残像のアーカイブ:MAMA②
あたりめです。
ケアできた?茶 飲んだ?ご飯食べた?寝た?
ホビペンは私を甘やかすのがたいへん上手いので、釜山コンの記事を書いたとき『もっと長くてもいいのに』なんてことを言われていた。ありがたく甘えさせてもらった結果、大台の1万字を超えることになってしまった。おもろすぎるだろ。論文なんよ。
お靴様の話しますね。
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これはヒール付きのショートブーツでいいんだろうか?とりあえずここではそうさせてもらうこととします。
まずヒールのある靴ということ自体が珍しく、履いているだけで目がいく状態だった上に、MOREの時に着用していた光沢のあるトップスを1枚脱いだことで、Arson以降はブーツだけが唯一光沢のある装飾になっていた。ホソクさんが一歩踏み出すたびにブーツが ぎらっと光るのがスタンドからでも確認できて、私はもうメチャクチャに惹き込まれてしまったのだ。素敵だったな〜〜〜〜〜。
まるで混沌の中を力強く歩んでいくその一歩一歩が強調されているようだった。
ステージ前のインスタにわざわざ靴だけの写真をあげていたくらいなので、かなりこだわった(もしくは気に入っていた)ポイントなのでは?と個人的には思っている………ホビペン各位、推しのヒール姿はどうだったのよ、ねぇ、コラちょっと目ぇ開けなさい、白目むかないでよ戻ってきて!!!!!!!しっかりしろ!!!!!!!!!!
混沌繋がり(混沌繋がり)であげると、曲終盤にあった、ホソクさんの後ろをダンサーさんが走り抜ける演出もメチャクチャに好きだった。なんというか、生き急ぐかのように過ぎていく時の流れに取り残された "混沌の中の孤独" みたいなものを強烈に感じたのだ。
同じタイミングで出ていた炎の色にもかなり目がいった。赤だけではなく、青や緑っぽいものもあった。この とにかく詰め込む要素の多い感じ、とても 'j-hope' でたまらなく好きだ。
全部担当したとか言われてしまうとだな……………あれもこれも気になってしまうんだ……………そうなるとやっぱアレもだな…………………書かなければならんのでは………………………………………(こんなんしてるから長なる)
カメラワーク…ちと よろしいか………?
私はそのへんの知識が微塵もないのでGo○gle先生に頼ってみたところ、撮影方法としておそらく『トラック』という手法がメチャクチャ多用されていたのではないだろうか…と思うのです。(有識者がいらっしゃいましたら大声で教えてください 切実)
この手法で撮影するとどうなるのかというと、シーンをカットすることが減るので よりストーリーを表現できたり、場面の情報量が増えるとのこと。臨場感を出したいときによく用いられるらしい。
臨場感なァ〜〜〜〜〜〜〜臨場感しかなかったよな〜〜〜〜〜まんまとやられてんだな〜〜〜〜〜オレたちは〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
MOREの時にはスピンショットと呼ばれる、被写体(ホソクさん)を軸にして くるっと周囲から撮影する手法なんかも使われていた気がする。これもまた臨場感を生み出す撮影手法だ。
全体的にカメラワークがずっと "対する何か" からの視点になっているような感覚があって、このあたりもJITBの世界観をとんでもなく魅力的に表現していたように私は感じたのだ。
そして、MOREとArsonで共通して思ったのは、恐ろしいほどに『被せ』を活かしていたということ。特にArsonはもう本当にたまらなかった。
自分でも改めて整理するために書くと、『被せ』というのは、ざっくり言うと "生歌とCD音源の2つの音を調節して流す方法" のことを指している。
被せは基本的にライブの完成度を保ったり、ボーカルに厚みを出したり、公演が複数続く場合に喉を守ったりすることを目的として、いわゆるアーティストの補修要素的なものとして使われるのだと思っていた。
