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ベトナム歴史秘話:なぜ虎と象は死闘したのか?動物同士のコロシアム「虎圈」
ベトナム中部にある古都フエには、かつて虎と象の動物同士での死闘が行われていた遺跡、まるでローマにあるような円形闘技場が今も残っています。なぜこのような場所が約200年前に作られたのか?そして、そこではどんなことが行われていたのか?
2022年は寅年。そこで新年最初の記事は、トラに関係するベトナムの史跡「虎圈」について調べて書いてみました。
1. 世界遺産「フエ建造物群」にある虎圈
虎圈(こけん)、ベトナムではHổ Quyền、英語ではTiger Arenaと呼ばれる場所です。なお「圈」という漢字は、家畜などを囲いに入れるという意味があり、現代の日本では限られた区画という意味で"大気圏"とか"圏外"といった用語で使われていますね。(「圏」は「圈」の略字です)
鉄道のフエ駅から約3.2km、バイクタクシーなどでも10分程度、木々が多いですが民家も立ち並ぶ場所にポツンとあります。
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以下、2021年5月に実際に現地へ行って撮影した写真も含め紹介します。
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上記写真の中央上部には、かすれて消えそうになった虎圈(右が虎、左が圈)の文字が見えます。
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円形部の周囲を巡ると虎用の出入り口もあり、中をのぞくと
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虎の収容室の先に闘技場の広場が広がっています。
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他にも外周部には、象や人間も出入りした入り口もありました。
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ではこの建物はどいう経緯で作られたのでしょうか?
2. ヨーロッパ人が見た虎と象の戦い
実は、この建築物「虎圈」ができる前にベトナムのフエで虎と象との戦いを見学した人がいます。それがフランス人の園芸家で宣教師でもあったPierre Poivre(1719~1786)です。
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当時ベトナムでは、後黎朝は衰退し皇帝は名目上のものとなり、北部を支配する鄭(チン)氏と中南部を支配する阮(グエン)氏が争う時代でした。1750年、阮氏が治めるフエを訪れた彼は、中心部を流れるPerfumeRiverに位置するDa Vien島で開催された虎と象の死闘を見学し記録に残します。
彼の記録では、計40頭の象によって計18頭の虎が殺されたとあります。一方的な虎の敗北理由として彼は、虎は長時間檻に入れられ、爪を切られて口を縫われ、戦う時は飼い紐のようなもので首と杭が繋がれて自由に身動きができなかったと記録しています。
なぜこのような虎の虐殺ともいえる動物同士の戦いが行われたのでしょうか。
まず1つ考えられるのは、ベトナムでは古代から象が軍事力「戦象」として活用されており、相手が虎のような猛獣であっても恐れずに突進して叩きのめす勇敢な象が必要とされていた、その訓練の一環という点があります。
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そしてもう1つは当時、虎が悪、象が正義の象徴といった観念があり、2つを戦わせる際、正義が必ず悪に対して勝つようにする(万が一でも正義が負けると困る)ため、あえて虎が負けるようにハンデを負わせたものと考えられます。
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その背景として象は皇帝など身分が高い人の乗り物としても活用されたり、人々の生活にも活用されるなど良いイメージでしたが、虎は身近にいながら人々に襲い掛かるなど怖い存在でした。
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例えば120~130年前、ホーチミン近郊のブンタウでは、電信局を建設していたイギリス人の住居の食堂にトラが侵入したことや、バリア市場で老婆が虎に襲われて食い殺されるなどの事件がありました。1889年頃、サイゴン(現ホーチミン中心部)郊外においても多くのハンターが虎やヒョウといった猛獣を捕まえていたとあります。
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そしてこのような悪の象徴である虎と、正義の象徴である象との戦いは、古代ローマにおける剣闘士の戦いと同じように、身分の上下を問わず人々にとっての娯楽でもあったことでしょう。フランス人Pierre Poivreが鑑賞した1750年も、君主である阮氏は廷臣を連れ12隻の船でDa Vien島を訪れて、虎と象の戦いを鑑賞したとあります。
3. 寅年に作られた「虎圈」
そして半世紀後、阮氏の血を引きベトナムを統一した阮朝の嘉隆帝(在位1802~1820年)の時代にも、虎と象との死闘が行われていました。しかしその時、事件が起こります。
繋いでいたロープが外れて自由になった虎は、ジャンプして象に飛びかかり、象に乗っていた象使いの人を攻撃。彼は象から落ちて死んでしまいました。この事件は、鑑賞していた皇帝と人々を恐怖させたことでしょう。
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そして次の明命帝(在位1820~1841年)の時代にも事件が起こります。1829年、明命帝は、比較的安全と考えられる船の上からPerfumeRiverの北岸で行われた虎と象の戦いを鑑賞していました。しかし虎はロープを壊して、川に飛び込み明命帝の乗る船に泳いで向かってきたといいます。皇帝は慌てて棒などで追い払い、最終的には兵士が乗った別のボートからの攻撃で虎を殺したとあります。
この事件が契機となり、安全に観戦できる場所の必要性を感じた皇帝は、専用の闘技場建設を命じます。そして翌1830年の寅年に出来上がったのが「虎圈」でした。
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闘技場「虎圈」は外周145mの円形で、内側の壁は高さ5.9m、外周部では4.75mの壁に囲われており、城壁の上にいる皇帝や観戦者は安全な位置から、虎と象の死闘を鑑賞することができました。
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以降、通常は毎年春に開催されていたという象と虎との戦いが、最後に開催されたのは1904年、第10代皇帝の成泰(タイタン)帝の時であったとされます。その時、鑑賞した人の感想も残されています。
最初の象は虎を恐れており、虎を見ても戦いを避け続けていた。その後メスの象が闘技場に入ると虎に挑むために近づいてきた。鑑賞していた皇帝は、「このゾウはとても勇敢だ!」と褒めたところで虎が飛びかかり象の額をつかんだものの虎は倒れてしまい、慌てて元の場所に戻る。象は怒り大声で咆哮すると同時に、頭に力を込めて突進し虎を壁際に押しやった。象が頭を上げると虎は地面に倒れ込み、すかさず象は足を使って虎を踏み潰した。
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しかし虎圈での戦いは、これが最後となります。既にフランスの植民地となり近代兵器の威力を知ったベトナムでは、軍事力としての象は必要性が低下していたでしょうし、西洋的な考えも広まっていきこのような動物同士での戦いを鑑賞することは、野蛮な行為とされて忌避されていったのかもしれません。
その後100年近く放棄されていた虎圈は、21世紀になってから世界的にも珍しい建築物として修復され現在へ至ります。
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さて、今年2022年後半には自由にベトナム観光ができるようになるのではないかと期待されています。古都フエを訪れた際は、有名な王宮にも加えて虎圈へも足を延ばしてみてはいかがでしょうか?
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4. ベトナム史の秘話を紹介中
苛政は虎よりも猛なり。そんな苛政を行った皇帝たちの話
中部のフエに対し、北のハノイにおける秘話
中部のフエに対し、南のホーチミンにおける秘話
サイゴン近辺に虎が出没した時代に存在した巨大水上建造物の話
5. 今回参考にしたサイト
Hue Monuments Conservation Center(ベトナム語)
Trithuc.vn(ベトナム語)
Kham pha di san(ベトナム語)
20世紀初頭の南部での野生動物の狩猟(ベトナム語)
最後に。「フエ観光情報促進センター」も含めて日本語のサイトでは「虎園」として紹介されていることが多いですが、「虎圈」と”圈”の字で彫られているのでこの記事内では 虎圈として紹介しています。
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