天城越え



物ごい旅芸人村に入るべからず

川端康成の伊豆の踊子を読むと、主人公の「私」と踊子一家が湯ヶ野から下田へ向かう途中に、こんな立札の記述がある。
読み方によっては物乞いをしながら流浪する芸人、と理解できるし、物乞いと芸人の双方、とも読むことが可能だ。
唐人お吉を連想してしまうではないか。

小説では、踊子一家が何の屈託もなく下田街道を進んでいるので、前者と理解して良いのだろうが、やや気になる部分ではある。

下田街道の峠を越えて河津からの道に合流し、少し北上すると湯ヶ野温泉に着く。

国道からは、それとは分からぬ眼下の河津川沿いに、数軒の温泉宿が点在している。
川端康成ゆかりの宿、福田家旅館の看板を見つけ、車で下ってみた。
途中で駐車場の看板を見たものの、橋を渡ってもそれらしき宿は見当たらず、すぐに引き返した。

国道横のJAの駐車場に車を停め、それで初めて福田家旅館が確認できた。
長閑な風景ではあるが、温泉場の雰囲気は感じられない。
それでも川端ゆかりの宿は確認できた。
手前に見えるプレハブ屋根が、踊子たちが朝湯をした共同浴場だろうか。

物語と現実の境が曖昧になっていることに気づく。
川端も、省略はあっても虚構はないと断言しているので、しばらくは、この不思議な感覚を楽しもうと思う。

ループ橋を渡る。

この橋が完成する前にも走っているのだが、当時の記憶がない。
すでに天城峠への上り下りは、ループ橋が当たり前になっている。
正式には「河津七滝ループ橋」というらしい。

踊子歩道とは旧道のことらしい。

登山装備の男性が、独りで歩いていた。
日本百名山の一座としても知られる天城山。
アクセスも良く、人気の山だ。

旧天城トンネルの南側まで来た。

湯ヶ野までは河津川の渓谷に沿うて三里余りの下りだった。峠を越えてからは、山や空の色までが南国らしく感じられた。

こちらは逆コースを辿っているので、三里余りの道を上ったことになる。
主人公の「私」が、踊子の先になり後になりと、次第に心惹かれてゆく様子が描かれ、もしや湯ヶ野で同宿できるかと淡い期待を抱きながら歩いた道だ。

20歳の主人公の孤独感が、まだ幼い14歳の少女への憧憬へと徐々に移行してゆく導入部でもあって、元来ニヒリストの川端が、素直な心情を垣間見せた部分でもある。

トンネルの出口から白塗りのさくに片側を縫われた峠道が稲妻のように流れていた。

川端が見たであろう風景描写とは明らかに違う景色だったが、やっとトンネルの南側まで来た。

北側に出た。

踊子ではなく、川端が湯ヶ島に長逗留の間に、湯ヶ野まで歩いて抜けたはずのトンネルでもある。
作品の発表は大正末期なので、当時は無用な看板類もなく、地元民の往還は当然のこととして、行商人や旅芸人なども多く往来し、暮らしに欠かせない道だった。

観光ではこうして立ち止まるが、かつての旅人たちは、茶屋で一服した後、そそくさと先を急いだはず。
眺望が利くわけでもなく、普通ならば、早く抜けたいと思う道だ。

トンネル内は、ところどころに照明が取り付けられたことは知っていたが、旧道の雰囲気は損なわれていないので、この程度の加工は必要だろう。

最近では心霊スポットとしても有名らしい。
現代人は新たな物語を創造し、観光地に付加価値をつける。
それを目的に現地を訪れ、川端や伊豆の踊子を初めて知るという効果もある。
川端と松本清張と石川さゆりがいなければこれほど有名にはならず、どこにでもありそうな、単なる旧街道に過ぎない。

トンネル内ではしゃぐのはよろしくないが、中伊豆観光の隆盛に少しでも寄与するならば、それはそれで結構なことではないか。
カルト的な興味も歳を重ねれば移ろうだろうし、文学の魅力も、風土が醸し出す情緒も、やがて必ず理解できるようになる。

清張の小説「天城越え」も、味わいのある作品だった。
小説だけでなく、映画もドラマも観た。
映画は松竹だったか。
大塚ハナ役の田中裕子さんの演技が秀逸だった。
テレビはNHKで、こちらは大谷直子さんが演じていた。
どちらも原作に劣らず、見応えのある作品に仕上がっていたことを懐かしく思い出す。

トンネルは登録有形文化財になっていた。
乗用車が1台停まっていて、若いカップルが案内板などを見ている。
じきにタクシーが上って来て老夫婦を降ろし、運転手がデジカメを構えた。
老夫婦はトンネルをバックに寄り添い、マスク姿で写真に納まった。

かつて天城越えは1日を費やしたが、1時間もあれば簡単に次の目的地まで移動できる。
情緒の代替は利便性へと変質した。
どちらが良いかという問題ではない。

若いカップルも老夫婦も、静謐の中で、それぞれの感慨に沈んでいる。
ひっそりとトンネルがあるだけで、他には何もない。
それでも虚構の物語に心を溶け込ませ、しばしの夢譚に酔いながら同化しているように見える。

道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。


少し下ると川端の文学碑があり、作者の筆跡とともに、レリーフが埋め込まれてあった。

ほのかな恋情を抱きつつも成就しない物語は「雪国」にも通底するテーマであり、シビアな表現だが、そこから視えて来るのは、常に主人公が相手の女性より立場が上であるという事実に気付く。

王朝文学と称えられる作品群は、独特の流麗な形容の文章力で抱きしめたくなるほどにいとおしい女性を描きながらも、常に男が優位のままに進行するのは、作者の自我が投影されているからと、半ばうがち過ぎに見る所以か。

作品と対峙しながらも、油断すると川端の美の世界に取り込まれる危険がある。
文学ファンにとっての媚薬にも成りうる、文章の魔力は強烈だ。

「禽獣」や、晩年の名作「眠れる美女」では、作者の屈折した危うい性癖が露わに視える。
睡眠薬に溺れ、ガスのゴムホースを咥えて生を断った川端は「伊豆の踊子」で見果てぬ夢を描き、「眠れる美女」で女性への特殊な性癖を実現させ、同時に己の人生を完結させた。

余韻や余情を一切拒絶した最期は、夢幻よりも確かな、孤独な現実逃避行だった。


道の駅「天城越え」で昼食。

勝手なイメージだが、中伊豆といえば、イノシシ、タケノコ、そしてワサビが思い浮かぶ。
だから予想として、ぼたん鍋か、イノブタのとんかつ定食に、ご飯はタケノコかワサビ丼仕立て、という願望を抱いていた。
ところが広い食堂に入ってみれば、そこは完全セルフで、食指の動くメニューは皆無だった。
仕方なく、貧弱そうなワサビ丼と、ワサビシュウマイを発注。
番号札を受け取って、呼ばれるのを待つ。

「18番さ~ん」の声で受け取りに出向き、テーブルに戻る。
1食分のかつおぶしパックが付いていて、ワサビを擂り、おかかをまぶし、醤油を垂らしてネコマンマで食べる。
器はすべてプラ樹脂。
食べ終わると、食器を下げるのも当然セルフで、おかかパックのビニールやら、残りのワサビ片やらを分別してポリバケツに捨てる。
逆の意味で印象に残る、激しく落ち込む食事であった…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?