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託宣 箱崎の神様 貴方は誰?

日本三大八幡の一つで、博多の有名な神様、箱崎宮。いつもの貝原益軒氏のお話で数回(長いのでw)に分けて紹介します。

筑前國続風土記 巻之十八 糟屋郡かすやぐん 箱崎八幡宮はこざきはちまんぐう より (意訳) その1

延喜式えんぎしき神名帳じんめいちょうに、那珂郡なかぐん八幡大菩薩はちまんだいぼさつ箱崎宮一座ひとくら大と記載があります。今(=江戸時代)は糟屋郡に属しています。祭神は三座です。
八幡大神はちまんおおかみは右座にいらっしゃいます。中座は神功皇后じんぐうこうごう、左座は玉依姫たまよりひめです。この社は、上代は穂波郡ほなみぐん大分村だいぶむらにありました。中世(延長元年=西暦923年)に今の箱崎の宮に移しお祭りするようになりました。
古い記録では、延喜えんぎ21年(西暦921年)辛巳かのとみ6月21日、八幡大神の託宣たくせんがありました。
われは穂波郡大分だいぶ宮に移住の後、3つの悪い事がある。1つ目は、竈門かまど宮は我が伯母(玉依姫命たまよりひめのみこと)にておられるが、

八幡大神が、竈門山明神を我伯母とお話されてるのは、これを伯母のように親しみをもっていることということです。女性を尊び、伯母と呼ぶことは、我が国の風習です。その実は、竈門山の神様は、玉依姫なので、(八幡大神の)伯母ではいらっしゃらないのです。

貝原益軒の注釈

そこの年中の節会せちえで、(太宰府の)官僚以下、国司こくし雑司ぞうしがやってくる時に、愚かな人たちが、ある人は馬に乗りながら遥拝ようはいし、ある人は笠を被ったまま(神様の)前を通る。これはとても恐れ多い。
二つ目には、郡司ぐんじ百姓ひゃくしょう饗宴きょうえんの供をさせるため、(彼らは)険しい山越えをしており、数日、民を悩ませている。
三つ目には、放生ほうじょうは、これは海上の事である。穂波宮は放生の地ではない。この地を避けて、箱崎の松原に移り住まんと欲す。
太宰だざい少貮しょうに眞材まき朝臣あそんは、石清水いわしみず八幡宮はちまんぐうから廻廊かいろう造営ぞうえいについて申請が出ているが、この(箱崎宮)の新宮を(優先して)造営すべし。御殿をいぬい(北西)に向け、柱にかしわを用いるべし。末代になって異国より我が国をうかがう(侵略する)事があれば、我はその敵を防ぐべし。故に敵国降伏の字を書いていしずえの西、われの座(祭られている場所)の下におくべし」
と、新しく託宣があったので、眞材まきは首を傾げて、宿願しゅくがん(石清水八幡宮の廻廊造営)はいまだ他の人が知らないはずなので、神様のお告げであることは間違い。そう信心を肝に銘じて、急いで(帝に)奏聞そうもんしたところ、勅許ちょっきょがあり、その官符かんぷの記載には、
「敵が来るのを防ぐことの託宣の話に加えて、(箱崎宮は)外国から来た賓客ひんきゃくを受け入れるさかいでもある。立派な宮を造ることを許可する」
とありました。この土地に神殿を造営させ、敵国降伏の四文字を、延喜帝えんぎてい(=醍醐天皇だいごてんのう)の勅筆ちょくひつで37枚を書いていただき、御宮柱おんみやばしらの下に敷いておさめました。当社は中殿なかどのに神功皇后をお祭りしているので、異国降伏のため祝い奉りました。
鴨長明かものちょうめい文字鏁もじぐさりの記載では、
「筑前国の箱崎の宮は、つくしのはかたにつづいている所なので、遠くの唐土もろこしの海にむかって、社は西向きに建っています。これは異国降伏の為である」といっています。
この御社創立の事は、八幡愚童記やはたぐどうき等では、延長元年(西暦923年)の事としています。延喜21年(西暦921年)の託宣なので、間に1年を経て延長元年に創立となった事はもっともなことです。それでも延喜式神名帳には、箱崎の宮が建てられたのは、なおそのずっと前の代からである御社です(と記載されています)。
代々神社に仕えてきた者の説では、天平寶字てんぴょうほうじ3年(西暦760年)に創立であるといいます。これが事実なのでしょう。このようなことなので、代々の帝も特に崇敬が浅くはないのです。
さてまた四面の廻廊は、太宰大貮だざいだいに有国ありくに(藤原有国ふじわらのありくに)が、西国に向かうとき、(海路)の波風が強く、船が転覆しかかっている時に、
「この波風をやめさせていただき、事故がなければ、(箱崎宮に)廻廊を作らせていただきます」
と、祈念をしたところ、やがて海上は静かになり、着岸に心配することはなくなりました。すぐに(有国が箱崎宮に)参詣したときに、
「わだつ海々の海上がしずまって、歩くのが簡単なものと知りませんでした」
と、神様のお告げがありましたので、大貮(=藤原有国)は頭を地につけ、心から信心して、(廻廊の)造営を推進したとのことです。

