F.クープラン「クラヴサン曲集」プログラムノート第1巻第1オルドル その2
前回予告の舞曲の総括的なものは第5オルドルの後に書くことにしました。第4オルドル以外全ての前半部はフランス組曲形式ですので、巻の最後にまとめてみたいと思います。では第1オルドル後半戦!
一転して同主長調のト長調で開始するが、その後の曲は長調と短調が入れ替わる。1曲の中、前後半で変わるものもある。固有名詞など表題付きのものが11曲、うち2曲には舞曲表記が見られる。
「Les Silvains シルヴァン Majestueusement, sans lenteur 荘厳に、遅くなく」 この記事の上部(サムネ)にファクシミリ楽譜の冒頭を掲載したのでご覧いただきたい。右手はハ音記号(テノール記号)、左手は普通のヘ音記号である。右手の音域が低い、ということが一瞬で理解される。これをもしト音記号で書くと五線からはみ出す音が続出、つまり下方への加線の使用頻度が高くなる。それでは見にくいしインクも多く必要になるので、なるべく五線の中に収まるような音部記号が選ばれているのだ。こういったクレ(音部記号)読みが苦手でファクシミリ楽譜の使用を躊躇する方が多いのだが、単純に習慣(と教育)の問題である。調号の#の数と位置にも注目して欲しい。右手も左手も2つずつ、つまりFa音の場所全てに付けられている。現代では#1つでト長調またはホ短調、と習った方がほとんどだろうが、ここでは#2つで二長調という意味はなく、#が付いている場所の音を半音上げるという情報に過ぎない。シルヴァンは古代ローマの森を守る神、精霊であり元のラテン語はsilvanus (silva=森)。そして「シャトネのシルヴァン」を名乗ったNicolas de Malézieu というメーヌ公の友人も関係しているらしい。このマレズィユーは詩人、数学者であり、自分の所有するシャトネ城の庭に舞台を造り大がかりな催しものを開催していた。ある時のディヴェルティスマン(音楽、舞踊などを含む娯楽、余興)では「より抜きの王の楽士たち」がシルヴァン役を演じたという。まさかクープランも出演したのだろうか?前半は彼の十八番のロンド形式で、のんびりした主題(主題もクプレも4度下降の順次進行で始まる)に始まるが、後半は憂いを帯びた短調の3部分からなる。最後のダイナミックなアルペジオ(これを十分にレガートに弾く指使いも指定されている)に至っては冒頭の平和な空気はどこへやら、、、。この曲は当時から人気があったようでRobert de Viséeによるリュート用の編曲が、ブザンソンに残るセズネ手稿譜の中にある。というか元曲が既にリュートの模倣を思わせるので、他に元曲があったのかもしれない。
「Les Abeilles 蜜蜂 Tendrement 優しく」 この短いロンドはファクシミリ楽譜ではたった3段しかない。小さな蜜蜂(ここではタイトルは複数だが1707年のバラールによる選集に掲載された時は単数だった。蜂が増えたらしい。)の象徴だろうか。フリーメーソンのシンボルでもある。全体にジーグを思わせる符点リズム、中間部には優しい羽音にも聞こえる音形が出現。蜂の描写でもあろうが、やはりここは低身長を「チビのひき蛙」などと揶揄されていたメーヌ公夫人が創立した「蜜蜂騎士団 Ordre de la Mouche à Miel」を無視できない。その39名の団員にはダランベール、モンテスキューを始めボワモルティエ、A.フォルクレ、ド・ヴィゼーもいるのだ。入団式ではカンタータなどが演奏されたらしい。もっと知りたい方は是非検索してみていただきたい。笑える戒律等、面白い話が山積みである。
「La Nanète ナネット Gayement 陽気に」続く3曲も3〜4段で収まってしまう短いものが続く。というか見開き2ページに4曲押し込めたのだ。元気な「アンヌちゃん」は軽快なステップや踊る人の表情が見えてくるような名曲である。イングランドから持ち込まれた「カントリーダンス」がフランス宮廷で大ヒットし「コントルダンス」と呼ばれたが、それであろう。「麗しのナネットLa belle Nanette」のあだ名を持つバーウィック公(ジェームス2世の庶子)の2人目の夫人Ann Bulkeley の肖像とも言われている。フランスヘカントリーダンスを持ち込んだのはアイルランド出身の前夫人Honora Burkeのようだ。しかし、このあとノネット、ナネット(スペル違い)と似た音のタイトル曲が続くのはわざととしか考えられない。クープランしか知らない物語があるらしい。
「Les Sentimens, Sarabande 感情、サラバンド Tres tendrement とても優しく」 ここで突然の長調のサラバンドである。前半に出てきたものとは打って変わって優しく明るい光がさんさんと降り注ぐ。愛情深く、堂々とした気品も兼ね備えている人物が想像できる。Richelet辞書(1728年リヨン刊行)にはSentimens = Affection 愛情、愛着という記述が見られる。
