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【笑ってくれないあさひくん】 #18


 静かな家、読めないラベルの酒、テーブルの上に置かれた金。週に一回、小学の頃は五千円、中学の頃は一万円、高校に入ってからは月に五万円が置かれるようになった。
 この金を見ても、なんの感情も湧かない。


 仕事第一の人たちの間に生まれ、幼稚園の頃までは、じいちゃんとばあちゃんに育ててもらった。
 『あの人』たちと違って、じいちゃんたちからは愛されてたと思う、とても。
 じいちゃんはいつも「勇太はじいちゃんの息子や」と言ってたし、ばあちゃんも「ここが勇太の家」と言ってたけど、その頃の俺は、じいちゃんたちとこの家でずっと暮らすもんだと思ってた。

 たまに「勇太、お家に行こうか」というぎこちない人に手を繋がれ、見たこともない大きいマンションで寝泊まりすることもあったけど、翌日にはまたじいちゃんの家に戻って、「よろしくお願いします」「良い子にしてるんだぞ」と頭を撫で、そそくさと帰っていく二人を見送る。
 この人たちは誰なんだろう。
 なんでじいちゃんは二人に怖い顔をしてるんだろう。
 でも、これは聞いちゃいけないことかもしれない、聞いたら怖いことがあるかもしれない、と子どもながら感じた。


 ある日、幼稚園で、家族の絵を描いてプレゼントしましょうという時間があった。
 俺がじいちゃんばあちゃんの絵を描いていると、隣から「ねぇ、なんでおじいちゃんの絵を描いてるの?」「お父さんいないの?」「勇太くんのおうち、いつもお迎えのとき、おじいちゃんかおばあちゃんだよ」「おじいちゃんがお父さんなの?」と質問責めにあったことがある。
 何を言っているのか、何を言ったらいいのか分からず戸惑っていると、先生は「お絵かきするのはお父さんでも、おじいちゃんでも、わんちゃんでもいいんだよ」「自分が家族だと思う人を描くんだよ」「勇太くん、気にしなくていいからね」と頭を撫でる。
 思うところがあったのか、俺は途中まで描いてた絵を完成させずに、周りが描く『家族』の絵をじっと見ていた。

 なんでみんなはじいちゃんたちの絵を描かないんだろう。
 なんでみんなの『お父さん』は髪が黒いんだろう。
 そういえば、なんで俺は『じいちゃん』って呼んでるんだろう。
 みんなが迎えに来るのは『パパ』や『ママ』なのに、なんで俺だけ『じいちゃん』と『ばあちゃん』なんだろう。
 なんで、みんなと違う『家族』なんだろう。

 いつものように迎えにきたばあちゃんが、いつもと違う俺の様子に気づいたのか「今日は寄り道しよか」とスーパーで焼きたての鯛焼きを買ってくれた。
 「今日は特別、ソフトクリームも買っていいけ」「じいちゃんに内緒よ」と笑い、帰り道は片手で俺の手をぎゅっと強く握り、反対の手で紙袋に入ったと三つの鯛焼きを抱える。俺は繋がれた手を握り返して、ソフトクリームを頬張る。

 家に帰ると、庭で草いじりをしてるじいちゃんにただいまと言い、玄関に入ってからばあちゃんからは聞き慣れた言葉「手洗いしてき。制服も脱いで、お弁当を台所に出さんね」に静かに頷く。

 ばあちゃんは「自分で出来ることは自分でしんさい、ばあちゃんは全部はせん」が口癖で、朝は自分の目覚ましで起きるように、そして食べた食器の片付けや幼稚園の準備などに手出しはなかった。
 目覚ましをかけ忘れて幼稚園の時間になっても寝ていたときもあったし、弁当箱を出さなかったら「昨日あんたが出さなかったんけ」と作ってもらえないこともあった(結局、可哀想に思ったじいちゃんがばあちゃんを説得して幼稚園まで届けてくれた)。

 ひと通りの片付けを終えると、「勇太、こっちき」とじいちゃんに呼ばれる。
 縁側にいるじいちゃんの横にストンと座り、しばらく二人で庭を眺めた後、「幼稚園はどうやった」と聞いてくるじいちゃんに何を話そうか、でも今日は少し話したくない気分だな、と考えていると、じいちゃんが「あんな、」と続く。


「じいちゃんとばあちゃんな、勇太のことを自分の子供のように思っとるけ」
「うん」
「勇太がもぉ少し大きなったら言おう思っとんっちゃけど、勇太の父ちゃんと母ちゃんはな、少し遠いところにおんね。勇太も何べんか会ったことあるけ、ほれ、一緒に大きい家さ泊まって」
「あれがお父さんとお母さんなの?」
「そうや」
「なんで、なんで、僕、お父さんとお母さんと一緒に住んでないの?」
「勇太の母ちゃんたちな、仕事が忙しいんだと。仕事が忙しくて、勇太がひとりぼっちになったら可哀想やき、じいちゃんたちのところに来たんよ」


 初めて聞いた話だった。
 そうか、あの人たちが俺の親だったのか。いつもぎこちなく手を繋ぎ、ぎこちなく頭を撫で、ぎこちない会話を続けていたのは、俺の『お父さん』と『お母さん』だったのか。
 でも、なんだろう、嬉しいという気持ちも、悲しいという気持ちも出てこない。


