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第6号(2018年9月28日) 財政難のロシアが何故イケイケドンドン?
存在感を増す「軍事大国ロシア」を軍事アナリスト小泉悠とともに読み解くメールマガジンをお届けします。
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【質問箱】財政難のロシアが何故イケイケドンドン?
●今週の質問
ロシアは財政が厳しいはずなのに何故あんなにイケイケドンなのでしょうか?
ロマノフ王朝の埋蔵金でしょうか
ご質問ありがとうございます。
たしかに最近のロシアを見ていると「イケイケドンドン」という印象を持つのは当然かと思います。代表的な動きだけを見ても、2014年にウクライナに介入し、翌2015年にはシリアへ介入、さらに今年9月には29万7000人を動員した史上空前の大演習「ヴォストーク2018」を実施しました。
その一方、ご指摘の通りにロシアの財政は厳しい状況にあります。
そもそもロシアの連邦予算は、ロシアの原油輸出ブランドである「ウラル」が1バレル幾らで売れるかを基礎として組まれていますが、その原油価格が2010年代半ばに暴落したことは大きなショックでした。2014年度予算ではウラル1バレルあたりの価格が104ドル、2015年度予算でも100ドルとされていたのに対し、実際の値動きを見ると2014年夏頃から下落が始まり、2016年の平均価格は41.8ドルにしかなりませんでした。想定の約4割です。ロシア政府の歳入が約半分を原油収入に頼ってきたことを考えると、危機的な状況と言えます。
実際、原油価格の低下はロシアの財政を直撃しました。
これまで黒字であった連邦予算は2015年度に4307億ルーブルの赤字予算となり、原油価格低下によって導入された補正予算ではこれが2兆6753億ルーブルへと拡大しました。また、ロシア政府はこれまで予算を3か年で組んでいましたが、2016年度は直近の予測がつき難いということで単年度予算に変更されています。2017年度予算では原油価格の予想が40ドル/バレルとさらに厳しくなり、赤字も2兆7532億(GDPの3.2%)まで拡大しました。この間、連邦予算は総額を抑制して緊縮政策がとられていましたが、それでもこれだけの赤字が出ていたわけです。
当面は過去の原油収入を積み立てた政府基金を取り崩すことでどうにか赤字を補填することができていましたが、それも2017年には底をつき、2018年度以降はインフラ建設や年金の原資となる国民福祉基金まで取り崩さざるを得ないというかなり悲惨な状況が予想されていました。
では、この間、ロシア軍の活動を支える国防費はどうなっていたのでしょうか。
ロシアの連邦予算法には大項目02「国防」という項目がありますが、これは機密解除部分だけを記載したものであり、機密指定分は記載されていません。
ただ、ロシアは一応、民主主義国家であるため、国防費も含めた連邦予算は議会での審議を経ます。この過程で残される文書を見ていくと、最終的な額は不明であっても、大まかなところは把握することが可能です。
以下、この方法で把握した2012-2016年の国防費国防費を並べてみましょう。
2012年:約1兆9000億ルーブル
2013年:約2兆984億ルーブル
2014年:約2兆4894億ルーブル
2015年:約3兆2868億ルーブル
2016年:約3兆8890億ルーブル
このように、2012年に第3期プーチン政権が発足して以降の5年間で国防費はうなぎのぼりに増加しており、2016年には2012年のほぼ倍になっています。インフレ率を考慮しても異常な増額であり、他の分野の予算が緊縮傾向にあったことを考えれば、さらに際立った増加と言えます。
財政が苦しいにもかかわらず国防費だけが突出して伸びた背景は、すでに述べた2つの戦争(ウクライナとシリア)に加え、2011年にスタートした「2020年までの国家装備計画(GPV-2020)」で装備調達費が激増したことが考えられるでしょう。これによってたしかにロシアは冷戦後最大規模の軍事介入を行い、ロシア軍の装備状態も目に見えてよくなりましたが、軍事負担は確実に増加しました。
2016年についてみると、国家予算全体に占める国防費の割合は23.7%、対GDP比で4.7%にも達しており、大変な負担です。これに加えて公安機関に対する広義の安全保障費用も支出しなければならず、ロシアのメディアでは「予算の軍事化」が問題視されるようになりました。
ただ、プーチン政権全体でみると、こうした状況は決してよしとされているわけではありません。財務省、経済発展相、中央銀行といった経済セクターは軍事費の負担に度々反対の声を上げており、クドリン元蔵相のようなリベラル派経済専門家(最近、会計検査院長官に就任)なども国防費の削減を訴え続けてきました。プーチン大統領ももともとは軍事負担の増加に対しては否定的なスタンスで知られています。
それでも、ウクライナとシリアにおける戦争は政治指導部が命令して軍にやらせているわけですから、国防費ぐらいは手厚く出してやらないと筋が通りません。
また、2016年の国防費が顕著に伸びた背景には、経済が悪化する中で軍需産業に資金を貸し出している金融セクターから有志の焦げ付きに対する不安が高まったため、政府が債務を肩代わりした(その分は補正で国防費に計上)という事情もありました。
