ニノのこと
(とてつもなく個人的なことだと前置きしたうえで)
人は誰しも自分ではない誰かに少なからずときめいて生きていると思う。このときめきを言葉にするのは難しく、長年明確にしたこともなかった。でも「ついつい目で追ってしまうなら、それは恋」と人生の先輩である某漫画家が表したのをつい最近耳にして、ああ、それなら間違いなく私のこの思いは恋だな、と行き当たった。
二宮君と出会ったとき、彼はまだ青年で嵐ではなく、かたや私はすでに大人で既婚者で、もちろん同業者でも知人でもない。でも、テレビで芝居をするその姿を見てとにかく気になり、名も知らぬこの青年をついつい目で追ってしまう、と射抜かれた。ネットのない時代、一介の主婦はお茶の間から見える二宮君(ジャニーズJr.)にそれでも間違いなくときめき、そこから始まった思いは今あらためて言葉にすればやはり「恋」だったのだろうと思う。彼の活躍がとにかく私を幸せな気持ちへと導いてくれた。その後、彼が嵐になっても思いは変わらず、遠くから緩やかにときめき続けていた。
ただ、これまでの間に彼以外にも二人ほどときめく人はいて、盲目的に一途だったとはいえない(なんのカミングアウトだ)。もちろん、こんな話をしているけれど、家庭はあるし、きちんと生活も仕事もしているし、わりと理性的に生きているし、ストーカーでもこじらせでも積む人でもない(と思う)。好きだなぁ、と思って夜眠れなくなることはたまにあるけど、それはとても幸せな小さな個人的な高揚感でしかなかったし。
さて、そんなときめきの相手二宮君が結婚した。私は彼がいつか幸せな家庭を築いてくれることを望んでいたし、お芝居や仕事の糧になるだろうと楽しみにもしていたし、そうなっても自分のこのときめきは未来永劫変わらない、と信じていた。公言もしていた。だって二十年以上変わらなかったんだもの、と。そしてその時はやってきた。想定内、想定内、と乗り越えていく予定だった。
だがしかし、だがしかしなのだ。説明できない気持ちはやってきた。日を追うごとに、なんともいえない寂しさで心が覆われていく。報道の翌日はネットもテレビも遮断した。これはあふれる情報と噂と言葉の暴力がいやだったから意識的に。ただ、おかしいと思ったのはその翌日。本人が出ているバラエティに笑えず、我慢できず、途中で見るのをやめてしまった自分を見つけた。あんなに好きだった嵐の曲をイヤホンで聞くことができずに早送りしてしまうことを自覚した。なんだろう。なぜなんだろう。大人げない。説明がつかないまま、苛立つような時間がすぎていった。
そんなとき、車を運転しながら音楽を聞いた。嵐が聞けなくなったのでオムニバスで。そこにかかったのは髭男の「Pretender」。曲が終わる頃、私は泣いていた。初めて聞くわけじゃないのに、びっくりするほど歌詞が胸に刺さった。ああ、そうだったんだ…
やっと今、なんとか自分の思いに素直な言葉を探してみるなら、それはやはり「失恋」という言葉以外にはないのかもしれない、と思うに至った。自意識過剰かよ、お前なんて現実に相手になれるわけでもないのに、などと突っ込まないでいただきたい。ときめきの相手は歴史上の人物だって二次元だってなりうると思うから。遠くても、一方通行でも、心は正直だ。私にはそれが、アイドルの(そして役者としての)二宮君だっただけ。
対象に対する思いが、なんらかの変化によって少しずつ形が変わっていくことは当然だ。相手も変わるし自分も変わる。それに応じて思いも変わる。私だってそれを繰り返してきたと思う。そして、今回もそうした変化の一つだ、と思っていた。さすがにこの上なく大きな変化ではあるけれども。だけど、この変化に今まで経験したことのない、異物を飲み込んだような違和感を感じてしまった。説明はつけられない。つけられないけど、自分の気持ちに正直になるなら、それはやはり喪失であり、なんとか言葉にするなら「失恋」なんだと言うしかない、ということだ。髭男が気づかせてくれた。
タイミングが、相手が、とかいろんな言い訳を並べてみても、逆ギレ的に怒りに置き換えようとしてみても、どれもこれも刹那的で対処的なものでしかなく、このなんともいえない寂しさをごまかすことはできないままだ。人と分かち合うむなしさも違う。なぐさめもほしくない。だから、ただただ素直にそれを「失恋」だと認めないことには彷徨してしまいそうだ。私は恋を失った。その事実に心が弱っている。それ以外結局どうしても言葉が見つからない。
こんな気持ちになると思わなかった。たとえ変化を突きつけられても、受け入れて祝福して波乗りのように華麗に口笛吹いて越えていけると思っていた。でも、現実は違った。自分の小ささがいやになるほど、勝手に私は胸を痛めて乗り越えられずにいる。自分の隅っこで体育座りしてうずくまる心をもて余している。「たったひとつ確かなことがあるとするのならば君はきれいだ」と髭男は歌った。涙が出る。私がたったひとつ挙げるなら「二宮君は素敵だ」しか確かなことはない。それは変わりやしない。変わらない。だからこそ私は失恋したんだ。こんな失恋は人生でそう何度もあるもんじゃなく、もしかしたら私には最初で最後の経験かもしれない。歌う彼が、笑う彼が今は辛い。これはグッバイ、なんだろうか。違うフェーズでまたときめくことができるんだろうか。役を演じる彼ならそこに入り込んで惹かれていくだろうか。初めてすぎて、予測ができない。もちろん、この思いを理解できない人がいても仕方ない。わかってもらおうとも思わない。私ですら予想しなかったし、この寂しさとだめだめな自分に私が一番とまどっているくらいだから。
とてつもなく長くなったけど、ともかくそんなわけで、私は今、人生で最大級の「失恋」をしたにちがいない。今はただそれだけだ。先のことはなにも見えない…