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「母数」の意味と使い方

 「母数」の誤用は多いようで,誤用を指摘するWeb上の記事がかなり多く見られます。確かに,影響力のある人ですら間違った意味で使っているのを見かけたことがあるので,「さもありなん」と思います。私は統計学の授業を行っていて,毎回この誤用について警告するようにはしています。今回は母数の意味と使い方を扱います。


統計学での意味

 調査などで関心のある対象の全体を母集団と呼びます。これに対して,母集団(の一部)を観測して得られたデータを標本(サンプル)と呼びます(すなわち,標本は母集団の一部です)。統計学では,母集団と標本を明確に区別しています。標本は観測できますが,母集団は観測できないものと考えます(ただし,国勢調査などの全数調査の場合を除きます)。

 標本の平均,分散,標準偏差は標本統計量,またはたんに統計量と呼ばれます。一方,母集団の特性を示す値である平均,分散,標準偏差を,とくに母平均母分散母標準偏差と呼びます。母数は母平均,母分散,母標準偏差のことを指しています。これ以外の意味はありません。母集団の大きさ(サイズ)を指すわけでもありません。なお,英語で母数はparameterで,カタカナ表記では「パラメータ」です。


誤用

 最も多い誤用と考えられるのが,分母の意味で用いることです。分母は分数において割る数を指します。例として2/3であれば,3が分母です。このとき,分子の2は「部分」で,分母の3は「全体」を表すことになります。分母が「全体」を指すという点で,母集団と関係してくるように思われますが,母数は母平均などを指すので,分母とはまったく異なるものです。もっと簡単に言い換えれば,分母と平均は違うものなので,平均などを指す母数は分母のことではない,ということです。

 また,「全体」を指すこの誤用で含意されているのが,観測された「全体」の数です。上で述べたように,観測できるものは標本です。つまり,この誤用の「母数」が意味しているのは,標本の大きさ(サンプルサイズ)だということになります。繰り返しになりますが,母数は母平均などを指しているのであって,標本の大きさのことを指しているのではありません。母集団と標本は区別されるものであり,母数は標本の大きさとはまったく異なるものなのです。

 いずれにしても,母数を分母やサンプルサイズの意味で使うのは誤用です。とくに,統計の話をしているときに,これらの意味で用いたのであれば,自ら勉強不足を露呈しているということになります。


言語は変化するもの

 母数の誤用は,日常的な会話においては大きな問題ではないといえるかもしれません。言語は変化するものです。言語学の主な関心は,正しい言葉の使い方というよりはむしろ,言葉がどのように使われているかということや,使われ方が時代によってどのように変化してきて,これからどのように変化していくのかということにあるといえます。現在は誤用とされているものが新しく正しい意味として定着していくということは,言語現象としてよくあることです。日常的なレベルで母数を分母の意味として使っていても,目くじらを立てるほどのことではないと思います。

 つまり,専門のレベルでは正しい用語の使い方が必須ですが,俗語のレベルではまったく問題ないということです。少し寛容になって,たとえ誤用であっても,頭の中で正しいものに置き換えて相手の話を聞いていればよいだけだと思います。


 ここまで,母数の意味と使い方について述べてきました。結局のところ,分母の意味を表現したいのであれば,「母数」とはいわずにそのまま「分母」,あるいは「全体の数」などと表現すればよいだけではないでしょうか。わざわざ分母の意味で母数という用語を使うのは,衒学的な態度を示しているといえるかもしれません。必要がないのであれば,わかりやすい言葉を使うのが適切だと思います。現状ではかなり多く指摘されているので,統計の話をするときくらいは,分母の意味での「母数」を使うことを避けるべきかもしれません。ちょっと恥ずかしいことになるかもしれないので。

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