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イーロン・マスク氏の「バイデン政権によってISSに置き去りにされた宇宙飛行士を救出する」という発言に関して

 第2次トランプ政権が発足し、イーロン・マスク氏がその側近の一人として存在感を発揮する中、彼の発言が何かと話題を集めています。

 その一つひとつに反応することは賢明ではないかもしれませんが、とくにNASAをはじめとする米国の宇宙開発に重要な影響を及ぼすであろう内容については、取り上げて解説していきたいと思います。

「バイデン政権によってISSに置き去りにされた宇宙飛行士を救出する」

 イーロン・マスク氏による「バイデン政権によってISSに置き去りにされた宇宙飛行士を救出する」という発言は、1月28日(現地時間、以下同)にX上で突如発されたものでした。

トランプ大統領はスペースXに、国際宇宙ステーション(ISS)に置き去りにされた2人の宇宙飛行士を、できるだけ早く帰還させるよう指示した。私たちはそれを行うつもりだ。
バイデン政権が、彼らを長い間放置していたのはひどいことだ。

https://x.com/elonmusk/status/1884365928038563880

 その数時間後、トランプ氏もTruth Social上で、要請したことを認めました。

 そして30日には、NASAが、この要請を受け、「NASAとスペースXは、2人の宇宙飛行士をできるだけ早く安全に帰還させるべく、迅速に作業を進めている。また、ISS長期滞在間の引き継ぎを完了するため、次のクルーの打ち上げ準備も進めている」との声明を発表しました。

 これら一連の騒動の発端は、昨年6月にさかのぼります。NASAのバリー・ウィルモア宇宙飛行士とサニータ・ウィリアムズ宇宙飛行士の2人は、ボーイングの新型宇宙船「スターライナー」による初の有人飛行試験でISSへ向かいました。

  当初のミッション期間は8日間の予定でしたが、スターライナーの不具合により、NASAとボーイングは同機を無人で帰還させることを決定しました。一方、2人の宇宙飛行士はISSにとどまることになりました。

 NASAは、この状況を踏まえてISSのクルー交代計画を見直し、9月に打ち上げる「クルー・ドラゴン」宇宙船運用9号機(Crew-9)の乗組員数を4人から2人に減らして、帰還時にウィルモア氏とウィリアムズ氏を乗せることを決定しました。

 ただし、Crew-9の帰還時期は、後続のクルー・ドラゴン宇宙船運用10号機(Crew-10)の到着と密接に関係していました。ISSでは、運用や実験、研究の継続性を確保するため、新たなクルーが到着してから既存のクルーが交代する仕組みになっています。そのため、Crew-9の帰還はCrew-10の打ち上げに左右される状況でした。

 Crew-9は昨年9月に打ち上げられ、帰還は今年2月に予定されていました。ところが12月、Crew-10で使う宇宙船カプセルの準備が遅れたことで、打ち上げ予定日が3月下旬へと延期されました。これにより、Crew-9の帰還は4月にずれる可能性が高くなりました。

 マスク氏やトランプ氏の発言は、こうした状況の中で出てきたものでした。

 最終的に、NASAとスペースXは2月11日、使用する宇宙船のカプセルを、後続号機で使う予定だったものと交換することで、Crew-10の打ち上げを前倒しすると決定しました。

 クルー・ドラゴンは再使用可能な宇宙船ですが、Crew-10では新造機が使用される予定で、その製造過程で問題が発生していました。一方、後続号機では、すでに製造され、複数回の飛行実績があるカプセルを使用する予定で、飛行準備が進んでいました。このため、カプセルを交換することで、打ち上げを前倒しすることができたのです。

 現時点でCrew-10の打ち上げは3月12日(日本時間13日)に予定されており、Crew-9による2人の宇宙飛行士の帰還は3月下旬ごろになるとみられます。

宇宙飛行士本人からの反論

 問題の発生以来、NASAは一貫して、安全性に問題はなく想定内の事態だと説明してきました。昨夏、滞在延長が決まった際に、大手メディアも「取り残された」、「置き去りにされた」といった表現を使いましたが、それらを否定してきました。

 事実として、ISSには十分な水や食料、酸素などの物資があり、2人が延長滞在できるだけの余裕もあります。必要になれば追加で送ることもできるでしょう。当初8日間の予定だった滞在が大幅に延びたのは事実ですが、宇宙飛行士はこのような不測の事態に対応できる訓練を受けており、その点では想定内の事態というのは正しいと思います。

 くわえて、体調悪化など万が一の事態が起こった際には、Crew-9に乗って緊急脱出することもできるため、その点からも「置き去りにされた」という表現は適切ではないでしょう。

 さらに2月13日には、CNNのインタビューで、「トランプ大統領などは、お二人が前政権から事実上見捨てられたと言っている人もいるが、そう感じているか」という質問に対し、ウィルモア氏本人が「見捨てられた、取り残されたとは思っていない。他の人がそう思うのも理解できるが、私たちは準備万端だ。覚悟して来ている」と語り、明確に反論しました。

