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クローズドという生きかたについて

今回はマシュマロが2件あります。

マシュマロをくれた2人の方が困っていることはもちろんそれぞれ別々のことなのですが、僕の思うクローズという生き方についてはその両方に関連するところがあるので同じ文章のなかで返事を書かせてもらえたらと思います。

まず、素人が薬についてテキトーなことを言って悪化したりしてはいけませんので、薬の効き方について僕は何も役に立てません。予期せぬ望ましくない症状等があれば必ず主治医の方にも相談してください。

僕がなにか言えるかもしれないこととして、クローズドで生きることについて思うところを書きます。
話の前提として僕の考え方を明確にしておきます。これが正解だとは言いません。あくまでも僕の考えかたです。

まず僕自身の現状です。僕は現在まで職場(転職の経験がないので今の職場しか知りません)や家族に対してクローズドを貫いています。このとき相手にバレてるバレてないは関係ありません。自分から打ち明けないということです。たぶん今後も続けると思います。オープンにしたことはないので比較することはできませんが、クローズドが自分にとっては最良だと考えています。

次に社会全体の傾向についてです。これから社会全体としての発達障害者への風当たりは基本的には今よりも強まっていくのではないかと思っています。そうなった場合、僕たち発達障害者は社会のルール上は「明示されてしまえば配慮しなければならない存在」として扱われるので、表面的には社会の理解が浸透していく反面、ツイッターのような捌け口には当事者への不満が向かうことになります。今までは職場の、言葉は適切か分かりませんが、被害者からの当事者への不満が主なものでしたが、幼少期に発見されることが増える今後は友人関係であったり、あるいは我が子に対する“被害者”の不満が吐き出されてヘイトとして蓄積していくと思います。これは制度の問題というより発達障害がある意味で“能力の障害”である以上、“被害者”の増加は発達障害の認知度の上昇に伴う必然であって避け難い問題なのだと思います。

最後に自分の半径10メートルの世界の話をします。つまり自分が日常的に所属するコミュニティです。職場もこれに含まれます。この範囲では発達障害者としての属性よりも個人として見られる割合が大きいため、オープンにして周りに受け入れられている人も多くいると思います。ただ、オープンにする場合は
①コミュニティに受け入れられる
②オープンにする
という順番にすることは基本的に必須だと思います。これが逆だと第一印象の手前の段階で、「この人は発達障害者なんだ」と、いわゆる“色眼鏡”ですが、個人の印象が社会全体の印象に引きずられるため、コミュニティに受け入れられる上での余計なハードルになる気がします。最初からオープンにするという判断はそのハードルの高さと色眼鏡で見られることの“恩恵”の部分とを天秤にかけた上で行われるべきだというのが僕の考えです。

このような状況下で当事者がとれる生きるための戦略としては次のようなものだと考えています。
①可能な限り自分の能力を発揮できる場所を選ぶ
②そこで(周りにバレていても)クローズドの立場で成果を出して認めてもらう
③それが無理ならクローズドで頑張っている姿勢を見せて周りに受け入れてもらう
④それが無理ならオープンにする、最初からオープンで就職する
これらについて、①を実行した上で②③④の順番で目指すという方法です。

もちろん、自分の能力を発揮できる場所の見つけかたとして一番理想的なのは自分の好きなもので、かつ自分が他人よりも得意で、かつその分野がお金になるというものです。ADHDにとっては努力することが報酬に直結するというより、むしろ報酬を求め続けることが結果的に努力の継続になる状態だと思います。こうなれば人生に迷う必要もないでしょう。脇目も振らずそれを継続すれば良いだけの“勝ち組”のADHDというやつです。

そうではない場合、つまり①がなんなのか分からなければ(というか僕を含む大多数の当事者は分からないと思います。)、とりあえずは偏差値的な意味でのなるべく“良い大学”→いわゆる“良い会社”という考え方で大きな間違いはないと思います。理由は職業の選択肢という意味での可能性を最大化できるからです。

当事者が自分自身の得意/不得意や好きや世の中にある仕事を完全に把握するためには、失敗が誰でも比較的許される若い期間にバイトなどとにかく色々やってみるのはもちろん大切ですが、それにしたって人生におけるモラトリアム期間は短か過ぎます。また、就活における自己分析や研究も大切ですが、大抵の仕事は実際にやってみたら外からは見えない、あるいは想像できないような、自分の得意な部分や不得意な部分を併せて持っています。多かれ少なかれやってみないと分からない部分は残ります。つまりピッタリの仕事に出会うには、最後は試行回数がモノを言うわけで、選択肢を自分から少なくすることは悪手だと思います。

