万葉集 竹取の翁
2023/09/29は十五夜です。月といえば竹取物語ですが、その原型と思われるお話を紹介します。
万葉集 巻十六 3791 (意訳)
題詞:
昔々、竹取の翁と呼ばれる老人がいました。季春の月(陰暦3月、現在の5月頃)に丘に登って遠くを見ていたら、ふと羹(=肉や野菜入れたスープ)を作っている9人の少女に会いました。その少女たちはいずれも類まれな美貌の持ち主でした。時に少女たちは、翁を呼んで笑いながら言いました。
「おじいさん、こちらに来てください。焚き火の火を吹いてください。」
老人は、「はいはい」言い、(焚き火の火を吹いておこしてから)ゆっくり少女たちのところにいって、座(=座るところ)の上に混じって座りました。
しばらくして少女たちは皆、くすくす笑いながらお互いをつついて「いったい誰がこの老人を(ここに)呼んだの?」と言いました。
そこで竹取の翁は謝りながら「思いがけず、偶然に神仙女たちに会い、迷惑とは思いましたが、近づくことを押さえることができませんでした。馴れ馴れしくしてしまったことについては、償いの歌をもってお許し願います。」といいました。
そのとき作った歌1種と短歌。
歌:
赤子の頃には(私は)母に抱かれていました。幼子の頃には全て裏を縫いつけた木綿の肩衣を着ていました。
髪がうなじにつく子供の頃には、絞り染めの袖付き衣を着てました。
におうような貴方たちと同じ年頃には、巻貝の腸のように黒い髪を櫛をもって、かき垂らしたり、まとめてあげてみたり、解き乱したり童子髪にしたりしたものです。また丹(朱色)を使った懐かしい色の紫の綾織り衣、住吉の遠い里の小野の榛で飾った衣に高麗錦の紐を縫いつけ、指したり重ねたり、何重にも重ねて着ていました。
打ち麻の麻積みの家の子たちや宝の子たちが何日も打って織った布や、日に曝した麻の手作りの布を「しき裳」のように重ねた「脛裳」(=脛のところにつける布)を、ずっと家に籠もっている稲置の娘が、私に求婚するために、私に送ってくれたものです。
これらの二綾の足袋を履き、飛ぶ鳥という飛鳥の男が長雨しのぎに作った黒い沓を履いて(私は)乙女の庭に佇みました。
(乙女の家の者が)「帰れ、そこに立つな」と乙女と会うことを妨げます。
(籠もっている部屋で)ほのかに聞いた乙女は、私に贈ってくれた薄藍色の絹の帯を引き帯のように韓帯にし、海神の宮の屋根を飛び回ってる蜂のような細い腰につけて飾り、澄んだ鏡を並べて自分の顔を振り返っては何度も見ていました。
春になって野辺をめぐれば、私を面白そうと思って、野鳥が来て鳴いて飛び回ります。
秋になって、山辺を行けば、私を懐かしいと思って、天の雲も行きたなびいたものです。
帰ろうと思って道を戻れば、輝く宮の女性も、竹のような舎人の男性も、こっそりと振り返りみて、「どこの若様だろうか」と思われたものです。
このように昔はもてはやされてた私ですが、情けなくも今日の貴方がたに「どこのじじいか」と思われているなんて始末です。
このようなことがあるので、遠い昔の賢人も、後世の手本にしようと、老人を乗せて(捨てた)車を持ち帰ってきたのです。ああ、持ち帰ってきたのですよ。
万葉集 巻十六 3792 (意訳)
反歌:
(若くして)死んでしまったらこのようなことにあわないでしょうけど、生きていたら白髪が貴方たちにも生えないわけはないのです。
万葉集 巻十六 3793 (意訳)
反歌:
貴方たちにも白髪が生えてきたなら、このように若い子たちから罵られないでいられるわけはないのです。
「老人を乗せて(捨てた)車を持ち帰ってきたのです。」のくだりはわかりにくいのですが、「令集解」の中の逸話「孝子伝」になります。
簡単に説明すると、以下のお話です。
ここに書かれる竹取の翁は、かぐや姫ではなく9人の神仙女と出会い、ついつい美女たちの側によってって邪険にされたので説教したというお話になります。
この後、9首の神仙女からの返歌があるのですが、それは割愛します。興味あったら検索してみてください。
簡単にいうと、「ごめんなさーい」という可愛い内容です。
しかし、よっぽど腹がたったのか、長歌に短歌2首。長歌の最後は、大事なことなので2度言いました、みたいな(笑)。このあたり昔も今も変わらないのかもしれません。
とはいえ、お年寄りの話はやっぱり長いですね。
用語解説
令集解…9世紀中頃(868年頃)に編纂された養老令の注釈書
稲置…律令制や大化の改新以前の古代の日本にあったとされる地方行政単位、県 を治める首長。現在の県知事に相当。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?