ところが、2017年以降のプーチン政権では、風向きがかなり変わっています。今度は2017年度予算と、2018-2020年度の予算における国防費の推移を見てみましょう。
2017年:約2兆8723億ルーブル
2018年:約2兆7720億ルーブル
2019年:約2兆7985億ルーブル
2020年:約2兆8080億ルーブル
2015-16年の国防費が3兆ルーブルを超えていたのに対し、2017年以降は一転して2兆8000億ルーブル内外に抑制されていることが分かります。財政上の危機がいよいよ本格化し、政府基金も底を突きかかったことで、ようやく国防費の抑制に踏み出した格好と言えます。翌2018年には大統領選を控えていたことを考えると軍の機嫌を損ねることはしたくなかったはずですが、懐事情の方を優先せざるを得なかったものと考えられます。
翌2017年の12月、定例の国防省拡大幹部会議に臨んだプーチン大統領は国防費の削減に触れ、「これで自らを充足し、国防力を保てるだろうか?できる。必ずできるのだ」と述べています。さらにプーチン大統領はスヴォーロフ元帥の言葉を引いて「数ではなく知恵で戦え」とも発言していますが、要するに「配られたカードでベストを尽くせ」ということでしょう。
軍需産業に対しては、2016年12月の議会向け教書演説において「2025年までに民生品の生産比率を全体の30%、2030年には50%まで引き上げるように」と述べています。軍需産業も、もうこれまでのような巨額の国防発注をアテにすべきではない、というメッセージと言えます。
ちなみに2016年末というのは2017年度連邦予算が承認された時期とも重なっていますから、プーチン政権はこの頃から「イケイケドンドン」路線はもう続けられないという覚悟を固めていたと考えられるでしょう。
というわけで、一見「イケイケドンドン」に見えるロシア軍ですが、実際はやはり厳しい財政事情の制約を相当受けています。重要なのはプーチン大統領自身が端々で国防費の抑制に関して音頭を取っている点で、第4期プーチン政権の任期が切れる2024年くらいまではこうした路線が続いていくのではないでしょうか。
ただ、昨今、原油価格が持ち直しの傾向(9月26日時点のウラル価格は78.18ドル/バレルまで回復)を見せており、来年以降は予算が黒字化すると見られていることを考えると、3兆ルーブルくらいまでは「許容範囲」ということになるかもしれません。
ところで、ロシアの財政を圧迫している要素はもう一つあります。
年金を中心とする社会保障費です。
2017年のロシア連邦予算の内訳を以下の挙げてみましょう。
・社会保障:31%(年金22%、社会保険6%、子供・家族手当3%)
・国防:17%
・国家経済:15%
・法執行及び公安:12%
・全国家的問題:7%
・予算間振替:18%
軍事負担も確かに大きいですが、実はロシア政府にとっても今や年金負担は非常に大きな問題になっています。
年金生活者がきちんと暮らせるだけの年金を支出し、なおかつその額をインフレ率に連動してスライドさせることで目減りしないようにし、健康寿命も伸ばす。プーチン政権が進めてきたこれらの高齢者対策はもちろん歓迎すべきものでしたが、年金が増えてお年寄りが長生きになれば、当然、負担は増加します。その結果が国防費をも上回る年金負担ということになったわけです。
当然、財政当局は、国防費と並んで金を食う年金への支出抑制を求めるようになります。具体的には、年金支給開始年齢を現在の男性60歳・女性55歳からから男性65歳、女性63歳へと引き上げることで、支給期間を短くしようというものでした。
ロシア財務省の試算によると、これで年間1兆7000億ルーブルの支出削減が見込まれるとのことでした。
とはいえ、これはプーチン政権にとっては難しい決断です。都市部のリベラル派や西側諸国から散々嫌われながらもプーチン政権が根強い支持基盤を誇ってきたのは、年金生活者のような社会的弱者から「肥後者」としての信頼を勝ち得てきたところが大きいと思われます。年金支給開始年齢の引き上げは、こうしたブランドイメージを自ら破壊するに等しい行為です。その一方で、財政が苦しいことは間違いない・・・
このジレンマに立たされたプーチン政権は、結局、大統領選が終わってから、しかもサッカーW杯開会式の日に年金支給引き上げ案を発表するという方法を選びました。ロシア憲法の定めに従えばプーチン大統領は次の選挙に出馬することはできず、従って再選の心配はないという判断であったと思います。
しかし、結果は日本でも報じられている通りで、ロシア全土において凄まじい反発が巻き起こり、極東の知事選では与党候補が軒並み敗北するという事態に至りました。結局、プーチン政権は女性の支給開始年齢を当初予定の63歳から(8年引き上げ)ではなく60歳から(5年引き上げ)とする妥協案を提示し、これで月内にも法案を通すつもりのようです。
「独裁者」とか「皇帝」とか呼ばれるプーチン大統領ですが、実は日々胃の痛い思いをしているのではないかという気がしてきますね、こういうのを見ていると。
【NEW BOOKS】 RUSSIA ANALYTICAL DIGEST
・RUSSIA ANALYTICAL DIGEST, No.223, 2018.9.12.
