朱引内 江戸っ子考

2007年4月14日の日記を加筆。



「江戸朱引内」や、本郷の「かねやす」に関しては皆さんご存知でしょうから省略しますが、歯磨き粉の販売で繁盛した「かねやす」は雑貨店として今も営業が続いています。
江戸時代の面影はありませんが、当時100万人都市の「江戸」もここまでだったのかと、その範囲の狭さに改めて感心します。
「江戸っ子」とは本来一人称で使う言葉ではなく、訊かれた時にのみ、
『代々江戸生まれです』
と答えるのが正しい使い方です。

「粋」と「野暮」の区別とこだわりは江戸っ子のもっとも気になる部分。
『宵越しの銭は…』
などという表現は、これを「粋」と捉えた町人の謂わばやせ我慢や負け惜しみの変形なのでしょう。
『江戸っ子は皐月の鯉の吹き流し…』
も、自己撞着を肯定的に処理しようとする表現に他なりません。

以前、下町で代々暮らす親しい古老と一緒にテレビを観ていました。
画面には東京台東区方面に住む鳶の棟梁が出ており、江戸時代の風物や風習などを語っていました。
火消し半纏を着て颯爽と「イナセ」を決めています。
『この半纏はオレたち江戸っ子の魂なんだ』
伊達者、歌舞伎者を気取っている雰囲気もあります。

古老は驚いてしまったようです。
『てめえでてめえのこと江戸っ子って言いやがった…』
吐き捨てるようにつぶやきました。
古老には棟梁が「野暮」と映ったのでしょう。
本物の江戸っ子は「江戸っ子」を自称する人たちに苦笑するのみ。
「粋」でいることは、ことほど左様に難しいのです。

私が幼い頃は、まだ江戸時代に生まれた人が何人か残っていました。
昔のことのようですが、江戸時代なんてほんの150年余り前のことなのですね。
「三代続けば江戸っ子」
とも言うので、現在の東京は江戸っ子だらけです。


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