履修した、卒業した
高校時代はまったく勉強せず、テストが憂鬱だった。
化学は減点方式で、余計なことを書くと点数が減って行く。
-7点を食らったことがあった。
0点以下があると知り、その仕打ちに泣いた。
数学は問題の意味すらわからず、古典的な手だが、大きくダルマの絵だけを描いて提出した。
(手も足も出ないの意)
それでも赤点を逃れるギリギリの点をくれた。
漢文も問題を見た瞬間にお手上げで、終了までの50分間を使い、答案用紙の裏にSF小説をビッシリ書いた。
これは「地底人の人物像と環境設定をもっと単純化せよ」の寸評付きで75点もらった。
さすがに胸が痛み、以後は懸命に勉強したが、いまだにバカである。
でも良い時代、良い教師たちだった。
日本橋三越のライオンにまたがれば大学受験が叶うという。
さすがにそんなことはしなかったが、ある年の1月下旬、ホントにまたがっている若い男(高校生のようだった)を見た。
顔をチラ見したが、明らかに私よりバカそうだった。
そんなヒマがあれば、参考書の数ページは覚えられるだろうに。
中学の時、三者面談で教師がうちのオカンに言った。
『やれば出来る子なんですけどねえ』
バカじゃないの。
誰だってやれば出来るんだよ、やらないだけなの!
(ヤル気出させろよ、それも教師の仕事だろ!)
胸の中で責任転嫁させていた。
そして都立のバカ高校に入った。
クラスを見回せばバカばっかし。
三年間、授業を抜け出してはバカ多数と雀荘に入り浸ったり、自主休校してデート(相手のおなご-中学から付き合っていた-も自主休校)なんぞしていた。
仲の良いバカを誘い、秋葉原から山手線の内回り、外回りに別れて乗り、どちらが早く一周できるかという有意義でアカデミックな実験を行なった。
結果は内回りが1分20秒早かった。
やはりレースというものは、すべからくインコースが有利なようだ。
誰も検証しようとしなかった偉業を成し遂げ、それをクラスのバカどもに伝えると大賛辞を浴びて尊敬された。
勉強もせず、ライオンにまたがらなくても、そこそこの大学には入れた。
あの男は無事に合格したのだろうか。
コロナ禍で、多くの人の生活設計や人生が歪んだり沈んだりしている。
世紀末かと思う。
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