曜変天目茶碗と日本の美
2015年9月25日
平知盛の最期ではないが、見るべきほどのことをば見つ、の心境でここ数年間を過ごしてきた。
しかし思い巡らせれば、まだまだ見るべきものの何と多いことか。
これだけは見ておけ! そう心が命じている。
同時に、自分の妄執の深さを見た気もした。
本当に美しいもの、移ろわぬもの、己の琴線に触れるもの、心に確かに刻まれるはずのもの…。
それらはすべて内面の均衡を保つための必須アイテムとして当然であるが、世間と妥協できず折り合いもつけられない未熟な私にとっては貴重な体験となる。
単純に言い切ってしまえば、単なる心の栄養補給である。
この補給を随時行っていなければ、我が人生は、ほとほとつまらないものに成り下がってしまう。
雨の中を朝一番で出掛けたものの、開館までまだ時間があり、人の姿は周囲どころか館内にもほとんどない。
展示の開期もあとわずかとなって焦っていた。
それでタイミングというものがあって、掌にすっぽりと収まるほど小さな椀を見るには、おそらく人が何重にも取り巻く中で、人の肩越しにちらりと見え隠れする最悪の環境では「見た」ということにはならないだろうし、心に響くはずもない。
何より人混みや行列が大の苦手である。
ならば行かない選択が精神衛生上はるかによろしい、ということに落ち着き、自宅で謡曲本でも読んでいた方が気が利いている。
だが雨の平日、それも開館と同時であれば、訪れる人も少ないだろうとの読みも働いた。
今日を選んで正解であった。
曜変天目茶碗は東京の静嘉堂文庫所蔵のものを見たことがある。
藤田美術館所蔵の器が国宝三点の中でも際立って優れていることは、写真集などで見て知っていた。
だから曜変天目はもういいかな、との想いがあった。
いずれ斑鳩の法隆寺へ行った折、機会があれば大阪まで出向き、その時はじっくり見てみようという程度の思い入れでしかなかった。
ところが今回の展示目録を調べてみると、ぜひこの目で見たい名品が数多く展示されていることを知った。
ポスターには「曜変天目茶碗と日本の美」とあるが、曜変天目茶碗以上に「日本の美」の展示物が目的になった。
しかし「名品ずらり、めっちゃええやん!」のキャッチはいかがなものか。
なんだか訪れた我が身が恥ずかしくなる。
まあ、好きにすればいい。
ロゴやデザインに関してはナーバスになっても仕方ない時期だし、キャッチもそれなりに独創性を考慮しているのだろうと想像する。
藤田美術館の曜変天目茶碗については、かつて「ミクロコスモス」のタイトルで詳しく書いたので深くは語らないが、今回、初めて対面した碗の印象を少しだけ述べてみたい。
大きさは小振りの茶碗ほどであり、厚みもない。
もちろん手に取ることは叶わないが、視覚的な美しさがすべて重量に換算され、掌に受けるとずしりと響くような重さの錯覚を全身で感じ取るような、得も言われぬ感動がある。
この感動は全身的であり、生命的であり、その一瞬の歓喜は絶対的である。
全体の藍の色調の中に含まれた瑠璃色の奥深さは鮮明で、背筋を戦慄に似たものが走る。
たじろがずに凝視し続けると、次第に造形が消え去り、色彩の乱調と文様の偶然性だけが浮き上がる。
すると己の存在の虚無の投影を見るような心象になる。
強い感動に裏打ちされた美と対峙すると、感想もこのように漠然とした観念的なものになってしまう。
これは寂寥の感が深まり、人生のその寂寥を噛み締めている仄かな主情でもある。
エレベーターに乗せられて4階へ移動し、最初に現れたのが、快慶作の木造地蔵菩薩立像だった。
