『この世界の片隅で』一時保護所(その7)M君のこと ~君がながした涙、これからながす涙、ひとりきりの涙~ ①
2022年から1年弱、児童相談所の一時保護所で勤務していました。
なんらかの家庭の事情で、児童相談所に保護され、最終的な生活の場を決定する間、子供たちが生活するのが一時保護所というところです。
児童保護所に保護される子供たちの数が年々増加していることを気にかけつつも、しかし、一応、教員免許は持っているけれど、児童相談所の一時保護所で働くなど、一度も考えたことがなかった私が、なぜか、天の声に導かれ、勤務することになり、そこでは、私の人生を変えてくれるような、子供たちとの出会い、経験が待っていました。
何回かに分けて、私が生涯忘れないであろう日々を、色褪せないうちに書いておこうと思います。
M君は、保護所に来た時は高校1年生だった。
入所したのが、ちょうど体育の時間の途中であったので、ジャージ姿で、バスケットボールの試合の時から参加した。
髪は角刈りのようになっており、中肉中背で、ほかのどの子たちもそうであったように、緊張した面持ちで、知らない男の子たちとバスケットボールの試合にまじった。
保護所で働きはじめてしばらくして知ったのだが、保護所での子供たちの活動は、学習や、放課後のレクリエーションの時間の活動、体育の時間等、すべての活動において、彼らはほかの子どもたちよりも自分が得意なことを誇示してみせたい、という傾向があった。
M君も例にもれず、初日の、はじめましての子供たちに囲まれるなか、誰よりも速く走り、運動神経の良さをアピールしていた。私はその姿に、入所したばかりで辛いのにそんなに必死になってやらなくても大丈夫なのに、と、M君のことを痛々しく、どことなく不憫に思っていた。ほかの子供たちは、異様に速く走るM君に対し、『こいつ、なかなかやるな』というような目で見ていた。
体育の時間には、水のはいった、手で下げられる大きなウォーターサーバーを体育館に持っていくのだが、体育の時間の前、重いためかどうか、準備したウォーターサーバーをこどもたちは保護所の自分たちがすごしている階から、体育室のある階まで持っていきたがらず、いつも職員が運んでいた。しかし、時には、とても気がきくこどもがいて、そんな子どもたちが入所している間は、いつもその子が運ぶ、ということが慣例になっていた。当然、体育の時間が終わったあとも、階下まで運ぶのだが、M君が来たその日、M君は率先してそのウォーターサーバーを持ってくれた。そして、これは、M君が退所するまでかわらなかった。
私は、体育の時間が終わり、階下に行く間、ウォーターサーバーを持ったM君に話かけてみた。何年生?とか、そんなかわりばえのしない話だったと思うのだが、M君は、とても緊張した小さな声で、でも礼儀正しく受け答えをした。誰でもそうだが、保護所に来るのは極度の緊張があるものだと思うのだが、私は緊張の中に身をおいて今にも叫びだしそうな後ろから見るM君の背中が、とてもいじらしく思えた。しかし、この時はまだ、この背中が背負っているものを知ることもなく、この背中が、保護所を退所した後に、さらに背負うものなど、想像さえしていなかった。そして、M君が、保護所で、いろんな感情をよびだす、様々なことをやってみせてくれるとも、知らなかった。
(つづく)