生きにくさはどこから?
生きにくさはズバリ社会が生み出していると考えます
無知が作り出した社会の問題です
私の働く施設では、9割の方が認知症をお持ちです
居宅サービスなので
皆さん、在宅生活をされています
独居の方も多くおられます
もちろん困り事はあるものの
少しの工夫で生活を維持できる方はたくさんおられます
認知症が出ると
一見、持っていない人からすると
不可解な言動
異常な言動
と感じられる事があります
すると蔑視されたり
おかしな人とレッテルが貼られたりします
そうなると色眼鏡でみられる生活が始まり
生きにくくなります
これは認知症がどういうものであるのかを
「知らない」ということが問題なのです
上っ面の情報が一人歩きして
勝手なイメージがつき
「自分たちと違う」
と分けて考えてしまう
でも、わたしとアナタに違いはないのでしょうか?
違いのない人間などそもそも居ません
一卵性双生児でも
同じ家庭に生まれ育っても
環境は違い
性格も違ってくる
だからといって分けては考えない
自分たちの経験から想像し理解し得るからではないでしょうか
例えば認知症で「徘徊」と呼ばれる一人歩き
徘徊の言葉の意味は「理由もなくうろうろと歩き回る」です
そして、そのように受け止められているので「徘徊」という言葉が選ばれています
ですが、認知症の方は
誰一人として
理由もなく歩いている人は居ません
様々な言動の根底には記憶障害が影響を及ぼし
こぼれていく記憶がある中
どうすれば良いかと懸命に考え
導き出された言動が
その経験のない私たちには
不可解なこととして映る
買い物に行こうと外に出たのに何をしようと思ったのか思い出せなくなった
そうするとどこを目的地としていたのか分からなくなり
いつもの場所に行けば思い出せるかもと歩きだすが思い出せずうろうろとしてしまったり
記憶が抜け落ちることで子どもが小さい頃に戻ってしまい
夕方になっても帰ってこないから探しに出て近くを歩き回ったり
理由は様々
ですが、本人が今はどの時代を生き
どのような世界に居るのかが分かれば
ごくごく自然な思考です
ものを盗られたという発言も
そこに置いたエピソード自体がすっぽり抜け落ち
どこにあるのか分からなくなる
普段決まって置いていたところにない
自分で管理をしている方や
一人で生活している方だと
自分以外の人間の仕業となり
盗られたと思う
そうすると大切なものは盗られないように
「誰にも分からないところに隠しておこう」
という考えが働き
どんどんと見つけられなくなる
自分が置いたはずのところになければ
誰かに盗られたのではないかと思うことは
とても自然な思考です
このように気持ちが分かれば
不可解ではなくなる
知らないことが問題であり
知らないと気づかないことが
その方たちを生きにくくしています
もし困っている様子であれば
「何か探していますか?」
「お手伝いできることはありますか?」
とぜひ声をかけてください
一人歩きをしているのではないかと思えば
(特に夏場に顔を真っ赤にして歩いているなど)
「こんにちは(こんばんは)、暑いですね」
「喉乾いてないですか?」
など立ち止まる機会を声かけで作ってみてください
しっかりとお話される方が多くおられ
意思の疎通が取れることもよくあります
例え意思の疎通が取りづらくても
笑顔で声をかけてくれることは嬉しいことです
困っても当たり前に誰かが声をかけてくれる
歩き続けている足を休めてくれる人がいる
たったこれだけのことが
生きやすい世の中を作ると
私は信じています
困ってなければそれでいい
どっちかな?と思ったら
にっこりとあいさつだけでもしてみてください
きっとその笑顔が誰かの支えになるはずです