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#144 野性と向き合う

本日は9時起床。堕落は成熟しつつある。
昨晩も就寝時間が遅くなった。そして疲労の蓄積によるものなのか、過眠傾向になってきている。
私は意志が弱い。そして睡眠に勝る動機は殆ど無い。
やはり他者からの強制が必要か。自分の行動を制御するために他者を利用するならば、それはそれで立派な自律/自立と言ってもいいだろう。
自分の傾向に気付き、上手く活用するための環境づくり。
沢山寝たはずなのに、まだ眠い。しかも怠い。睡眠欲がやばい。欲の不均衡。
寝覚めも悪かった。なんとか重い体を持ち上げる感じ。
中途覚醒は無かったと思われる。
また、寝ている間に体が冷えてしまっている気がする。体温調整が上手くできていないのだろうか。

今、私の目の前には日課のタイムテーブルが書かれた紙が置かれている。
わざわざ目の届く場所に置いているのだが、私はこの日課を放棄することにあまりにも慣れてしまった。
掟を破ることに慣れてはいけない。これは本当にそう思う。
自分は動物であることを心得る。
動物は合理的=楽な選択しかしない。
目標の達成のために忍耐する、というのは人の発想であって。
今眼前にあるものを食らうのが動物だ。
だからなんとなくやって案の定失敗、みたいな経験を繰り返すと、失敗してもいい、次がある、などと学習してしまう。
結果、失敗を繰り返すようになる。それは失敗の練習をしているようなものだ。
毎度毎度が勝負であり、それは習慣(プログラム)の構築である。
一事が万事、か。
だが、かといって強迫的な真剣さで以て取り組めば窮屈で厭になるし、精神を疲弊させてしまうだろう。
塩梅とは人として生きて行く上で最も大事なことである。
過不足が無いこと。必要なものを必要な分だけ供給してやること。
そこに熟達することが大人なのではないか。

そろそろ金銭的な限界がやってくる。
働くしかない。
追いつめられるとそれが出来たりする。
やはり動物的なのだろう。
私の野性は「真の意味で」働くべき時を恐ろしいまでに理解している。
だが、その通りに動くと、人間らしい生活からは逸脱してしまう。
ズレる。どんどんズレていく。個人的には本流を行っているだけなのだが。
それはそれでストレスだったりする。
少数者であることの生き辛さというか。
まぁ、私が少数者であることの根拠など無いのだが。でも多分そうだろう。

もしも、ひきこもることを許されないような環境に生れ落ちたら、私は何らかの病にかかっていたと思う。
下手すれば自死という選択肢も浮上していたかもしれない。
嗚呼、何故そこからはぐれてしまったのだろう。また、それは何時から始まったのか。
小学生の頃にはもう予兆はあったな。社会への違和感。
それから、単純に大人になるということを受け入れられなかったのだろう。
これは個人としての資質。周囲の問題ではあるまい。
環境適応能力の低さ。知能の低さ。
要領が悪すぎる。本当に不器用だと思う。

うーん、やはり最近の記事は暗いな。
運動不足の影響か?
これはいかにもありそうだ。
それから、やることを増やし過ぎて、時間が足りない感覚を覚えている。
これが焦燥につながる。要するにストレスなのだ。
その割に(要領の悪さに起因する)時間の使い方の拙さがあったりする。これはいただけない。
また再考して整理するか、、、、、

音楽をサボり過ぎている。
と、言い続けて結構な時間が経過している。
まぁ、音楽をサボっても殺されるわけじゃあないし。
結局、そういうことなのだ。
生命の危機に接近しないと私の身体は動かない。
積極的な動機でどうこうなるようなものではないのかも知れん。
正確に言うと、その段階ではない、という感じだろうか。
私はまだ動物のままだ。しかも自然の摂理の殆どを感知できなくなったポンコツの。
だから、人間らしい欲を持つ段階に至っていないのではないか。
目先の快ばかり優先しているのも、極めて動物的だといえる。
はやく人間になりたい。

最近、ピアノも弾いていない。
弾き始めると貪るように弾いてしまうのだが。
長い目で見れば上達している、のか?
規則正しさはあまり好きではない。それは強迫的だから。
鳥瞰的な視座で以て継続できていれば、それでよしとしよう。

最近はnoteへの投稿も減っている。
それでも毎日やっているのはえらいぞ。
書きたいことが無くても、PCを開けばなんとかなる。それも実感している。今年の収穫その①といっていい。
投稿数を始めとするボリューム減少の原因は、note以外にやりたいことが増えてしまったからだろう。
時間や体力といった資源の分配の問題である。
それは有限であるから、どうしたってこういうことになる。
一度に解決しようとし過ぎなさんな。
流れを止めなければなんとかなるさ。気長にいこう。


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