ロラパルーザの時にもその片鱗は見えていたのだが、OMG……………MAMAよ…………………………
この男、完全にパフォーマンスの一部として被せを利用している。何者なんだマジで。
普通であれば 音源流してまっせ〜〜〜 ということを強調しないよう、歌う際に上手く重ねにいくところなのだが、あまりにも "モロ" すぎて笑ってしまった。
もはや『オレ、カブセ、スキ』というタスキをかけながらステージを練り歩いているようなものだった。堂々たる宣言スタイルである。
どこか "ペルソナとシャドウの対峙" を思わせるような被せの用い方はロラパルーザの時と近しい感じがしたけれど、その目的は全然違ったんじゃないかと思っている。
おそらくロラパルーザでは、1人で1時間10分という長尺をやりきることを念頭においた被せになっていたはず。被せでJITBの世界観は表現しつつも、メインの目的としては被せの力を借りて抜くところはちゃんと抜いて、最後までクオリティを保ってやりきろう、みたいな感じだったと思うのです。いわゆる "被せらしい" 利用目的だった。
対してMAMAは授賞式ということもあり3曲、時間にすれば約10分のステージだった。だけど、ロラパルーザと同じように、"抜くために" ホソクさんは被せを使った。ただ絶対的に異なるのは、クオリティを保つための助けとしては利用していないということである。明らかに表現のために "あえて抜いた" のだ。
助けとしての要素を持たせず、表現としての要素のみを被せに持たせたことで、ロラパルーザの時とは比べ物にならない程に、その世界観に深みが出ていた気がする。ずっと歌い通すよりも、音源だけの間もあることで "もう一人" の存在を意識させるような感じ。被せの音はあとから調整もできるはずなので、ロラパルーザ現場での音の大きさがどれくらいだったのかは分からないけれど、MAMAの被せは実際メチャクチャ音がデカかった。完全にもう一人いた。
あの場にいた人はもちろんだけど、画面越しに見ていた人も、没入感ハンパなかったのではないだろうか………?
ホソクさんはMAMAのステージで、被せをパフォーマンスの一部として、彼の "遊び" の一つとして、これ以上なく巧みに使ってしまったのだ。いよいよ感が漂いまくっている。"現場の人" すぎるだろ。
被せをこんな風に使う人っているんだな…本当にどんなものの可能性だって見逃さない人なんだ……物事を多角的に見る能力に長けすぎている………マジで常に全方位にアンテナ張ってんだ…………なんか声張れなくなってきた……………ホビペン調子どう……………………………………………?
ハッキリ言ってもう2曲で息絶え絶えだったが、ホソクさんは容赦なくとどめを刺しに来た。頼むから帰宅する気力だけは残してくれ。
最後の 'Future' はあろうことか楽曲が少しアレンジされていた。全部やるな!!!頼むから!!!全部やらないで!!!!!!!
MOREやArsonと異なり、Futureではホソクさんの "歌唱" が存分に味わえる。完全にフルコースを堪能している状況である。本当にありがとうございます。モグモグ
………私は一体何を見せられているのだろうか?ミュージカル?もしかして来るとこ間違えた?
壮大がすぎている。何なんだマジで。どこまで人をワクワクさせるのが上手いんだこの人は。
入り部分の映像で燃え尽きた街並みに緑が芽吹いた瞬間、己に住み込むノブが『ちょっと待て』と叫んだ。おそらく顔もノブになっていた。当然ながらノブになったところでホソクさんは待ってくれないので、泣きながらしがみついていくしかなかった。絵面が悲惨すぎるだろ。何しに行ってんだよ。
Futureでは被せを被せらしく利用し、基本的には重ねていくように歌っていた。ボーカルに厚みが出て、会場の隅から隅まで、すべてがホソクさんの声に包み込まれていた。多幸感〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!