「勇太はお父さんとお母さんと暮らしたいか?」


 う~ん、と首を傾げてから「ううん、じいちゃんたちといる」と言うと、じいちゃんは嬉しそうに「そうかそうか、うん、ここにいろ。じいちゃんとばあちゃんがいっぱいうまいもん食わしてやっからな」と頭を撫でる。いつの間にか後ろにいたばあちゃんも、嬉しそうに胸の前で手を握ってる。
 俺はなんだか恥ずかしくなって「さっき、じいちゃんに内緒でアイス食べちゃった」とおどけたら、じいちゃんは「そうかそうか、いいもん食ったなぁ」とまた頭を撫でる。そして、ばあちゃんが温め直した鯛焼きを三人で食べる。このとき、俺にとって家族はじいちゃんとばあちゃんだ、そう思った。

 夜、布団の中で目が覚めたとき、いつも隣で寝てるじいちゃんたちが居ないことに気づく。
 この時間にはもう寝てるはずなのに、畑の準備でもしてるのかな、とまた目を閉じようとするも、広くて暗い部屋に一人だと思うとなんだか途端に怖くなる。少し空いたふすまから隣の部屋の電気がもれ、小さい話し声が聞こえているから、じいちゃんたちは近くにいるんだとホッとする。
 なに話してるのかな、と布団から抜け出し、空いてるふすまからじいちゃんたちの様子を見る。


「夕方、勇太を迎えに行ったとき、先生が『今日はお絵かきの時間に家族の絵を描きました。周りのみんながお父さんやお母さんの絵を描いている中、勇太くんがおじいちゃんとおばあちゃんの絵を描いているのが不思議だったみたいで、勇太くん、みんなに質問責めされてしまって。テーマが家族だったのでお父さんやお母さんに限ったものではなかったので、勇太くんはもちろん他の園児たちにもフォローしたのですが、配慮が足りずに申し訳ありませんでした』言うてた、言うたき。さっき、勇太の鞄から見つけたんよ、これ」


 そういってばあちゃんはじいちゃんに丸まった画用紙を渡す。あ、幼稚園で描いた絵だ。隠してたつもりはないけど、鞄にしまってたんだった。
 まだ完成していないのに、と思っていると、じいちゃんが「あぁ、俺らやな、俺らや……」と泣いた。その姿を見たばあちゃんも、涙を流して「私らや」とじいちゃんの肩を優しく叩く。


「そうか、家族か。そうかそうか」
「良い子や、あの子は。きれいに描けとる」
「あの子を守らなな。立派に育てなな」
「勝手に見たら怒られるけ。元に戻さなな。勇太にあれこれいっちゃいかんよ」


 僕からは、じいちゃんの横顔とばあちゃんの背中しか分からないけど、二人とも嬉しそうに見ているのは分かる。
 静かに布団に戻って、お絵かきの時間のことを思い出す。みんなにいっぱい質問されて、僕の家族がみんなと違くて少し悲しかったけど、でも、じいちゃんとばあちゃんはあの絵を見て喜んでくれた。

 次の朝、幼稚園の準備を終わらせて、家を出るまでの空いたこの時間はいつもならテレビを見てるけど、今日は隣の部屋の隅で二人に見つからないようにやることがある。時々後ろを振り返って二人がいないか確かめながら、急いで終わらせないと。
 畑に出ていたじいちゃんが「勇太ぁ、そろそろ時間じゃねぇかぁ」と縁側から声をかけてくるから「は~い」と言いながら急いで片付けて玄関に向かう。じいちゃんたち、喜んでくれるかな。

 幼稚園ではそのことが気になってずっとソワソワしてたけど、迎えにきたばあちゃんの様子はいつも通りだった。あれ、気付いてないのかな。家に着いて、畑にいるじいちゃんに「ただいま」と声をかけても、じいちゃんもいつも通り「おかえり」と手を上げる、だけ。
 あれ?おかしいな?と思って、ばあちゃんを置いて走って玄関に入り、手洗いもせず、すぐに居間の扉を開けると、朝、テーブルの上に置いてきたものが……ない。捨てられたんだ、と悲しくなってゴミ箱の中を見ていると、ばあちゃんが「勇太、何しとるけ」と声をかけてくる。
 涙を我慢しながら「朝、ここに置いてた絵、捨てちゃったの」と聞くと、ばあちゃんはびっくりしたように目を開いて「勇太、ほれ、ここ、こっち」と隣の部屋に行く。
 トボトボと歩きながらばあちゃんのそばに行くと、じいちゃんたちが毎日手を合わせる仏壇の前に、朝、僕がテーブルの上に置いてきた、じいちゃんとばあちゃんと僕、三人が描かれた絵が飾ってあった。


「なんでここにあるの」
「いい絵だったき、ばあちゃんのばあちゃんにも見せとかな。勇太が帰ってきたらどこに飾るか考えようか、じいちゃんと話しとったんよ」


 僕は急に嬉しくなって、畑にいるじいちゃんを大きな声で呼んで、どこに飾るかみんなで考えた。二人が「いつも見える場所がいい」と言ったから、テレビの上の壁に貼った。じいちゃんたちはいつもテレビを見ているから。

 じいちゃんたちは絵を見るたび、いや、見ていなくても「いい絵だ」「勇太は将来絵描きになれる」と褒めてくれる。たまに遊びにくる隣のおじちゃんたちにも絵を見せて「いい絵やろぉ」「孫が描いたけ」と嬉しそうに言っているのを見たとき、とても恥ずかしかったけど、そんなに喜んでくれるなら、とたくさんたくさん絵を描いた。
 畑にいるじいちゃんとばあちゃんの絵、三人で手を繋いでいる絵、三人でサッカーをしている絵。描き終わった絵をプレゼントするたびにじいちゃんたちは、すごいすごいと褒めてくれた。

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この小説は、小説家になろうで掲載している作品です。
創作大賞2024に応募するためnoteにも掲載していますが、企画が終わり次第、非公開にさせていただきます。

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悠木ゆに yune
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