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働き手にとってのコミュニティホスピタル|#06 小嶋 秀治 医師(前編)
こちらのシリーズでは、コミュニティホスピタルで活躍するメンバーのこれまで・現在・そしてこれから歩みたい道のりやルーツをお聞きしていきます。
今回は、総合診療プログラム「CCH総診」の指導医、水海道さくら病院(※1)の小嶋 秀治医師(記事の時点で医師22年目)です。
※1 2025年度より総合診療専門研修プログラム基幹病院に認定
総合診療医、家庭医であり、実は整形外科専門医でもあります。これまで進んできた道のりは、自らの経験にもとづく想いと出会いによって、歩んできた道でした。
前編では、興味深いこれまでのキャリアについて、お聞きしていきます。
小嶋 秀治 医師|水海道さくら病院
病院長(2024.12~)
総合診療科部長・地域連携室室長(2024.4~)
━ まず小嶋先生のいままでの歩みを教えていただけますか?
僕、もともとは医学部ではないんです。実は、体育学部がスタートなんですよ。
中学・高校で陸上競技をやっていて、どうやったら速く走れるのか、遠くへ飛べるのか、科学的なトレーニング方法に興味を持ったんです。
ただ、腰を痛めたり、捻挫をしたりで、思うように練習ができず、実力を発揮できないこともあって。スポーツトレーナーになろうと決心して、その基礎を作ろうと思ったのが、体育学部へ進んだきっかけです。
入学後は、運動生理学を学び、健康づくり事業にも関わりました。
「これからの時代、運動や健康づくりって大事だな」と、興味はスポーツ医学にシフトしていきました。
そこで、医学部へ編入学することに決めました。
ただ、スポーツ医学を学ぼうとしたものの、当時日本の医学部にスポーツ医学の講座はほとんどなくて・・・。その頃に、たまたま医学部の書店においてあった記事に、アメリカに”家庭医療”というものがあって。スポーツ医学も守備範囲だと書かれていて、「よし、見に行こう!」と思ったんです。
当時、ミシガン大学に佐野 潔先生という、家庭医の先駆けの先生がいらっしゃって、そこに見学に行ったことが“家庭医療”との出会いです。
アメリカでは、家庭医がスポーツ医学の勉強を積んでいて、例えばアメリカンフットボールのチームドクターをやっていたり、オーケストラの帯同ドクターだったり。いろんな世界を見たら、“家庭医療”がスポーツ医学のベースにあると良いと思って、それで家庭医を目指すことにしました。
━スポーツトレーナーから、家庭医を目指すことに・・・!そう思ったきっかけはありますか?
スポーツ医学って一言で言っても、例えば不整脈もあったり、ケガとか整形外科領域もあったりしますよね。
運動すると喘息になるものとか、運動性の無月経だったりとか、内科や耳鼻科もあれば婦人科領域も、なんでもありますよね。それを学ぶために、一生かけて何年かずつ内科行って耳鼻科行って婦人科行って・・・ってそんなトレーニングないよね、って(笑)。
その幅の広さ、包括性っていうのをどうやって身に付けたらいいんだろうと思っていました。
当時、亀田ファミリークリニック館山の岡田 唯男先生が、家庭医のレジデントとしてアメリカにいらしたので、僕メールを書いたんです。
「こういうことをやりたいんだけど、そのためのトレーニングってどういう風にしたらいいんでしょうか?」と送ったら、岡田先生がすごく丁寧にお返事をくださって。「家庭医療の上に、スポーツ医学フェローシップというのがあるから、家庭医療をベースにするのはどう?」と。
そのときに、会ったことのない、メールアドレスを教えてもらって連絡した学生に、熱意に溢れる対応をしていただいて、その岡田先生の人間性にも惹かれたというのもありますね。
アメリカに見学に行ったときも、乳幼児健診をしたり、骨折も診ているし、離婚の相談にも乗っていて。
あと、この前お亡くなりになりましたが、ミシガン大学家庭医療学科のマイク・フェターズ先生も同じ診療所に働いておられて、妊婦健診をさせてもらって「婦人科もみるんだ、こんな経験は日本で出来ないな」と思いました。
その体験と、人を通して、家庭医療がとても魅力的な世界に映りました。
見学した当時、僕は医学部5年生でした。これは、人を通して、どーんと、すごくインパクトがあった経験だったんですよね。
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ー それから、日本でどのように家庭医療の道を進んだのですか?
