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【笑ってくれないあさひくん】 #26


勇太の過去 9



 冬になった。じいちゃんと約束した冬。

 じいちゃんが『お母さん』たちにお話しをして、一日だけじいちゃんに会いに行けることになった。本当はずっとじいちゃんのところに居たいけど、『お母さん』たちのお仕事が忙しくてお休みが取れないから仕方ないってじいちゃんに言われた。僕、一人でも行けるのに。
 冬になるまで、冬になってからも、じいちゃんから電話がくると「じいちゃんいつ会える?」「もう治った?」ばかり聞いた。

 今日はやっと、やっとじいちゃんに会える日。
 早く明日が来るように、早く眠ろうとしたけど、ドキドキして少ししか眠れなかった。目覚ましの音が聞こえたとき、まだ眠かったけど、でも、朝になっても心臓はドキドキしたままだ。
 じいちゃんに会える。
 ご飯を食べているときも、『お父さん』『お母さん』たちと新幹線に乗っても、ドキドキしてる。
 ドキドキが『お母さん』たちに聞こえないように、新幹線の中でも病院に向かう車の中でもずっと窓の外を見ていた。外が真っ暗になるとニコニコしている僕のお顔が窓に映るから、急いでお口をチャックする。
 少し退屈になったときに車が止まった場所は、とってもとっても大きい建物だった。マンションより大きいかもしれない。『お父さん』が「病院に着いたよ」って言ってたから、ここは病院なんだ。じいちゃんはここにいるんだ。ここにお泊まりしてるんだ。

 じいちゃんに会える。
 じいちゃんのお顔は忘れてない。
 寂しくなったときは、じいちゃんの宝物の写真を見たから。じいちゃんとばあちゃんの写真を見ると安心する。寂しくて泣いちゃったときは、写真と一緒に寝たこともある。

 静かでときどき暗くて、ちょっと変な匂いがする病院の中を『お父さん』と『お母さん』の後ろを歩いていると、「ここだよ。このお部屋におじいちゃんがいるんだよ」「先に入ってごらん」いっぱいあるお部屋の端っこのお部屋に入ると、すぐに分かった。窓の近くのベッドに座っているじいちゃんを見つけた。
 走って抱きついたら、「おっとっと、誰だぁ」って声がする。
 じいちゃんだ、じいちゃんの声。


「勇太か。よく来たけぇ。どれ、顔見せてみろ」
「うん」
「元気だったか?」
「うん、なんか、じいちゃんは痩せてる」
「じいちゃん、いまダイエットしてんだ」


 いつものお洋服を着ているけど、お顔もおじいちゃんみたいにシワシワだし、ぽっこりお腹も無くなってる。ばあちゃんが生きてるときはいつも「じいちゃんは腹が出とるから痩せないかん」って言っていたから、いまのじいちゃんを見たらびっくりしちゃうかも。
 『お父さん』と『お母さん』は病院の人とお話をしに行って、じいちゃんと二人きりになる。
 じいちゃんのベッドの周りには、電話でお話ししていたように、僕とばあちゃんの写真があって、壁には僕が描いた絵が貼ってあった。「これ、なんでここに貼ってあるの」「じいちゃんの宝物やけ。いつでも見れるようにしとる」って言ったから、ちょっと恥ずかしい。あんまり上手に描けていないから、新しい絵を描いてプレゼントしなくちゃ。


「幼稚園はどうや?楽しいか?」
「うん」
「そうか。友だちは出来たか?」
「うん」
「お父さんとお母さんたちはどうや?優しくしてくれてるか?」
「うん、でもお仕事が忙しいからあまりお家にいない」
「ご飯はつくってくれるか?」
「朝ごはんはパンで、夜ごはんはお弁当。僕、ひとりでお弁当温められるよ」
「そうか。お休みの日は出かけんのか?」
「お休みの日はお掃除の人が来るから、僕はお庭で草取りしたりしてる。おっちゃんが草取り上手だって。じいちゃんの畑の草取りしてたから、上手なんだって」
「……そうか。勇太、寂しくないか?」
「うんとね、寂しくなったときは、じいちゃんの宝物の写真と一緒に寝るの。このあいだはちょっと涙出ちゃったけど、」


