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言語力を武器に?
「言語力を武器に…」とはよく聞く言葉である。ぼくもふと使ってしまうことがあるフレーズではあるが、個人的にはあまり好きな表現ではない。
なぜなら、言語力を「武器」に人と争うなんてナンセンスだと思うからだ。
闘うためのことば…
昔、「話せばわかる!」なんて言った人がいるらしい(本当に発言したかは定かではない)。話すことが言語力を行使することだとすれば、この人はその場にいた人を言葉という武器でやっつけてやろうとしたのだろうか。
そんなに難しい場面を考えなくても、我々は生きていると、いらないことを言ってしまい、その言葉で他人を傷つけてしまうこともある。他人だけでなく、ときには自分自身も。
このことは言語力が武器である証明になってしまうだろうか。いや、むしろ言語力のなさこそが誰かを傷つけてしまうような言葉を使わせてしまったのではないか。
武器の定義を調べよう
改めて辞書で「武器」という言葉の意味を調べてみた。そうすると、敵を倒すための刀のようなものだけでなく自分の身を守る鎧や兜なんかも含まれることがわかった。自分の身を守るための言語力ってのはいいかもしれない。
でもそれなら武器なんてぶっそうな言い方をせず、防具と呼べばいいのに、そんなふうに言う人を聞いたことはない。
ちなみに、辞書にはもう一つ別の意味が載っていた。「何かをするのに有効な手段となるもの」この意味として使えば「言語力は武器だ」というのは普通の表現のようだ。いろいろ考えてきたことの答えが出てしまった感もある。
でも英語の先生は「辞書にあるからってそのまま使ってはいけません!」といつもおっしゃっている。なんだか正しそうなことでも、自分の頭で考えてみることは必要だろう。
言語力を防具に…
人を傷つけてしまう「武器」よりも、自分や周りの人の身を守る「防具」の方が、何となく良い感じはするけれど、やっぱりなんかしっくり来ない。じゃあ、言語力って何だろう。
うーん。。。
考えていると、言語力にはこうであってほしいという願いが浮かんできた。
言語力は画材だ!
とてもありきたりだけど、言語は画材のようなものであってほしい。
誰かを倒すために磨き続けるものではなく、誰から傷つけられるかもしれないと常に備えるためのものでもなく、自分が見たり、聞いたり、感じたりしたことを表現するためのものであってほしい。
私たちは言葉に気をつけて、そして学び続けることで、その言葉が持つ表現力に彩りを増やし、解像度を上げていくことができるのだと思う。
そして、その培った言語力が精神的な豊かさをもたらし、心の中により広やかな表現の場を持つことができる。
ああ、やっぱり言語を学ぶことって素晴らしい。
今ぼくの中にある言葉を学ぶことに対するワクワク感をいつまでも大切にしたい。