見出し画像

日記20240412

日記を書く。主題なんかも決めずに、ダラダラと。これからちょくちょく日記を書いていこうかと思った。何が起こったかではなくて何を思ったのかを書き連ねていくごく個人的な日記作業。物語とは別に存在する文学性を知っているから、と知った風な口を叩いてみるけれど、実のところただ文章が書きたいからってだけに過ぎないしそんな大層なことも考えていない。ただの青い叫びをそれがまだ青いうちに記しておきたいと思った。

今日一日小説のことを考えたり、書いたりしていた。俺はこれを趣味だと思っていたけれど、そうじゃないのかもしれない。もっと割り切って、仕事面して書いていかないといけない。暢気に気ままに書いているだけじゃ仲良しこよしの自己満足もいいところで、学はなり難しなのだ。はっきりと、小説を書くという行為は疲れるから嫌いだという面もあることを認めた方がいいのだと思う。俺のプライドがそれを邪魔しているだけだ。

良い天気だった。春は好きです。とっても好き。暖かいし良い気持ちになれるから。物書きの致命的な汚点というか、俺個人のごくパーソナルな考えなのかもしれないけれど、何かを書き綴っていないときは常にマイナスの人生を歩んでいるような気がする。許されるために書いているわけではないけれど、怠惰な自分に嫌気がさしてどんよりと陰鬱な気持ちになる。俺は今日も何もしなかった。昨日も何もしていないのに、と。そして今日だってもっと小説書けただろ、と眠る前に思って嫌な気持ちになるのだ。ただ、書いている時だけはその薄暗い感情から逃れられる気がする。誓って本当だ。その時だけは、ただ物語と文章だけに依存していて、そんなことを考えている暇はない。苦しいけど、心地よいんです。良いものが書けない苦しみよりも、何もしていない苦しみの方がずっと大きいから。業とも呼べる。

太宰治の『東京八景』を読んだ。俺はこの話が好きだから何回も読んでいるんだけど、好きな文章が多すぎる。「人間のプライドの窮極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、と言い切れる自覚ではないか」と肥大しきった自尊心をかなぐり捨てて他者のために人目も憚らず激励を飛ばすところとか。そんなエッセイじみた小説を読んで影響されて気取った風な文章を書いて自己満足に陶酔する。さあ、電気をつけて、カーテンを閉めて、きちんと自分に向き合いなさい。今は19時02分です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?