彰義隊が眠る寺

2007年5月29日。


先日、千住大橋を訪ねた折、何気なく途中のお寺に寄り道をした。
円通寺。
足を踏み入れて驚いた。
このお寺に彰義隊の墓があるのだ。
知らなかった。
彰義隊といえば、上野の西郷さんの銅像の裏に、ひっそりと合同の墓所があり、それこそが悲劇の彰義隊の墓だと信じていた。
寺の境内にはいくつもの大きな碑が立ち並び、そのひとつひとつに合掌してから千住大橋に向かった。

南千住に近い日光街道沿いにこの寺はある。
地下鉄日比谷線の三ノ輪で下車し、わずかな距離だった。
寺巡りが好きなので、迷わずに境内にお邪魔した。
立派なお寺である。

後日、上野の彰義隊墓所に確認に行ったが、この寺に分骨されたということが真実らしい。
それでも大きな発見だった。
生まれてから数十年ずっと都内に暮らし、いわゆる名所旧跡、様々な人物や事件のゆかりの地なども大抵は知っているつもりだったが、まだまだ知らないことの方がはるかに多い。

上野寛永寺から移されたという黒門。

黒門とはいうけれど、よく見れば猛火に焼かれた痛々しい姿。
時代の転換期に殺戮が伴うのは世の常だが、煤けた柱は幾星霜を経て平成の今も場所を変えて静かに立っている。
無数に残る鉄砲の弾痕が恐ろしい。

黒門の裏手に回れば貫通した銃弾の痕が鮮明に目に飛び込んで来る。
官軍の物量戦の前に、賊軍となってしまった彰義隊の苦戦の様子が目に浮かぶようだ。

話は脱線するが、二人の知人がいる。
一人は「オレ日の丸あんまり好きじゃないもんねA」
もう一人は「オレ日の丸かなり好きだもんねB」
飮み会などで顔を合わせれば日の丸論争に発展することがある。
私はあえて口を挟まず、二人のやり取りをすぐ横で聞いている。
『二人の考えは変わらないんだから、そろそろ止めた方が良いんじゃない?』
別の方角から声が掛かる。
決して譲り合わないのだから、確かに不毛な議論だ。
でもAとBは親友同士である。
だから安心して聞いていられる。
互いにどうしても歩み寄れない主張があろうと、その友情は長年不変だ。

しかしこの時は深酒のせいか、A、Bとも、かなりエキサイトしていた。
形勢は、「オレ日の丸かなり好きだもんねB」が、やや優勢だった。
場所は大衆居酒屋。
周りへの迷惑にもなるので、一番年長の私が仕方なく割って入った。
『おいお前ら、よーく聞けよ』
恥ずかしながら胡散臭い話を聴かせた。

日の丸は法律で制定される以前から国民の間では国旗という意識があった。
江戸時代にはすでに完全に認知されていたといって良い。
しかし官軍の錦の御旗は別名「菊章旗」といい、天照皇大神の名を刺繍したものだったということを知るべきだ。
だから、戊辰戦争は菊の御紋と、日の丸を掲げた幕府軍との戦いだった。

日の丸論争などに関心はないが、「オレ日の丸あんまり好きじゃないもんねA」の肩を軽く叩き、
『今の日本国旗が賊軍の日の丸を使ってるなんて考えるだけで愉快じゃないか。もう少し大らかに受け止めろ…』
と締めくくった。

こんな簡単なことでも、酔った頭では理解するのに時間がかかるらしく、二人ともポカンと口を開けて沈黙してしまった。
A、B双方の決着のつかない論争の落とし所はこの辺りしかない。
細かいことをいえば多少の誤謬はあるが、大筋では間違っていないはずだ。
会津落城もしかり、戊辰戦争は確かに菊の御紋VS日の丸の戦いだった。
尊王攘夷、王政復古の嵐が日増しに強まる中で陰りゆく幕藩体制に呑み込まれ、愚直なまでに幕府への忠誠を貫いた新撰組、彰義隊、白虎隊などの行動には、忠義の本質が如実に表れている。
この本質は、武士道と同義語である。
(もっとも、新撰組の場合は若干違う意味合いで参集した人たちもいた)

島崎藤村の「夜明け前」に以下の一節がある。

京都の守護職をもって任じ、帝の御親任も厚かった会津が、次第に長州と相対峙する形勢にあったことを忘れてはならない。仮令王室尊崇の念に於いて両者共にかわりはなくとも、早く幕府に見切りをつけたものと、幕府から頼まるるものとでは、接近する堂上の公卿達を異にし、支持する勢力を異にし、地方的な気質と見解とをも異にしていた。

小説ということを割り引いても、主人公、青山半蔵が古代への回帰を標榜し、やがて挫折して行くストーリーには、藤村の緻密で正確な時代考証と、冷徹でありながらも公平な作家精神が宿っている。

後藤鉄次郎は上野山で銃弾に斃れた一人。
明治時代に歌舞伎にも登場した人物である。

日の丸論争をやめた二人は、ナイター中継のテレビを横目に、今度はプロ野球の話を始めた。
Aは、「オレ熱狂的阪神ファンだもんね」
Bは、「オレ熱烈巨人ファンだもんね」
なのである。
「巨人ファンなんて人間の風上にも置けない奴だ」
「阪神ファンはみ~んな道頓堀川に飛び込んで行水でもしてろ」
親友の間柄でも、こと野球となると事情は変わって来る。
これは日の丸論争以上に不毛だ。
何故か「ああ、キミはあのチームが好きなのね」だけでは収まらないから困ってしまう。

話はまた円通寺に戻る。
千住大橋を訪ねた帰りの日比谷線車中、「円通寺」の名前にどうしても引っ掛かるものがあって考え込んだ。
記憶の深層に沈殿した何かとても重要な出来事…。
それを帰宅直前に突然思い出し、愕然として鳥肌が立った。
こうしてまた後日、南千住付近を訪ねることになる。

以下の写真も撮ったが、後は円通寺のHPなどで確認して下さい。
小塚原の地名の由来なども知れて、なかなか興味の尽きないお寺です。

次回へ続く。

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