耳成山
2008年3月7日
耳成山を目指しながら国道165号線と近鉄大阪線を渡ると、住宅に侵食された耳成山に到達する。
小高い丘は公園のようでもあり、また円墳のようでもある。
歩いて一周しても物足りないほどの可愛らしさだ。
南に藤原京。
東北西を大和三山に囲まれた都は風水の影響か。
その栄華は絶えたけれど、名残の山は古代から変わらずに現代までの文明文化を見続けている。
耳成山には様々な呼び名がある。
万葉集では青菅山、大和誌には梔山の名前が見える。
古今和歌集にも、
耳成の山のくちなし得てしがな 思ひの色の下染にせむ
とある。
また、万葉集巻十六-三七八八には、
或の曰く、昔三の男ありき。同に一の女を妻ひき、娘子嘆息きて曰く、一の女の身は滅易きこと露の如し。三の雄の志は平び難きこと石の如しといふ。遂に乃ち池の上にもとほり、水底に沈みき。
耳成の 池の恨めし 吾妹子が 来つつ潜かば 水は涸れなむ
の歌もあり、悲恋の伝承が存在していることが判る。
なだらかな円錐形の耳成山、その優しい姿にも寂しさは付きまとう。
神話や民話に事欠かない大和の奥深さを垣間見た気がする。