その2に続きます…。


応神天皇の母は神功皇后です。伯母ということは、母の姉妹ということになります。
神功皇后には虚空津比売そらつひめ豊姫とよひめの2人の妹がいたそうです。このうちの虚空津比売は、別名に虚空津比売命そらつひめのみこと玉妃命たまひめのみことをもっています。
もう一人の豊姫は、豊比咩命とよひめのみことともいいます。別名に淀姫よどひめ,玉妃命をもっています。
別名に同じ名前をもつ妹二人は同一神である可能性が高いです。
この豊姫ですが、神功皇后の新羅(しらぎ)(朝鮮)遠征にしたがい、潮干珠、潮満珠のふたつの宝玉をもちかえった説話があります。

潮干珠、潮満珠というと、山幸彦、海幸彦の説話があります。山幸彦は海神の娘の「豊玉姫」よりこの2つの玉をもらいます。この豊玉姫の妹が「玉依姫」です。
竈門宮にお祭りされてるのはこの妹姫の「玉依姫」です。

この玉依姫を伯母と呼ぶ八幡大神様、貴方は誰ですか?


用語解説
延喜式神名帳 …延長5年(西暦927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十。
一座大 … 一座は、神様がいらっしゃるくらが1つということ。「大」は延喜式神名帳時の名神大社を示す。
上代 … 飛鳥時代から奈良時代
穂波郡大分宮 … 福岡県飯塚市いいづかし大分だいぶ。現在は箱崎宮の本宮として大分八幡宮だいぶはちまんぐうがある。
託宣 … 神様のお告げ
竈門宮 … 太宰府にある宝満宮竈門神社
雑司 … 下級官僚
遥拝 … 離れた神社の方向を向いて拝む作法。馬に乗ったままや、頭に笠を被ったまま遥拝するのはもちろん失礼に当たる。
奏聞 … 帝に報告すること。
勅許 … 帝の許可。
官符 … 太政官符の略で、諸国に出した公文書。
延喜帝 … 醍醐天皇。第60代天皇。元慶9年1月18日(西暦885年2月6日)- 延長8年9月29日(西暦930年10月23日)
元慶 … 元号、がんぎょう、または、げんけいと読む。西暦877年-885年。延長 … 元号、西暦923年-931年。
勅筆 … 天皇の直筆
鴨長明 … 平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての歌人で随筆家。久寿きゅうじゅ2年(西暦1155年)-建保けんぽ4年閏6月10日(西暦1216年7月26日)。有名な作品は「方丈記」。
文字鏁 … 長明文字鏁。鴨長明の作。歌語の注釈などが記載されている。
唐土 … もろこし。日本での中国の古い呼び名。
八幡愚童記 … 八幡愚童訓はちまんぐどうくんの事。鎌倉時代中期から後期に成立したという八幡神の霊験・神徳を説いた寺社の由来の書。
延喜 … 元号、西暦901年-923年。
天平寶字 … 天平宝字、元号、西暦757年-765年。
太宰大貮有国 … 藤原有国ふじわらのありくに。後の藤原道長ふじわらのみちながの側近。道長は有国を通して日宋貿易を行った様子。太宰大貮は太宰府の次官の位。上官は太宰帥だざいのそち権帥ごんのそちであるが後に名誉職になっため、太宰大貮が実質的に太宰府を取り仕切る。

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