計画停電もう慣れた
2011年3月25日
黒いブルゾンを着ていたので、停電になると闇夜のカラス状態だ。
駅からの道を、車に轢かれぬよう、ずいぶん気を遣って帰宅した。
戦時中の灯火管制もこんなだったのだろうか。
そういえば、東京23区内では足立、荒川の両区だけが部分的に計画停電エリアに組み込まれて、同じ都内なのにと、その不公平感に不満が出ている。
さもありなん。
戦時中の空襲では、通り一本隔てただけで、全焼家屋と無傷の家屋が向かい合っていた。
焼け出された人たちは不運を嘆きながらも、無傷の家屋の住人に対して嫉妬の念を抱いたという。
5グループを更に25グループに細分化し、公平を期す方向のようだが、果たしてどうなるか。
エレベーターが使えないので、見えない手摺を頼りに非常階段を上る。
拙宅はマンションの5階だからまだ良いが、高層マンションの住人は更に大変だ。
水騒動でやっと手に入れた重いペットボトルを手に、赤ちゃんを抱いたママさんたちは可哀そう。
水といい、野菜といい、計画停電といい、すべて東電が原因なのだから、一歩一歩上るたびに、
「こんにゃろ、こんちくしょう」
と階段を踏みしめるのだろう。
数十年前の金町浄水場の水は不味くて、とてもではないがそのまま飲めるものではなかった。
それでも最近は、その水をペットボトルで販売するまでに改善されていると聞くから驚きだ。
今はすっかり鬼っ子となった福島第一原発のせいで、ニュースのトップは放射線報道ばかりになった。
本当は被災地で苦労している大勢の人の生活環境や、復興に向けて努力し始めている人たちの話題を知りたいのだが、鬼っ子がニュースを独占しているものだから、他地域の人(特に関東圏)は浮き足立ってしまい、自分のことだけで精一杯の気分になっている。
そんな状態だから東電も資金繰りに困って、二兆円近くの融資を申し出て、急場をしのぐらしい。
結局その借金は電気料金に上乗せされ、不便をかこつ東電利用者が負担するのだろう。
東電株を持っている友人がいるが、もう紙屑同様で、「潔くあきらめた」と言い切った。
(電子化されて、株券なんてもう無いけどね)
真っ暗闇の中で自宅のドアを開けた。
もう二十年以上暮らしている部屋なので、たとえ何も見えなくても不便はない。
それでも無意識に玄関照明のスイッチに手が伸びる。
「ああそうだった、バカだなオレ」
と思い直し、靴を脱いだところで、上がり框につま先を引っ掛けて、前のめりになって倒れた。
したたかにおでこを打ったが、大したことはない。
惜しい、わずか1センチほどの誤差だった。
でも後は大丈夫、何しろ住み慣れた部屋だ。
たとえ目をつぶっても、どこに何があって、室内をどう移動すればリビングや寝室に行けるかは、感覚と歩幅ですべて熟知している。
停電で何も見えなくても心配はいらない。
リビングのテーブルに置いた懐中電灯を目指して進んだ。
真っすぐに歩くだけだから何も問題はない。
何かにつまずいて、また前のめりでコケた。
昔取った杵柄で、今度はとっさに柔道の受け身で頭を護った。
だが受け身を取った瞬間に、右腕でテーブルを打ちつけ、思い切り二の腕を痛めた。
同時に、テーブルの上のマグカップがどこかに転がった。
割れた気配はないので大丈夫。
何とかソファまでたどり着いて、懐中電灯を点けた。
コケた原因は、ガスストーブだった。
家を出る前に、帰りは真っ暗だからコケるといけないと思い、わざわざ移動して置いたことを失念していた。
笑って許してあげよう。
誰を許すかは分からないが、自分か東電のどちらかだろう。
懐中電灯を持って洗面所へ行き、鏡を見たが、数ヵ所、青あざになっていた程度で済んだのは、馴れた自宅だからであって、全治一晩くらいの軽傷だったから気にするほどのことではない。
ひとまず安心して着換えを済ませ、改めてソファに腰掛けた。
ソファの上には、あらかじめ靴下を置いていた。
テレビもダメ、読書もダメと分かっていたから、通電するまでは靴下の毛玉でも取って過そうと用意していたものだ。
でも、真っ暗では毛玉取りが出来ないことに気付いた。
懐中電灯を頼りにコーヒーを淹れ、後はおとなしくラジオを聴いて過ごした。
こんな暮らしが、これからしばらくは続く。
今はいいが、去年のあの猛暑はどうやって凌いだらいいのだろう。
昔の東京とは違い、街は太陽熱を溜める。
住まいだって、密閉性が高い。
まだ現実感は薄いものの、限りなく憂鬱だ…。
今回の震災のオマケは、すべて鬼っ子の仕業。
人間は人工の太陽を作って便利になったと浮かれたが、その人間自身が制御できないものを作ってしまった後悔はしているのだろうか。
鬼っ子のお陰で、本来の被災地への関心の何割かが奪われ、復興の妨げになっている。
それどころか、諸外国では日本の農産物、海産物の輸入禁止措置が相次いでいる。
風評被害の損失も含めて、それらの補償は自前で出来るわけもなく、結局は国に依存することになる。
島国である日本は海に浮かぶ船と同じだ。
船が破損すれば、他を犠牲にしても、集中的に素早く手当てをしなければ沈没してしまう。
その修復のために、国民が一丸となって取り組まなければいけない大変な時に、鬼っ子がそれを妨害している。
妨害どころか、ついに被爆する人が出てしまった。
停電には馴れても、鬼っ子への怒りが収まることはない。
やっぱり、許すのやめた。
信号や街灯くらい点灯させなさい。
じゃないと、痴漢と交通事故が増えるばかりだ。
死者と行方不明者の合計が二万七千人に増えている。
阪神・淡路の時のように、今年の平均寿命も確実に下がる数字だ。
復興は喫緊の最重要事業。
千載一遇のビッグビジネスと、震災特需で大喜びし始めている人も多いだろうが、先ずは船の破損部分の修復が最優先されなければいけない。
現地の厳しい状況が伝わって来る。
ここに書いても何の影響力も無いし、どこにも声が届かないことは分かっているが、弱い人、弱い所から手当てをしなければ、精神性も含めた日本の再建はどんどん遅れていくだけだ。
制御できないものを作ってしまった連中と一緒に沈没は嫌だ。
「平和利用」とか「安全神話」なんて、いったい誰が言い始めたのか。
ほとんどの人が、実は原発とは「パンドラの箱」と気付かなかった。
音も匂いも気配もないのに、そのくせ人体を蝕むから、放射能は本当に怖い。
近所のモクレンが咲き始めた。
彼岸までのはずの寒さがまだ続いているのに、自然のサイクルだけは正確だ。
桜前線も北上を始めているが、我が町の桜祭りは中止になった。
今年は懐中電灯での夜桜見物だ。
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