島根県の離島でワーケーション
夏に1週間離島でワーケーションしたふー🐮です。この旅でとても人間らしくなった気がしたのと、仲間たちから記事を希望されたのでUPしようと思いました。
島根と言えば…
出雲大社、松葉ガニ、松江城、宍道湖、鬼太郎電鉄(鳥取か)
離島は隠岐の島は海士町(古くからいる地元の人によると島なんて名前はない。隠岐の国だったのじゃ。しいて言うなら隠岐諸島じゃ。)とのことでした。
山陰地方は奈良時代からある古事記で神話がいろいろあるエリアで有名ですよね。
生涯初めての山陰地方入りを果たし、さらには離島の隠岐の島まで足を運ぶのでありました。
移動がフェリーで3時間?!
東京からの移動は、思ったよりハードで、乗り物全制覇しそうな勢いでした。
家から電車で羽田空港へ…。米子空港から電車で境港へ…。港から船で島へ…。
フェリーの乗船時間が3時間!どひゃー🚢 船には等級があり一番下の等級でも片道3,000円越えでちょっとびっくりしたふー🐮です。
ごろ寝しながら航路を行くのです。波に揺られた後、西ノ島に到着します。その後小舟に乗り換えて7分ほどで到着したのが”海士町”です🌴
オープンな島民のみなさん
島全体の2割の方がIターン者という環境や、大人の島留学という大学生や社会人の方の短期島生活体験プログラムがあったりと、いわゆる”地方創生”が活発な印象でした。
フィリピンによく行く私ですが、現地に行くと海外の人ってじろじろ見られがちですよね👀
日本の離島で、ちょっと緊張してたんですが、”あ~あなた観光客ね””どこから来たの~”という近すぎるわけでもなく、ただただすれ違う感じはやはり日本人かなぁと居心地よくなったりしました。
実は、移動で東京から約10時間くらいかけて島に到着したので、体感的に時差でもあるのか⁈いやいや、フィリピンの方が近いのか⁈という錯覚に陥ったので、気分はちょっと海外旅行に近い。でも日本。不思議な感覚でした。
車で島の端っこまで行くのに約30分。その間すれ違うのは数台の車なんだけど、時々目にする🚲隊。これは島留学生の人たちなんだとか。Iターンの人こそ、車道をテクテク歩いていたり、私も滞在先からWIFIのある図書館まで30分ほど歩いていました。
歩いても歩いても田んぼ♡
ふーはフィリピン留学したときに東京砂漠から逃れたい一心で(アゲイン)日本脱出計画を立てました。そんなふーはこの離島の景色もとても心穏やかにホニホニしながら歩いていたのです。
写真下側の黄色い雑草は、セイタカアワダチソウって言います🍃あちらこちら、うっそうと茂っていて、ミモザみたい~とか思っていてGoogleレンズで調べてしまい名前を覚えてしまいました。イタチとも遭遇!初見、プレーリードックかと思った。←
島のダウンタウン、図書館に到着
滞在中は、ここでお仕事させていただきました。”開発センター”と称された、教育の心臓部と、公民館、図書館がセットになってます。カウンセリングが業務の私にとって、ちょっとした電話ブースがあったり、PC電源用の机が用意されていたり、フリーWIFIが整っていたりと、とてもありがたいワークスペースでした。
何と言っても、窓からの景色…。このコラムのTOP画がそうなんですが、窓からのそよ風と、その風に揺られる稲穂たち。時々通る軽トラック。心が浄化されます。
街にはコンビニも、ドラッグストアもなく、歴史を感じながら、自然と共存する、人間らしい生活がありました。
フィリピン留学の時に、気づかされたのは、家族の大切さでした。留学が終わって家に帰ったら家族にありがとうを伝えようと思いを胸に帰ってのを思い出させる島滞在となりました。
今回のワーケーションでは、人間とは、生きることとは、を考えさせられました。
今、大事にしていることは本当に大事なのかとかね。
旅の終わり
滞在中は、天気にも恵まれて🌞心と目が浄化される島根ワーケーションもアッという間に終わり、東京へ戻るのですが、家に戻るまではやはり12時間ほどかかりました(゚∀゚)
線路沿いのアパートに住んでいたふーは、東京をビシバシ感じざるを得ませんでした。もぉ、その瞬間から島根に戻りたいっって思うほど、逆ホームシックになりました🌎
コロナがきっかけかもしれません。こういう働き方ができるようになったのと、それを認めてくれる仲間に出会えたことも。
私のコロナ真っただ中は、ロックダウン中のフィリピンいて、極限状態を味わったのですが…このワーケーションは、改めて日本の素敵なところを探すきっかけにもなりました。
人生出会いと別れの繰り返し、ちょっと一言いいですか?
ありがとうございました♡
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