言葉や表現方法が浮かばぬほど緻密な造りの地蔵だった。
重文だが、国宝にも匹敵する完成度のお姿だった。
維新前後の廃仏毀釈に絡めて解説する向きもあるようで、元は興福寺の持仏だったらしい。
それを藤田傳三郎が救ったという流れか。
詳細は調べるつもりもないし、書く気もない。
慶派の力量、言い換えれば底力を改めて瞠目させられた一躯である。
美術館といえど、所詮は個人所有であり、叶うならばそれなりに由緒ある寺の地蔵堂で巡り合いたかった。
緻密ということでは、春日厨子も素晴らしかった。
仏教のドールハウスという趣きである。
そして驚いたのが、法隆寺五重塔初層内陣にあるはずの塑像一躯。
法隆寺を訪れる時は必ず懐中電灯を持参し、薄暗い内陣を照らして見たものだが、こうして間近に見るのは初めてである。
しかしその中の一躯が何故ここにあるのか。
法隆寺も長い歴史の中で困窮した時期があり、寺院の運営のため泣く泣く手放したか…。
今回は、他にも印象に残る名品揃いの企画展だった。
微かにいびつな青磁の大花瓶。
完成した龍頭鷁首の船を見る道長と、その道長が描かれている最古の絵巻である「紫式部日記絵詞」の鮮やかな色彩。
尾形乾山、光琳合作の銹絵絵替角皿(さびええがわりかくざら)1組10枚。
平安時代の仏功徳蒔絵経箱の細密な細工の意匠。
夢窓国師の墨蹟。
油滴天目茶碗の中に広がる、まるで顕微鏡で覗いた細胞群のような油滴跡の文様。
黒楽茶碗の太郎、次郎等々。
出口近くの一番最後に、現在の貨幣価値に換算すれば十億円近い額とされる織部好みのような、手のひらに乗るほど小ぶりの交趾大亀(こうちおおがめ)香合。
藤田傳三郎が死の十日前に購入したという。
この香合だけは、価値も魅力も理解できなかった。
美に対する私の貧弱な似非眼力である。
駆け足の1時間半で巡り、この約1時間半は私にとってぎりぎりの、しかし至福ともいえる法悦のひとときだった。
窯変と曜変の違いも、実物を前にしたことで正確に理解できた。
観賞法の差異を除くとすれば、おそらく倍、許されれば一日中でも居たかった。
ちなみに、大きな書店ならば、私は楽に1日を過ごせる。
エスカレーターで2階へ下ると、思いがけず化粧品の強烈な匂い。
いや、同じ「におい」でも、この場合は臭いと表記すべき悪臭でしかない。
「日本の美」の余韻に浸る間もなく気分が悪くなり、慌てて屋外へ逃げて深呼吸した。
これが防衛省の跡地とは思えない変貌で、隔世の感がある。
ちなみにミッドタウンは初めてである。
サントリー美術館以外を訪れることは今後もないだろう。
もしあるとしても、1階のスタバくらいなものだと思う。
外は相変わらずの雨。
六本木ヒルズ上部を、次々と低い雲が流れていた。
雨の六本木には、感傷に直結する若い頃の思い出が詰まっている。
現実に引き戻され、まるで笑い抜いた後の笑い切れぬ人生の寂しさや、人間存在の寂寥相を次第に感じ始めていた。
この時に気付いたのだが、先ほどの曜変天目茶碗は、あくまで観賞用ではなかったのではと考えた。
濃茶はもちろんのこと、薄茶にせよ、喫んだ後をイメージすればわかりやすい。
実際に茶を喫むと、多かれ少なかれ、茶が残り、全体に薄い膜がかかったようになる。
するとあの文様や色彩には濁りが生じ、喫茶後の鑑賞は不確かなものになるはずだ。
ならば、これほど茶席に不釣り合いな椀はない。
言い換えれば外道の茶器ということになる。
もちろん、極端に発想を飛躍させての考えだ。
しかしこれも素人の思いつきであり、他愛のない与太噺である。
再び地下へ引き返し、大急ぎで大江戸線に乗った。
さあ、山へ戻ろう。