ともにある情感:1230 V
あたりめです。
12月30日はテヒョンのセンイルでした。
改めて、お誕生日おめでとうございます。大好きな、大好きな友だち。
テヒョンがこれまでに贈ってくれた、たくさんのプレゼントのことを考えていた。
テヒョンが選ぶのは、『あなたの好きそうなもの』というよりも『僕の好きなもの』、もしくはそれをほんのり感じられるものであることが多い気がする。それに、プレゼントというよりどこかシェアっぽい。
プレゼントです、と言って彼の手から離れ、私が受けとったその瞬間から "私だけのもの" になる感覚があまりないように思うのだ。
テヒョンは時にいたずらを企む少年のような おどけた表情で、時に部屋であたたかいドリンクを両手で包み込みながら、また 時には背中にまわした手に一輪の花を隠しながら、私たちに『僕の好きなもの』を贈ってくれる。そこにテヒョンは、『僕の "好き" とあなたが ともにあることで生まれるもの』を見つめているように思えてならないのだ。
有形と有形の狭間に漂う無形の濃密な情感を、テヒョンは生きる上で 他の何にも代えがたい、たからものにしているように感じられる。テヒョンが最も与えたいもの、贈りたいものは、もしかすると そこにかたちなく漂う情感なのかもしれない。
テヒョンの歌を聴いたり テヒョンの姿をみていると、私はなぜか泣きそうになってしまうことが多かった。何もかなしくないのに、である。
今すこし考えると これは、彼が彼のすべてで感じとり、掬い上げ、抱きしめてきた 濃密な無形の情感が、"キムテヒョン" を介することで私にも みること・ふれることが出来るようになるからなのかもしれない。
生きていくなかで知らず知らずのうちに失ってしまったものであったり、みえているのに気が付くことが出来ず うまく捉えられなかったものたちを、テヒョンは自身を介して私にみせてくれる。本当に惜しげもなく、すべてをみせてくれるのだ。
"キムテヒョン" を介して初めて みるもの・ふれるものは、その存在の認識をすこし躊躇ってしまうほどに綺麗なものばかりだ。
Layoverの楽曲をはじめ これまでのテヒョンのソロ曲は、比較的音数が少なくシンプルな構造になっているけれど、ぽっかりとした空虚な空間を感じたことは一度もない。そこにはテヒョンが描き・映し出す 濃密な情感が、溢れるほどに紡がれているからである。
彼は誰かとともにあることで生まれるもの、漂う濃密な情感を、恋しさを、"綺麗" を、融け合うように宝箱に重ねて生きている。
テヒョンあのね、『顔が思い浮かぶこと』を『生きること』だと歌ったひとがいる話を、私はきみとしたいんです。