 へへっと笑うと、じいちゃんは何も言わずに頭を撫でる。


「じいちゃん、ランドセル買いに行かないの?」
「行くよ。いまお母さんと先生がお話ししてるから、それが終わったら行くよ。そや、勇太、じいちゃんな、ダイエットしとるからゆっくり歩いてくださいね、先生に言われたから、ゆっくり歩くけ、ごめんな」
「大丈夫。僕、すごく早く歩けるし、すごく遅く歩けるから」


 見てて、とじいちゃんの前で早く歩くふりをしたり遅く歩くふりをする。じいちゃんが笑う。じいちゃんが笑うと嬉しくなる。
 幼稚園のお話やおじちゃんのお話をしていたら『お父さん』たちが戻ってきた。遅いよ、ランドセル売り切れちゃうよ、「じいちゃん、早く行こう」と手を引っ張ると、『お父さん』が「勇太、やめなさい。お義父さん、大丈夫ですか?やっぱりやめた方が……ランドセルは私たちが注文しますから」って。
 なんで、なんでやめるって言うの。じいちゃんと買いに行くって約束したんだよ。
 じいちゃんは僕にニコッてしてから「大丈夫だから、どれ、」とゆっくり立ち上がったら、『お父さん』は急いでベッドの横にあるイスにじいちゃんを座らせようとする。いまから出かけるのにどうしてイスに座るんだろう、と思ったら、イスが動いた。動くイスだ。すごい。じいちゃんは大丈夫だから、歩けるから、と言うけど、僕はこれに乗りたい。


「じいちゃん、これかっこいいね」
「これか?」
「うん、僕、これ乗りたい」
「勇太、これはおじいちゃんの車椅子だから、おじいちゃんが乗るんだよ」


 車いす。車いすって言うんだ。車いすかっこいい。
 本当は僕が乗りたいけど……じいちゃんの車いすだから我慢する。「じいちゃん、僕、乗るの我慢するから、運転したい」と言うと、歩けるから、大丈夫だからと言っていたじいちゃんも「そうか、じゃあ、勇太が押せ」と座る。『お父さん』はじいちゃんが座るのをお手伝いして、『お母さん』はその横で僕たちを見ていた。
 じいちゃんが座った車いすはとっても重かった。まっすぐ押すときは簡単だけど、曲がるときはむずかしくて、最初は『お父さん』も手伝ってくれた。でも、病院を出るときには、一人で押すことができた。
 「じいちゃん、楽?」「楽しい?」と聞くと、じいちゃんは「とぉっても楽だ」「楽しい楽しい」と笑う。


「疲れたらじいちゃん降りるけ」
「僕、力持ちだから大丈夫」


 病院の前には車が止まっていて、こんな小さい車にじいちゃんはどうやって乗るんだろう。不思議に思っていたら、車いすは小さくなって車の後ろに入った。
 『お父さん』たちは一緒の車で行くか別々で行くか、とお話ししていたけど、じいちゃんにこっそり「僕と一緒に座ってね」「僕の隣に座ってね」と言ったら、うんうんと手を繋いでくれた。先にじいちゃんと僕が車に乗って待っていたら、『お父さん』が前の席に、『お母さん』は僕に「少し詰めなさい」と隣に座った。
 『お母さん』がこんなに近くにいるのは初めてだったから緊張した。大きいお店に着いて『お母さん』が車から降りたとき、ちょっとだけホッとした。

 お店の中でもじいちゃんの車いすを押すのは僕。
 ここはじいちゃんとばあちゃんがお休みのときにたまに連れてきてくれた場所。ここでお洋服も買ったし、お昼ごはんも食べたし、誕生日のプレゼントも買ってもらったから、『お父さん』たちより僕の方が物知り。どこに何があるのかわかる。
 ランドセルが置いてある場所は、二階のおもちゃ売り場の横。前に来たときに見たことあるからわかる。


「じいちゃん、ランドセル買ったら、ごはん食べて、クレープ食べようね」
「おぉ、そやな」


 お洋服買って、ごはん食べて、クレープ食べて、帰りにスーパーで買い物をする。いつもそうだった。
 エレベーターを降りると、たくさんの色のランドセルがいっぱい並んでいた。わあ、こんなにたくさんランドセルがあるんだ。こんなにいっぱいあると悩んじゃう。でも、もう青色って決めてるから。


「これにする」
「これか?もうちょっと見た方がいいんじゃねぇか?」
「勇太、あっちにもいっぱいあるよ」
「これがいい」
「あっちにはもっとかっこいいやつがあるよ」
「ううん、これにする」
「そうけ、分かった、じゃあ、これにすっか」