Arsonで触れたことと重なってしまうけれど、ここでもショートブーツの輝きがメチャンコ良い仕事をしていたと思う。同じものから放たれているはずの輝きが、全く別のものを表現しているように見えたのだ。
Arsonの輝きからは踏み出す一歩の力強さ・威圧みたいなものを、対してFutureの輝きからはそのまま "希望" を感じた。オノマトペで言うとArsonは『ギラギラ』、Futureは『きらきら』みたいな感じ。
終盤、子どもたちが登場したくらいのタイミングで映像に虹が現れたのを発見したときは、マジでひっくり返りそうになった。家だったら確実にひっくり返っていた。
Futureという楽曲には虹のモチーフがぴったりだ。一つひとつには決して永遠はないのだという儚い事実、その流れに逆らうことは出来なくて、流れるままに今を生きていく。だからこそ "繋ぐ" ことの大切さ、希望ある未来が必要なのだと歌う。虹は "一定時間で消え" 、"空を架ける(繋ぐ)" 存在。くそ〜〜〜〜〜くそ〜〜〜〜〜しか言えねぇ〜〜〜〜〜〜〜ウウウ
あまりのことに情緒が乱れすぎてしまい、身体がちぎれかけていたのだが、最後の最後、この男はやった。
お疲れ様でした。
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ここで詳細に書くことは控えますが、ホソクさん、本当に本当にありがとう。ありがとう以外で伝えられないのが、もどかしいです。
いよいよあなたたちのその関係性、アミとの向き合い方、何と呼べばいいのか分からなくなってきている私がいます。感謝と、リスペクトと、愛と、誠実さと。篠原涼子みたいな字面になってしまった。真面目な気持ちで言葉を並べたのにこうなった。もうやめとこう。ジンくんの窓拭き音が聞こえる気がする。
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※ここからは単純に私が大切にしたいだけの、本当に個人的な内容になります。ご了承ください。
MAMA終演間際のホソクさんの様子を伝えたツイートが、翻訳され海外の方にまで届きました。
あくまでもこのツイートはホソクさんの様子を伝えたものだったので、私宛にあたたかいリプを本当にたくさんいただいたのですが、私がそれを受けとることに少し不思議な思いもありました。
ぜんぶぜんぶ、ホソクさんの誠実さが生んだ温度だから、ホソクさんにこのまま届いてほしい、どうしたらホカホカのままホソクさんを包めるのかな、と、夢みたいなことを悩んでいました。とても、とても幸せでした。
私が確認しただけでも、韓国、アメリカ(英語圏)、台湾、インドネシア、タイ、トルコ、イタリア、ロシア、エクアドルのアミが翻訳してくださいました。本当に、マジのマジで世界中にアミはいるんだ…
お礼を伝えたのですが、いただいた返信を見て、もう本当に…本当にたくさん泣きました。ずっと泣いてました。
※引用許可をいただいています。
私がnoteに持ち込んでまで書きたいと思ったのは、この件で改めて感じた『ボラへ』という言葉の偉大さです。
すこしテヒョンの話を書かせてください。
『ボラへ』は、テヒョンが自分のなかにある想いを100で伝えるために、自ら生んだ言葉ですよね。
テヒョン〜〜〜世界でいちばんやさしくてあたたかくてまっすぐなあなたのその想いは、私たちアミ同士を繋ぐ世界共通言語になってるんだよ〜〜〜〜〜、君はメチャクチャすごいことをしてるんだ。
使う言語が異なる以上、どうしたって100で伝えて100で受けとることは難しい。
でも、『ボラへ』だけは違ったんです。
そのまま、そのまま受けとれた。相手がどこの国で生きている人かなんて、ひとつも頭によぎらなかった。100のやりとりってこんなに涙が出るんだ、大切なんだって、そう感じました。
テヒョンは 0 から 1 を生み出すのが本当に得意だなと思う。その 1 を惜しげもなくまわりの人に与えるし、受けとるのを躊躇ってしまうような人をそこへ連れ出すのも本当に得意だ。どんなしがらみだって軽やかにぴょんと乗り越えてしまう。君のそんなところに今日も、"自分の世界がちょっぴり広がった" という人がきっと、たくさんいる。
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私はMAMAの2日前に会場に向かえることが決まったので、気持ちが全く整わないなか、大慌てで作った私のトンデモボードについて『結局アレはどうなったんですか?』と気にかけてくださっていたフォロワーさんがチラホラいた。
こんなもん出せるわけないだろ!!!!!!!!!!
温度差で風邪引くわ!!!!!!!!!!!!!!
私は完全にTPOを間違えた。いつでもオモロに走っていいわけではない。MAMAは授賞式なのだ。フォーマルなシーンでおふざけに振り切ったブツを出すべきではないという判断ができた自分を褒めたいと思う。自宅でフラミンゴ(※別ボード)を印刷しながら動画を撮っていたあのときの自分はきっと何かがおかしかったのだ。正気ではなかった。
このボードは2025年以降、バンタンが再び7人でステージに立つその時に出せたら良いんじゃないかと思う。その頃にはフラミンゴも懐かしさがあってより輝きを増しそうだ。私は一体何の話をしているんでしょうか。これがオチだよ。