「La Pastorélle 羊飼い、Naïvement 素朴に、無邪気に」1711年のバラール選集には歌のヴァージョン(男女のデュエットか?)が載っている。羊飼いのたわいもない恋歌である。低音部を大きく変え装飾も加えられ、クラヴサン曲に見事に変身した。
「Les Nonètes, Les Blondes, Les Brunes 修道女たち 金髪/栗毛 Tendrement 優しく」 ノネットというのはハシブトガラという鳥の意味もある。小鳥はしばしば女性を表したようだ(第3巻に鳥シリーズのオルドルがあるのでお楽しみに!)。そのまま読めば金髪(第1部短調)と栗毛(第2部長調)の2班の若くて可愛いシスターたち、なのだが曲は敬虔な修道女のイメージとは程遠く、馬のギャロップさえ聞こえてくる。カナリーのような符点リズムが前後半を通じて支配する。クープランの知り合いで有名な劇作家J.F.Regnardの友人ロワゾン姉妹(金髪のジャンヌと栗毛のカテリーヌ)の描写という説もある。
「La Bourbonnoise, Gavote ブルボンの人、ガヴォット Gaÿement 陽気に」 オルドル内2つ目のガヴォットは長調で軽やか、前出のものとは性格が異なる。やはりなぜここでガヴォット?という感はある。拍子記号に注目していただきたい。クープランはガヴォットに3種類の拍子記号、₵(日本では英語でカットCと最近呼ぶようになった。アラ・ブレーヴェ、2/2とは本来の意味と異なるので私もこれを支持する)、2、4/8を与えている。この曲は数字の2のみで、前出のガヴォット₵より速いと考えられる。対応する人物としてはクープランの弟子だったブルボン公爵夫人のルイーズ=フランソワーズ、その娘のルイーズ=エリザベト・ド・ブルボンあたりだろうか。単純、素朴な中にも品のあるダンスに仕上がっている。余談だが「ブルボン」は日本では菓子会社の名前、というとフランス人に受ける、というか理解してもらえない。。。
「La Manon マノン Vivement 快活に」 長調の曲が続く。マノンとは「ちっちゃなマルタちゃん」の意味。当時の女優で劇作家フロラン・ダンクールの娘という説もあるが、曲想からすると元気溌剌で思い切りの良い性格の女性だったろう。左手の大胆な和音やダイナミックなゼクエンツ(m14〜)などから推察される。
「L’Enchanteresse 魅惑」 オルドル後半の逸品と言ってよいだろう。またもやロンドの名作登場である。中音域で途切れなく続く符点リズムが、耳を心地良くくすぐり脳を魅惑するのだ。しかし最後のクプレは一転し連続する16分音符の応酬、とめどなく流れる水の描写であろうか。細かい転調なども巧みで嫌でも気分は盛り上がる。その後最後にこのロンドテーマを静かに弾くのは私的には至福である。リシュレ辞書によれば「魔術や呪いで人を驚かせる魔女、転じてその美貌や振る舞いで人を魅惑する女性」。
「La Fleurie ou la tendre Nanétte 花盛り、フルリーまたは優しいナネット Gracieusement 優雅に」 前出「ナネット」に続くもう1人の「アンヌちゃん」は一体誰なのだろう。王太子と女優ラ・レザンの間に生まれたアンヌ・ルイーズ・ド・フルリーかもしれない。彼女はクープランの弟子コンティ公夫人に育てられた。あくまでも気品溢れる愛すべき一輪の花といったところだ。長調の6/8拍子だが、この後に短調で同じ拍子の曲が続く。そのコントラストを味わいたいのでこの辺りは続けて演奏したい。
「Les Plaisirs de Saint Germain en Laÿe サン・ジェルマン・アン・レーの愉しみ」
クープランはこの街に1710年から6年ほど住んでいた。しかしこの入魂の第1オルドルを締めくくるのに、何故この地味で暗い、燻銀のようなロンド(多少変形ではあるが)なのだろうか。初めて弾いた時、え、これが終曲?それで一体どこが愉しいわけ?と困惑さえしたのをよく覚えている。おまけに一応6/8拍子(後半の11曲中、6曲がこの拍子であることにもご注意)でジーグでもあり、皮肉たっぷりな感じさえ受ける。このオルドルを通じて描かれているらしい?英国のどんよりした灰色の空気がここにも鎮座している。今ならパリの中央部から北西方向へ、RER(地域急行鉄道網)のA線で半時間もかからないこの街はドビュッシーの生地としても知られている。終点駅(ちなみにA線の反対の終点はディズニーランドである)を降りると眼前にあらわれる12世紀からの歴史を持つその城は、1689年にルイ14世がヴェルサイユへ移るまで国王たちの住まいであった。亡命した英国王ジェームズ2世はルイ14世の庇護のもと、1701年に客死するまでその城に暮らしていた。クープランが亡命貴族たちと関わりがなかったわけはなかろう。彼らの描写なのかもしれないし、自身の当地での物憂げな気分を音で表したのかもしれない。冒頭、最初の2つの8分音符が上下で線で結ばれているのは、全く同じ音(ユニソン)を表す記号で、意外に役立つものだ。舌をまくほど上手く作られている箇所がいくつかあり、思わずうなってしまう(どこかは内緒にしておこう)。
次回は全巻通じて一番曲数の多い第2オルドル、4月中に前半の11曲をお届けする予定です。