 渦中の人物であり、さらに反論によって、今後少なくともトランプ政権下では宇宙飛行士としての活動が冷遇される可能性があることを考えると、この発言は非常に勇気のいるものだったに違いありません。

 また、欧州宇宙機関(ESA)のアンドレアス・モーゲンセン宇宙飛行士や、カナダのクリス・ハドフィールド元宇宙飛行士なども、X上でマスク氏やトランプ氏の認識や発言は「誤りだ」と主張しています。

 こうした中、2月18日にFOXニュースの番組に出演したトランプ氏とマスク氏は、「置き去りにされた」という主張を繰り返しました。

政治問題化したのは誰なのか

 そして2月20日には、前述したモーゲンセン宇宙飛行士のポストに対して、「スペースXは数か月前に彼らを帰還させることができた。バイデン政権に直接提案したが拒否された。政治的な理由で帰還が延期されたのだ」と発言するなど、あくまで「置き去りにされた」という主張を崩していません。

 この発言の中の、「スペースXは数か月前に彼らを帰還させることができた。バイデン政権に直接提案したが拒否された」というのは新しい証言です。

 最初のマスク氏の発言以来、ひとつの批判として、なぜもっと早い段階――スターライナーが無人で帰還することが決まった段階など――で主張しなかったのか、ということがありました。今回のマスク氏の発言が事実であれば、少なくとも主張はしていたことになります。

 もっとも、前述のように、切迫した状況ではなかったため、純粋に必要性がないため却下されたと考えられます。またそれも、バイデン政権は直接的には関係なく、あくまでNASA内部で下されたものでしょう。NASAの前長官ビル・ネルソン氏は昨年8月、スターライナーを無人で帰還させることを発表した記者会見で、「個人的見解だが、この決定に政治は一切関係していないと断言できる。政治はまったく関係ない」と発言しています。

 そもそも、「数か月前」といえば、大統領選や政権移行の時期にあたります。「宇宙飛行士救出作戦」として演出され実行されていれば、マスク氏やスペースXの株は上がり、ボーイングやバイデン政権はダメージを負っていたでしょう。バイデン政権へのダメージはトランプ氏へのお土産になることを踏まえると、むしろマスク氏が政治問題化させることを狙っていたように思います。

先行きの不安、マスク氏に見えた綻び

 一方で、Crew-10の打ち上げ前倒しを実現した解決策については、実にスマートだと言わざるを得ません。

 前述のように、Crew-10は宇宙船カプセルの準備の遅れから打ち上げが延期しましたが、使用する宇宙船のカプセルを、後続号機で使う予定だった、製造済みのものと交換することで、前倒しを実現しました。

 仮に、「試験などを省略して完成させる」といった解決策だったならば、さらに大きな批判にさらされていたでしょう。

 クルー・ドラゴンは再使用可能な宇宙船であり、頻繁な運用が可能なことから、柔軟かつ迅速な対応ができたのでしょう。一機ごとに新造する宇宙船や、スペースシャトルのように再使用可能でもメンテナンスに時間がかかる宇宙船では、このような前倒しは難しかったはずです。

 おそらくマスク氏やスペースXは、以前からこれが可能だとの見方を立てており、数か月前から提案していたのでしょう。そしてトランプ氏によってようやく聞き入れられ、実現したという流れだと思います。安全性をほとんど損なわず、トランプ氏の要請に迅速に応えるという、一石二鳥の解決策が実現できたわけです。

 しかし、そもそも不必要なことであり、言わばマッチポンプ的な動きであることに変わりはありません。この一連の出来事の本質は、政治的理由によって技術的判断に基づく計画が歪められた点にあり、それこそが最も重要な問題です。

 トランプ政権下での米国の宇宙開発がどうなるかはまったく見通せない状況ですが、このような懸念すべき前例ができてしまった以上、安全性やその他の面で先行きに不安を感じざるを得ません。

 マスク氏といえば、その一見突飛に見える発想の中に、先見の明と、科学的・技術的なセンスを兼ね備えた人物という評価が一般的だったと思います。「実用的な再使用ロケットの開発」や「フルフロー・サイクルで最強のメタン・エンジンをつくる」といった、困難に見える目標を掲げつつも、それらは決して「光の速度を超えろ」などといった非現実的なものでなく、実際には科学的・技術的に合理性がありました。

 個人的には、その科学的・技術的な合理性やセンスが、トランプ氏からの寵愛によって濁っていくのかどうかが、今後のマスク氏と米国の宇宙開発の動きを見る上で注目すべきポイントだと考えます。そして、今回の件は、その合理性に生じた綻びのような出来事だったのではないでしょうか。

トップ画像 (C) NASA

参考文献

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