僕は語学がそんなにできなかったし、アメリカの医師の試験を受けて、家庭医のレジデンシーをやるのは厳しいと思っていたから、どうしたらいいかと思って佐野先生に相談したんです。そしたら、「北海道家庭医療学センターの葛西 龍樹先生のもとで勉強したらいいんじゃないか」とアドバイスをいただいて、医学部6年生の時にエクスターンシップという泊まりの見学に行きました。そこで、いま同じCCH総診の基幹施設である桜新町アーバンクリニックの田中啓広先生にも出会いました。
北海道家庭医療学センターは日本で初めて家庭医療研修プログラムをつくったところで、僕は7期生になります。
研修医として病院に勤務し、いろんな診療科を回るんですが、週半日はすこし離れた附属のクリニックで研修しました。
ちなみに指導医は、現在の 日本プライマリ・ケア連合学会 理事長 草場 鉄周先生でした。
ー 具体的にどのような家庭医療を学んだのですか?
日本では、複数の家庭医の診療所で学びました。
子供から大人まで、ケガも風邪も、授乳期の乳腺炎の方も、いろんな方が来ます。基本的に村とか町に1軒しか診療所がないから、ほぼそこでカバーしているので、なんとなくこういう病気が多いなとか、こういうことが地域柄多いということを肌で感じる事ができました。
例えば、農村だとトラクターによるもの、漁村だと網に指が引っかかって事故が起きたり、地域によっても違うんだなって。
もちろん、在宅医療もしますし、有床診療所で診療をしたり、へき地では救急患者を車ではなくヘリで運んだりといろんな経験をしていく中で、「自分である程度のことができないと、“この人の命を預かる”っていうことが難しいな」と考えるようになったんです。
そういう考えがあって、いろんなところに修行にいきました。
ー いろんな先生との出会いがあって、繋がり、道が拓けていったんですね。
そうなんです。僕は、今の家庭医療を引っ張っている先生ばっかりに出会えていて、その先生たちに医療のベースを直接教えてもらったんですよね。
当時は、ハーフデイバックという制度でしたが、みんな熱心でワンデイで研修させてもらっているような感じでした。
大病院にいると、当時はまだまだ臓器別専門医の時代なので、家庭医を育てる意識がある先生もいれば、ない先生もいるし。「自分ってなんだろう」という感覚がありました。
でも、その2年後、後期研修医(今の専攻医)になってから、山田康介先生や中川貴史先生のもとで、外来や在宅医療のトレーニングを積んで、家庭医としての自覚を持てるようになりました。
北海道で後期研修を終えて、そのあと5年目からは整形外科の後期研修医になりました。
整形外科の専門医取得のために、普段は整形外科のトレーニングをして、データ入力・分析して論文を書きながら、その傍ら家庭医療の専門医試験も受けるために同時並行で勉強していました。藤沢では併設のメディカルフィットネスセンターを持っていて、そこでメディカルチェックもして、外来、検査、手術、外部の仕事など3年間やっていて。33歳くらいのときですね。
すごく大変でしたが「もうここまで来たらやろう」という思いで取得しました。手術は、人工関節、脊椎なども経験し、外傷をたくさんやりましたね。
ー 相当な忙しさだったんではないでしょうか?小嶋先生の想いの強さを感じます。
忙しかったですね。自分でもあほやな・・・って思います(笑)。
家庭医としてそのまま行くというのもすごく魅力的だったんですけど、僻地でケガ等の対応をしていた経験から、「自分がもっと整形外科のこと知っていれば、この患者さんにもうちょっと良い対応ができたかも・・・」とか、「これって急ぐのか、急がないのか?」というのがやっぱりわからなくて。他の医療機関に相談しようと思って電話したら「急がないし、明日でいいでしょう(ガチャン)」と切られちゃうような経験をして。
自分の中で消化できなくなってきて、やっぱり整形外科をちゃんと習得しようと思ったんです。
ー 想いを実直に行動にうつしていて、すごいです。それからはどんなことを考えてキャリアを積み重ねていったんでしょうか?