 エレベーターから降りてすぐ、最初に見たランドセルがいいと思った。かっこいいから。
 『お父さん』はもっと見た方がいいよ、向こうにもいっぱいあるんだよ、と言うけど、僕はこれがいい。このランドセルが欲しい。
 じいちゃんが、勇太の好きにさせろ、と言ったら『お父さん』は何も言わなくなった。そしてお店の人とお話ししてくる、とどこかに行く。
 「じいちゃんは、お父さんより強いんだね」と小さな声で言う。


「じいちゃんが強いんじゃない、お父さんが優しんだ」
「でも、これ欲しいのに、お父さんはあっちがいいって言った」
「お父さんはあっちの方がいいと思って、勇太はこれがいいと思う。勇太とお父さんの好きなものが違うだけやき、意地悪してるわけじゃない」


 ふ~ん。
 ランドセルのお金を払うとき、じいちゃんと『お父さん』がどっちがお金を払うのかお話してたけど、じいちゃんがお金を出していた。やっぱりじいちゃんが強いんだ。
 大きな袋に入ったランドセルを僕が持ちたかったけど、そうしたら車いすを運転できないから、代わりにじいちゃんに持ってもらおうとしたら、『お父さん』が持ってくれた。
 ランドセルを買ったら『お父さん』が「じゃあ、病院に戻ろうか」と言った。


「えっ、でもじいちゃんとごはん食べなくちゃ、」
「勇太。おじいちゃんは体調がよくないから、お医者さんからすぐに戻ってくださいねって言われ、」
「いい、いいから。勇太、何を食べんだ?」
「お寿司か~おうどんか~……おうどんにする!」
「またかぁ?勇太はここ来るたびにうどん食うなぁ」
「だって美味しいから!」


 お昼ごはんはいつもお寿司かおうどん。
 お寿司のときは一階だし、おうどんのときは三階に行く。僕はお寿司も好きだけど、うどんのお店に行くと近くにあるクレープを買ってもらえるから、うどんのお店にするんだ。
 おうどんのお店で、僕はいつも四角いおうどんとえびの天ぷらを頼む。じいちゃんとばあちゃんは卵がのっているおうどんといかの天ぷらと鶏の天ぷら。
 注文するとき、僕はこれとこれ、じいちゃんはこれだよね、って言ったら、「今日はうどんだけでいいけ、ほら、じいちゃんダイエットしとるから」って。そうだった。
 『お父さん』と『お母さん』はメニューを見ながらすごく悩んでいて、後ろの人がちょっと怒っていたから、じいちゃんとばあちゃんはこのおうどんと天ぷらをいつも頼んでいるよ、と教えてあげた。『お父さん』たちはうどんのお店に行ったことないのかな。
 幼稚園の先生が「おもちゃの使い方が分からないお友だちには、優しく教えてあげようね」って言ってたのを思い出した。
 「この機械が、音が鳴ったら、おうどんを取りに行くんだよ。だから、いつも近くのお席に座るの。そうしたらすぐ取りに行けるんだよ」と言ったら、『お父さん』は目を大きくしてた。ちょっと面白かった。

 僕がおうどんを食べ終わるまでみんな待っていてくれたけど、じいちゃんは少ししか食べてなかった。


「じいちゃん、どうして食べないの?」
「じいちゃん、ダイエットしとるから、あんまり食べちゃいけませんよ、お医者さんから言われとるけ」
「でも、お医者さんいないよ」


 じいちゃんは僕にしか聞こえないように「帰ったら体重計に乗らされるけ、増えとったらじいちゃん怒られる」と教えてくれた。


「じいちゃんもお医者さんに怒られるの?」
「怒られるよ、いっぱい」
「病院に行ったら、僕が怒ってあげる。じいちゃんを怒らないでくださいってパンチする」
「ハハ、勇太強いなぁ。どれ、クレープ食べに行くけ」
「うん!」


