私を構成する5つのマンガ②『封神演義』

スマホで更新していたら、カット&ペーストの動作をミスって2作目以降の記述が消えた笑
一日置いて、気を取り直して書きます。

『封神演義』:美しいビジュアル、ぶれないストーリー。こういう物語を探してしまうきっかけとなった作品

小学校高学年くらいにMAXにはまっていた。
好きな理由とその影響力を2つ、記述します。

1)美しいビジュアル

絵が大好きで、色遣いもファッションもかっこよくて、毎日のように模写してた。でも、藤崎先生の絵って線が多いし、キャラクターによって全然顔や体のパーツのテイストやバランスが違うからとても難しかった。

小学生の頃はまだ、10代の可愛い女の子とかかっこいい男の子とかしか描いた経験がなかったし、それまで触れてきた作品にリアルな画風で描かれた中年・壮年・老年やいわゆる不細工(というのは失礼だけども)なキャラってあまり出てこなかった。現実世界でも、色々な属性の人間と、出会った経験が少なかった。話している相手が何歳なのかとか、男と女の体つきの違いとか、見た目を意識しながら大人と接していなかったと思う。

これは中学生の時の話になるが、中三の夏休みだけ通っていた塾の講師の先生(男性)はいくつかという話を友人としたことがある。
私は30代くらいじゃないか、といったのだが、友人に全否定されたのを覚えている。今思い返すと、確実に50代だったと思われる。

中学生のころでさえ、いわゆる”大人”の年齢をつかむことができていなかったわけなので、小学生の私は当然そんな識別はできなかっただろう。

つまり、よく知らないものは描けなかった、ということだ。あるキャラをマネして描こうにも、そのキャラがどんな特徴を持たされているのか、それはそのキャラがどんな性質を持つからなのか、が体感としてわかっていなかったのだと思う。

最近も絵を描いていて思うのは、自分が意識してとったポーズや動作、構造や特徴を理解している物や風景はそれなりに形になっていく、ということ。
逆に、想像だけで描こうとすると違和感があったりチグハグした絵になってしまう。これがホームズの言う「見」ているだけて「観」ていないというやつか、と感じる。

『封神演義』のキャラクターは200人くらいいるんじゃなかっただろうか。もっといるかも。とにかくたくさんのキャラクターが個性豊かに描かれていたのがすごい。”十二仙” とか "三姉妹" とか "四大金剛" とか "四聖" とか ”魔家四将” とか ”十天君” とか、グループ設定のキャラクター多かった。これだけですでに37人だもんな…。
そういえば、この作品のおかげでオジサンが上手い作家さんが好きになった気がする笑(ここまでの文章を書いている間、南宮适がずっとちらついていた)。

2)ぶれないストーリー

コミックスにして23巻分という短さ。当時はあまり感じなかったけど、アニメ化されるくらい人気の作品でこのくらいの長さで終わる(少年誌)作品はそう多くはないのではないかと思う。

長編小説の原作があるとはいえ、明確なゴールに向かってぶれずに進み、語り切ったらスッパリ幕を閉じたっていう作品作りが潔くてかっこいい。
3巻で貼ったラスボスの伏線がきちんと終盤で花開くのとか、すごくいい。

本音を言うと、10巻くらいまでのちゃんと(?)古代中国っぽい雰囲気が好きだったけど、藤崎先生の描く世界がSFに向かうのは必至なので仕方ない(好きです。PHYCHO+とか、連載当時は早すぎたのかな…と感じるくらい面白いと思う)。
それに、作者が当時はまっているものをガンガン入れ込む大胆さも結構好き。妲己がアミダラ女王になってしまったときはびっくりしたけど(最初の頃のデザインがとても好きだったので)。

物語のゴールが明確な一方、ビジュアル的な遊びはだいぶ自由だったかなと思う。でも、キャラクターの中身はぶれてなかった。それもすごくいい。

連載当初には打ち切りの危機もあったという。
それでも耐え忍び、アニメ化もされ(されてないとも言われているが)、人気の中(おそらく)作者の考えるままに終わることができた作品。

こういう作品に小学生時代に出会い、めちゃくちゃはまったせいだろうか。作品がその人気によって無駄に話を引き延ばされたり、明らかにターゲットを絞り込んだような展開になってしまうのが苦手。あと、信念や生きる目的等、キャラクターの根幹になる設定が、論理破綻していたり不自然に変わってしまったりするのも(ストーリーのロジックがおかしくなっちゃう)。
好きだった作品がこうなってしまった時には、もう泣く泣くお別れしている。先生が描きたかったのは本当にこれなんですか…と一人打ちひしがれます。

ちなみにアカデミー賞受賞作品も、観たくなるのは ”脚本/脚色賞” のものが多い。もともとそういう質なのかもしれないけど、この作品で「ぶれない筋」を初めて経験して、無自覚にも感動したんじゃないかと思う。

まとめ

時々描くイラストには、やっぱりどこかに『封神演義』の影響を感じるし、好きになる作品は、物語の構成が美しいものが多い。

『封神演義』はマンガという媒体だけど、「ビジュアル」や「話の筋」という、コンテンツを楽しむときの大事な要素の好みを確立させてくれた作品です。

余談:
『封神演義』のおかげで世界史の授業の古代中国のターンを楽しみにしていたのにすっ飛ばされて泣いた、というのはこの作品が好きな人全員にある経験だと思う。最近だと『キングダム』好きな人もそういう思いをするかもね…。

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