文庫本を広げるのもいいだろう。いよいよ煮詰まってきた夕方くらいになれば、ちょうど1冊読み終わる。本を閉じて、お腹も空いて、夜は配信のライブ(これもインプットだもん)なんか見ながらおでんとワインを開けたりして。これは理想。あくまで理想。

現実はもうちょっと忙しい。そもそも火を扱っているので完全には目を離せない。キッチンで読書するのは長時間だと首が痛いし、火加減と本と行き来すると、「あ?このページ読むの3回目では?」みたいなことが何度も起こる。そして漂うのはお出汁のいい香りより、圧倒的なパワーを持つ牛すじ臭である。

昔、『美味しんぼ』で山岡が捨て犬を拾ってきて、牛すじを煮てエサとして与える話があった。牛すじを煮る過程は、周りからクサいクサいの大合唱。しかしきちんと調理すればあんなにクサそうだった牛すじも、トロリと上品い仕上がってみんなが驚く、みたいなあらすじだったと思う。

マンガとしては、周りが牛すじの素晴らしさを知らずクサくて外道な犬のエサだと思っていることを指摘するような構成だったが、大人になって改めて思うと、この香りをオフィス横の給湯室から発していると思うとかなりヤベェ社員だ。火加減も見に行かないといけないし。牛すじ見ながら本を読むのすら難しいのに、見積もりや企画書作成、記事制作なんかもってのほかだろ。

なかなか読書に集中できないので、うっかり山岡に想いを馳せてしまった。そうやっているうちにおでんも煮えた。牛すじは山岡の言う通りトロリとして美味かった。


はい。今月読んだ本です。

西成活裕『東大の先生!文系の私に超わかりやすく物理を教えてください!』

これはもうええでしょう。昨日も一昨日も執拗に物理に文句を言い続けました。闘いはまだ続きます。応援してください。


岸本佐知子『わからない』

岸本ワールド好きにはたまらん、過去の様々なエッセイを集めた超分厚いやつ。いつものことながら、この方の文章を読んでいると境界が揺らぐ。どこまで建前で、どこから本音なのか。どこまで現実で、どこから妄想なのか。いやもしかしたら全部建前で、全部妄想なのかもしれない。そういうワールドに引き込まれてしまう。私も「一姫、二太郎、三なすび」って思いつきたい。


鈴木大介『貧困と脳』

よく「本当に支援が必要な人は、支援が必要なふるまいをしていない」なんて言うけれど。働かなきゃいけないとき、ピンチをなんとかしなきゃいけないとき、周りがもどかしくなるほど、自分は何もアクションせず、ただ座して破滅を待つような人がいる。そういう人は世間から「やる気がないから」と自己責任論で非難される。でも本当に?っていう、そういう本。筆者自身の体験からの考察、提言の形で書かれているので、非常に受け取りやすく、理解しやすい。主に女性の貧困にスポットが当たっているが、認知症とかにも同じことがいえそうだなと思う。


石原千秋『読者はどこにいるのか』

文章を読む/が読まれるとはどういうことか、いろんな視点から論じる本。小説からの引用&考察が挟まれるので、「おお、こういう視点で読めるのか」というのがわかりやすくてよい。序盤はポスト構造主義の話なんかが出てきて難しいように感じるかもしれないが、『容疑者xの検診』のようなみんなが知っているミステリなんかからも引用があるので、わりととっつきやすいと思う。


さて今月はこんなもん。正直仕事が忙しい。来月も本を読む時間が取れるだろうか。というか、ひとりで家に引きこもる時間がとれるだろうか。

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