僕は、なりたい自分がありつつ、病院を選ぶときには「医療機関が地域にとって、どうあるべきか」も考えていました。
三重大学総合診療科の医局に入ってからは、外来・救急・在宅・病棟・透析・乳幼児健診・地域の健康づくり事業などいろいろなことをやらせてもらって、自分の中で10年位前には思い描いていたコミュニティホスピタルの概念を、そのまま実践していました。
そのうちに、自分ももう50歳手前になり、自分の医師としての人生はそう長くないというのが見えてきて。体力はまだあるので、「自分1人で解決できることには限界があって、自分だけで頑張るのではなく、集団で人を育てて家庭医を増やすことで、解決できることを増やそう」と思うようになったんです。継続性を保てるようになるのかなって。
ー 経験と年齢を重ねて、「家庭医を育成したい」と考えるようになったんですね。
はい、ちょうどC&CH協会との出会いもありました。
2023年の日本プライマリ・ケア連合学会学術大会(以下、JPCA)でC&CH協会のブースを偶然見つけて、“コミュニティホスピタル”と“医師教育”をやろうとしているのを知り、半信半疑で事務局の人と話をした記憶があります(笑)。
その当時、群馬県の病院で初期研修医の教育をしていたんです。初期研修医の教育は楽しくて、やりがいがあったんですが、“家庭医”を目指す医師というのはなかなかいなくて。
その病院では、専攻医教育ができなかったんですよね。楽しいと思いながら、やっぱり家庭医を目指す医師の教育をやりたいなって思っていました。
ー 2023年のJPCA、まさに「CCH総診」が立ち上がったばかりのころでした。すぐに「CCH総診」に参画しようと決めたのですか?
正直に言うと、気持ちは半々でした。
「大丈夫かな?」と思う反面、目指していることは非常に理解できるし・・・。
でも、出来上がった組織に入るという選択肢もある中、実はそれってあんまりおもしろくないなと思ったんです。
それなら、新しく立ち上げることにチャレンジしよう、と。
それと年齢的にも、「挑戦するなら今、この機会が最後だろう」と思いました。そんなに短い時間で成し遂げられるような簡単なものでもないし、かといって長い時間かければ良いものでもなくて。できるだけ短い期間で仕上げて、その次にまたコミュニティホスピタルを創るっていうことをやっていかないといけないと思ったんです。勢いも大切ですし、「やったら楽しいだろうな」って考えて決めました。
ー そうして小嶋先生は「水海道さくら病院」(茨城県常総市)にたどり着いたんですね。
はい、何回もC&CH事務局の担当者の方とお話しました。
水海道さくら病院は、手術もやっていて整形外科も内科もある、透析もあります。そして在宅医療もやっていたんです。もっと僻地をイメージしていたのですが、いろいろ相談して2024年4月から水海道さくら病院に来ました。
後編につづく>
後編:小嶋先生の描くコミュニティホスピタル、これからの展望とは?
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小嶋医師プロフィール
小嶋秀治|水海道さくら病院 病院長/CCH総診指導医
資格|
・日本プライマリ・ケア連合学会家庭医療専門医・指導医
・日本プライマリ・ケア連合学会プライマリ・ケア認定医
・日本専門医機構整形外科専門医
・日本専門医機構総合診療研修特任指導医 等
著書|
・「手掌側の切創。縫合して経過観察でもよいか?」救急対応のエビデンスをぎゅうっとまとめました メジカルビュー社 2024
・予防医療のすべて 「運動による予防」 中山書店 2018
・看護師特定行為研修共通科目テキストブック「急性冠症候群」 メディカルビレビュー 2018
・総合診療専門医のためのワークブック「骨粗鬆症」 中山書店 2017 他多数
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