音楽との付き合い方

 みなさんは普段、「音楽」とどう付き合っているだろうか。
 個人的にポピュラーだと思っているのが、通勤・通学時にスマホを使って音楽を聴くスタイルではないだろうか。
 あるいは自宅にいるときに、BGMとして流していることもあるかもしれない。

 私はというと、通勤時はもちろんだが、基本的に徒歩距離以上の外出であれば、必ず音楽を聴いている。
 普段、自宅では音楽や映像を流さず、無音で過ごすことが多いのだが、最近は副業をしているときや、こういった物書きをするときは音楽をかけることが増えてきた。
 
 物書きするときはともかく、副業をしている最中に音楽をかけるのは、単純に気を紛らわせる以上の意味はない。
 要はやりたくてやっていることでないと、短期的にストレスがかかる。そのストレスのはけ口として音楽をかけているというわけだ。
 あまり前向きな使い方とは思わないが、これも有用な音楽の活用法だろう。

 では、音楽は何で再生しているか。
 外出するときは、スマホではなくDAP(Digital Audio Player)を使うことが多い。
 スマホを使った方が何かと便利なのはわかっている。それに、再生される音もスマホ黎明期に比べればはるかにいい音なのも知っている。
 でも、より音がいい再生専用機を使うのだ。いや、使いたいのだ。
 
 なんでこんなに音質にこだわっているのだろう、と自問自答してみた。
 我々の世代は、小学校高学年から中学生の頃にかけて、世の中にオーディオブームなる流行があり、マセガキだった私はそれに乗っかって高音質を求める習慣が付いてしまった。
 おそらく、今に至る源流はこれではないかと思い至った。

 オーディオブームの頃はレコードとカセットテープの時代。
 1982年にCDプレーヤーの第一号機がソニーから発売されており、これは鮮烈に記憶に残っている。
 レコードをカセットテープに録音するのが当たり前だった時代、レコードでどうしても起きてしまうプチノイズから解放され、A面・B面という概念がなくなったデジタルメディアに強く可能性を感じたものだ。

 それから38年。
 CDは相変わらず音楽メディアとして主流である一方、音楽ソースはフルデジタルになり、メディアすら不要なストリーミングが当たり前の時代になっている。
 デジタルに音の良し悪しもないもんだ、と思わないでもないが、都合悪いことに音の良し悪しを聞き分ける耳を持ってしまっているので、再生音の悪さには我慢ならないのだ。

 気にしない人はまったく気にならないだろう。
 100均で売っているイヤホンでも満足できる人は満足できる。
 それを否定するつもりはさらさらない。
 ただ、100円のイヤホンと1万円のイヤホンは明らかに音が違う。
 1万円と5万円のイヤホンも明らかに音が違う。
 とこだわっていくと、「沼」にハマっているわけだ。

 一眼レフの本体やレンズ、オーディオでもより金がかかるスピーカー派の人の「沼」のハマり具合は並大抵のものではない。
 
 それでも人間、ひとつやふたつくらいこだわりを持っている方が人生楽しいのではないか、と言い訳がましいがそんなことを思ったりもしている。

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