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【短編】この世界に唯ひとつのもの(中)
青い瞳を潤ませ、甘い吐息をこぼすかのように姉は言葉を紡いだ。
「テーブルも椅子も、クロスも食器も、もちろんケーキやクッキーのレシピに茶葉の種類まで、すべてがとんでもなく素晴らしかったわ。たくさんの人たちが招かれたの。入れ替わり立ち替わり。ジョージはね、天使みたいに綺麗な人なのよ。彼のお茶会に行きたいって、みんな憧れるの」
私の目の前に、むせかえるような薔薇の香りの中で開かれるお茶会が出現する。姉の言葉の一つ一つが形になって、ページをめくるが如く鮮やかに展開されるシーン。私はいつしかその物語の中に紛れ込んでいった。
ある日、テーブルの隅で静かにお茶を飲んでいると、一人の女性が真っ青な顔をしてやってきた。
「なぜ私は呼ばれないのです? 昨日まであんなに楽しい時間を一緒に過ごしたではないですか」
「君は昨日、木立の間を行くときにスミレを踏んだね? だからさ」
「スミレ?」
「お母さまはスミレがお好きだった。それはそれは大事にされていたんだ。その花を気にもせず踏んでしまうなんて……君とはもうお茶は飲めないよ」
私は唖然としてしまう。はしゃぎながら歩けば無意識にそんなこともあるだろう、それなのに……。けれど泣きながらお茶会を後にしたのは彼女だけではなかった。ケーキの味に意見した人も、テーブルの花を動かした人も、ジョージに新しい茶器をプレゼントした人も、人形に触ろうとした人も、いつの間にかみんないなくなった。
そう、彼のお茶会のテーブルには、とても愛らしい人形が座っていた。それはジョージが母親の誕生日にプレゼントしたもの。そして、それを自分だと思ってほしいと遺されたもの。
人形は毎日違うドレスだった。豪華なレースがついたものから、夏らしい明るく爽やかな薄物まで、その日の天候に合うものをきちんと選んで着せられているのだ。それはお茶会に出席した女性たちの誰もが羨ましがるほど、どれもこれも手の込んだ素晴らしいものだった。
私の横で優雅にお茶を飲んでいた姉がそっと呟く。
「みんなみんなお母さまのお好きなもの。一緒に過ごした幸せな日々のもの。ジョージはこうやってかつての時間を繰り返すのよ。誰よりも、何よりも、幸せだった時間をね」
さあっと風が梢を揺らした。夢のお茶会が霧散していく。私の前には姉の青い瞳。それは心なしか憂いを含み、切なさを感じさせた。私は思わず口を開いた。
「お姉さまも? お姉さまも失敗したの?」
「いいえ、私は何も」
姉の言葉にほっとする。けれどそれならばなぜ、そんな悲しそうな顔をするのか。私の心を読んだかのように姉が言葉を重ねた。
「いいえ……きっと失敗していたでしょうね。だけど許されたのだわ」
「許される? どういうこと?」
「私が……そのお人形にそっくりだからよ」
金色の巻き毛、青い瞳、薔薇色の頬、陶器のような肌。自慢の姉は精巧なビスク・ドールのように美しい。だけどそんなことって……。想像もしなかった事実に、私は返す言葉を見つけらない。けれど姉は気にする事なく話を続けた。
「ある日、花柄のドレスを着て行ったら、お人形とお揃いだったの! 町で一番の仕立て屋の、その夏の人気柄よ。色違いで数種類出て……、店に並んだその日に出かけて行って選んだわ。年に一度のお楽しみですもの! そうしたらね、たった一枚しかできない色があってね、迷うことなくそれにしたの」
「……一枚、もしかして! その布が余ったの? お姉さまのドレスを作った後の布……そしてそれはお人形にぴったりだった……」
姉がうっすらと微笑んだ。
「そう。ジョージは町の仕立て屋でお人形のドレスを作らせていたのよ。色を柄を素材を、吟味して吟味して。たった一着しかできないものなんて、心くすぐられて当たり前よね」
人と人形が一枚を分け合ったなど、誰が想像できただろう。残り布をジョージに見せた仕立て屋は何を想っていたのだろうか。
「でもお姉さまとお揃いだった……。ジョージさんは怒った?」
「いいえ、笑ったわ。それはそれは嬉しそうに。そして言ったの」
「……なんて?」
「明日から君があの席に座ってくれたら、僕はもっと嬉しいだろうか? って」
私は息を飲んだ。姉は……なんと答えたのだろうか。またしても、言葉もなく彼女を見つめれば、綺麗な唇がゆっくりと弧を描いた。
「私、お断りしたの。あなたの希望には添えないから、これで失礼するわね、って。それが最後のお茶会よ」
だってそうでしょう、と姉は微笑みを深めた。
「今はお人形にそっくりでも、私は変わってしまうもの。あの人の求める永遠には決してなれない。彼は、彼が美しいと信じるものを損なってはいけないのよ」
「でも! お姉さまがそうしてあげれば、ジョージさんも変われたかもしれないわ!」
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