 じいちゃんに「どれがいいけ?」と聞かれて、いつもの「チョコとバナナのやつ!」と答えたけど、本当はお腹がいっぱいで全部食べられるかちょっと心配。
 さっき、じいちゃんが残したおうどんを僕が全部食べた。いつも僕が残すとじいちゃんが食べてくれるから、今日は僕が食べてあげた。
 お店の前でクレープを食べようとしたら、『お父さん』が「おじいちゃんはもう帰らなくちゃいけない時間だから」と帰ることになった。早いよ。もっとじいちゃんといたかった。
 僕がクレープを持っているから、『お父さん』が車いすを運転しているけど、とっても早い。すごくすごく早く歩かなくちゃいけない。
 じいちゃんが「もうちょっとゆっくり押してけねぇか」と言ってくれたから、クレープを食べながら歩くことができる。じいちゃんは強いし、優しいんだ。

 お店から病院に行く車の中、じいちゃんともう会えないのかなぁ、今度はいつ会えるのかなぁって考えながらクレープを食べてたら、じいちゃんが「勇太、お腹いっぱいなんか?」と聞いてきた。


「うん、ちょっと、お腹いっぱい」
「どれ、じいちゃんによこしてみろ」
「じいちゃん、お医者さんに怒られちゃうよ」
「さっきうどん食わねかったからちょっとくらい大丈夫。勇太がお医者さんに秘密にしてくれたら、なぁんにもない」


 じいちゃんは「内緒やけ」と笑って、半分くらい残ったクレープを甘い甘いって言いながら全部食べた。

 病院に着いて、すぐにじいちゃんとバイバイした。
 じいちゃんともっといたかったのに。
 じいちゃんに抱きついたとき、ちょっと涙が出ちゃったけど、じいちゃんが僕にだけ聞こえる小さい声で「また電話するよ」って言った。もう一回、ギュッてした。

 新幹線に乗っていると、電話をしていた『お父さん』が戻ってきた。


「お義父さんの体調が良くないらしい。病院に戻ろう」
「明日は会議があるから休めないのに」
「元気そうだったけど、無理させちゃったのかな」


 怖くなった。
 良くない?良くないってなに?


「じいちゃん、じいちゃんどうしたの?」
「お出かけして疲れちゃったみたいで熱が出ているんだって」
「熱だけでしょう?」
「いまのお義父さんには熱が出ただけでも酷だよ。様子を見て、大丈夫そうだったらまた戻ればいい」


 『お母さん』は、大袈裟よ、と大きく息を吐く。

 じいちゃんは熱なんか出したことない。いつも元気だった。じいちゃんたちと住んでいるとき、熱を出すのはいつも僕で「肉をいっぱい食わないかん、体力をつけないかん」熱が下がるとお肉をいっぱい食べさせられた。


「じいちゃんとこ行くの?」
「うん。大丈夫そうだったらまた帰ってこよう」
「僕、じいちゃんのとこにお泊まりする」
「病院にお泊まりはできないんだよ」
「じいちゃんちにお泊まりする。一人でもお泊まりできるよ」
「いいかげんにして。ただでさえ疲れてるのに」


 『お母さん』が怖い顔で僕を見る。
 涙がいっぱい出た。怒られて涙が出たんじゃない。じいちゃんに会いたくて涙が出た。

 病院について、さっきとは違うお部屋に行く。
 じいちゃんは眠ってた。
 さっきまでしていなかった、線がいっぱい繋がった透明のマスクと音が鳴る機械。
 『お父さん』と『お母さん』がお医者さんのお話を聞いている間、僕は一人で、とっても怖かった。

 じいちゃん、死んでないよね?
 じいちゃん、起きて。
 じいちゃんに会いに来たよ。
 じいちゃんが死んじゃうんじゃないかってとっても怖かった。ばあちゃんが台所で倒れたときみたいな、怖くて、どうしようの気持ちがいっぱいになる。

 『お父さん』たちが戻ってきたとき、僕はしがみついて「じいちゃん死なないよね?じいちゃん、眠ってるだけだよね?明日になったらまた元気になるよね?」って聞くと、『お父さん』は「大丈夫だよ、大丈夫」と僕を抱っこして優しく背中をトントンする。


「じいちゃん、っしんだら、ぼく、ひとりになるのに」
「じいちゃん、サッカーじょうずになったら、みせにこいっていって、まだじょうずじゃないのに、」


 うわぁああ、と大きい声で泣く僕。
 眠っているじいちゃんが「どしたぁ」って起きてくれるかもしれないから、もっと大きい声で泣く。
 もっともっと大きい声を出す。
 じいちゃんが起きてくれるまでずっと大きい声を出す。

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悠木ゆに yune
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