・道下徳成・編著『「技術」が変える戦争と平和』芙蓉書房出版、2018年9月28日
・ロバート・H・ラティフ『フューチャー・ウォー 米軍は戦争に勝てるのか?』新潮社、2018年
1冊目は米欧の研究機関が共同で出しているロシア研究論集で、今回はシロヴィキとプーチン政権の関係についての論文が1本、ロシアの闇社会に関する構造的な分析レポートが1本収録されています。
2冊目はテクノロジーが戦争の将来をどのように変えるのかについて、18人の専門家が論じた論文集です。私も1章書いていますが、やはり米国を見ている人とそれ以外ではこの辺の温度差はかなり大きいように感じました。
この意味で面白いのが3冊目の『フューチャー・ウォー』です。実は新潮社からこの本の解説を頼まれたので何度もゲラを読んだのですが、元米空軍少将であった著者が「技術革新は本当に勝利を導くのか」「どれだけ技術革新が進んでも兵士は必ず傷つく」「政治家や市民はそうした現実を知らずに無邪気に軍への支持を口にしている」と終始懐疑的な態度であったのが非常に印象的でした。
技術が戦争の様態を変える部分は確実にあるはずですが、それを相対化して眺める視角を提供してくれる一冊だと思います。
【編集後記】ロシアの面白さは「チラリズム」
ロシア軍事をやっていて面白いのはどういうところですか、という質問をたまに受けるのですが、これには毎回「チラリズム」と答えています。
欧米や日本と比べた場合、ロシアが民主的とはとても言い切れない部分が多いのですが、中国や、まして北朝鮮と比べた場合にははるかに情報の公開度が高く、かなり突っ込んだ情報まで制度的に公開されるようになっています。
それらの多くは断片的であったり不完全であったりするわけですが、そのようにして「チラリ」と見える情報をつなぎ合わせて全体像に迫っていく、という作業はオタク的に非常に魅力的なものがあります。
とはいえ、ロシアも年々情報統制が厳しくなり、特に軍事情報の秘匿にはうるさくなっているので、こうした手法がいつまで通用するのかどうか、正直不安も感じています。
今回取り上げた国防費の場合で言えば、連邦予算法に記載されなかった予算の割合は66%にも及んでおり、かつてと比べても秘密主義が強まっていることを感じます。
かつてのソ連ほどではないにせよ、ロシアの軍事情報が次第に秘密のヴェールに閉ざされていくことは避けられないでしょう。そうした状況下で、いかにしてロシアの軍事情報を把握するのかは、今後の大きな課題となってくるように思います。
ところで秋になり、スーパーに梨が出回るようになりました。私は千葉県松戸市の生まれなのですが、千葉県の松戸、市川、船橋、鎌ヶ谷あたりには梨園が広がっており、小学校の同級生にも梨農家の息子というのが必ず何人かいました。有名な20世紀梨も原産は松戸市です。
というわけで横浜に越した現在も梨という果物にはなんとなく思い入れがあるのですが、悔しいことに梨と言えば鳥取というイメージがあり、千葉の影は薄いようです。ふなっしーの登場によって千葉の梨の知名度も一時的には上がったようですが、そういえばふなっしー、最近見ないですね。
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【発行者】
小泉悠(軍事アナリスト)
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