「限定」と言う名の病
限定品という言葉、心に響く人は少なからずいるはずだ。
一般的に流通している製品だって本当なら別に何の問題もないわけだ。モノなら使うのに支障はないだろうし、消費材であれば普通に消費されているものだろう。
が、それに何らかの「プレミア」として「数量限定」とか製品の頭にくっつけるだけで、途端に目の色が変わる人は必ずいるはずだ。少なくともこう書いている私がその一人だ。
何というか、今では流行りではないらしいが、モノへの執着心というかコレクター魂というかそういうのが私にはあるらしく、「限定」と書かれると普段なら見向きもしないようなモノでも「ん?」と目に留めてしまう悪癖がある。
身の回りのモノで言えば、本やCDの類に「限定」が多いような気がする。
アニソンなどでは必ずと言っていいほど「初回生産限定」という言葉がくっついてCDがリリースされる。だが、実際のところリリースから1年経っても2年経っても「初回生産限定版」が新品で買えたりするので、これに関しては最近慣れが出てきていて、とりあえず「初回生産限定版」とやらをオーダーするのだが、あまり心がときめかないのだ。
むしろ、「生産限定」が多いのはクラシックのような感触がある。
手元にシリアルナンバー入りの「世界数量限定生産」CDーBOXが3つほどある。世界中でわずか1000セットとか2000セットとか言われるとときめく。それでも自分が好きな演奏者だったり指揮者でなければさほどは響かないのだ。そういうのが直球ストレートで来ると、心が一気に傾いてしまう。
そういうものに限って、今から数年前にリリースされたもので新品がどこにあるんだよ状態になっていることがほとんど。買うと決めたら目の色変えて探しおおせる。そして、現状は運良く新品を入手できている。
「限定」と同じ効果を私にもたらすのが「廃版」「絶版」「古書」という本にまつわる言葉。
電子書籍に置き換えて買うようにしているが、それでも年間で100冊から増えていく本は家の中のあらゆる場所を侵食している。そのくらいの本好きなのは以前も書いたような気がするが、こういう中途半端なビブリオマニアでも、「部数限定出版」などにはやはり弱い。
加えて、本には「古書」というカテゴリーがある。これは唸るほど金を持っているとかしないと到底手に入るものではないが、いわゆる文豪の初版本などが相当する。
漱石や芥川のような明治・大正期の文豪の初版本となると、数十万円という単位で取引されるし、しかもいつでもあるものではなくて、誰かが手放したものが回ってくるというもので、結局現存している数自体が少ないので、巡り巡ってマニアの手に渡るという次第だ。
直筆書簡や直筆原稿となると、もはや本というレベルを超えているが、一般人が目にするのは博物館レベルで、基本的には一般に出回らず発見されれば、どこかの機関が保管のために引き取るか、研究の一環として大学などが所有するものなので、一般人が持っていないとは言わないが本当にレアな一品であることに違いはない。
そういうものにときめいてしまうのだからタチが悪い。自分でも本当にタチが悪いと思っている。と言いながら、やはり数年前に5000部だけ出版された限定本を購入したばかりである。中身自体はその数年前に新書で読んでいるし、アニメで全部観ているので知っているにもかかわらず、だ。
我ながらもはや病に罹っているとしか思えない。
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