ここでいう“良い会社”とは例えば安定している(とされる)業種の大企業です。つまり業務が細分化されているためゼネラリストであることを求められにくく、その細分化された業務が自分にフィットするかもしれないというガチャを何度も引ける可能性が高いというメリットがあります。
また、もちろん例外はありますが、全体の傾向として頭の良い人は余裕があるので視野が広く相手の色々なことを読み取る能力のある人であること、求められる社会的振る舞いができる人であることが比較的多いです。つまり“優しい”可能性が高いということです。そのような人が多い環境の方が自分の能力は発揮されやすいでしょう。そして頭の良い人の占める割合は“良い大学”“良い会社”であるほど高いと思います。(その意味では職場の「残業時間の少なさ」は働く人達の余裕に繋がる部分なので就職の際には重要視した方が良いと思います。)
これはあくまでも確率を高めるという話です。当然ハズレもあります。しかし、たとえその大学・会社に対する見込みがハズレたとしても“次の選択肢”がそれらでは多いです。次のガチャが引きやすいということです。

②からのオープンという手段もカードとしてはあると思いますが、僕にとっては意味も必要性も少なく、またこれは僕自身の問題ですが、僕は他人から自分に対して特別の配慮をされるというのが苦痛なので(サービスとして髪をきってもらうのは平気ですが服を選んでもらうとかになると服の購入費以外にその対価を支払わない時点でもう無理なレベルです)、否定しませんが賛成もしないという感じです。

以上が僕個人としての基本的なスタンスです。なのでそういう考えの人間が書いたという前提で読んでいただければと思います。

まず、障害者雇用での就活を両親に反対されているというマシュマロをくれた方です。この方は手帳の取得や薬を飲むことについても反対されているんですね。しかも猛反対ということです。なかなか大変な状況かと思います。
鬱がぶり返すというのは元は鬱の症状でその病院にかかっていたということでしょうか。鬱だと薬も飲みそうな気がするのですが、それもご両親はご存知なかった、ということはさすがにないかと思っています。

障害者雇用については、僕自身は「選択肢を広く持つ」という意味で検討するなら可能な限り後ろの方の選択肢にしたいという立場です。けれど、その「可能な限り」について、僕はこの方の日常での困り具合の実際のところは分かりませんし、ご自身のことを一番よく知るご自身の判断と主治医の判断が正しいのだろうと思います。

仮にご両親が僕と同じ観点で反対されているのであれば、僕を説得するのと同じ情報で説得できる可能性はあります。主治医の方とご自身がたとえ選択肢を狭めたとしても「障害者雇用」を選ぶべきだと判断した理由を伝えるということです。つまり配慮を受けられるという働きやすさと配慮を受ける必要性の面ですね。主治医の意見を伝えてみるとご自身も書かれていましたがその意味で賛成します。
また、僕は障害者雇用について全然詳しくないのですが、ご両親がイメージするよりも良い条件の求人がたくさんあることを伝えるのもその補強になるかもしれません。

問題はご両親の反対が僕と同じ観点からではないという場合です。薬と手帳取得へのご両親の猛反対、これが僕にはよく分からない。
もしかしてなんですが、ご両親の反対が、この方が「発達障害者としてその後の人生を生きること」への反対だったりはしないのかなと思いました。そのレッテルを背負って生きることで周りからや自分自身から色々と辛いことがあるかもしれないといった心配ですね。

だとすれば僕はその心配は不要だと思います。
残念なことに薬なんか飲み忘れて放置したらすぐに効かなくなってADHD丸出しの自分に戻ってしまいますし、実際に僕はやってしまったことがあるのですが、手帳も更新を忘れたら2年で健常者に戻ります。簡単に“そっち”に戻ってこれるんです。発達障害者と定型発達者の境界なんてそんなものです。それについては、自分がグラデーションのどこにポジショニングすれば生きやすいのか、当事者はそれだけ考えればいいのではないでしょうか。
(余談ですが住宅ローンが組めないという話に対してはそんなに家建てたいか?って話ですし、保険に入りにくいって話についてはこれだけ発達障害が認知されたら発達障害者の有するリスクに見合った保険が組まれるだろと思ってます。)

もっというと僕は発達障害に効くという薬を飲んでいて、周囲に発達障害者であることを隠していますが、周りの人間の僕への認識は完全に「変な奴」です。薬を飲んでも隠せていないんです。僕に友好的に接してくれる人もいますが、ろくに接点もないのに少し話しただけで今この瞬間自分が“異常者”扱いされているんだろうなと感じる相手も多くいます。多分、発達障害のオープン・クローズに関係なく僕の持つ“異常さ”は隠そうとしていてもどうしても滲み出ていて、それを毛嫌いするタイプの人間はどうやったって存在します。それは恐らくどうしようもないことです。確かめようもないですが、僕はその手の人間が仮に僕が障害をオープンにしたときに僕のことをこの障害者が、と心の中で毒付くのだと勝手に思うようにしています。つまりは今と何も変わらないわけです。どちらにせよ普通には生きられない。普通の人生なんて最初から僕にはないんです。

普通には生きられないといっても僕はこの人生を何も悲観していません。まだまだやりたいことがあるし、やり切るまでは死にたくない。
だから生活を続けたい。生活するにはお金が必要です。そのために仕事をする。他のものは要らない。それだけなんです。

そのための今一番自分にとっての“勝ち目”のある戦略がこれなんだと、僕なら最終的にはそういった方向性の話で説得するかなと思いました。
いずれにせよ最終的にという意味では、ご自身として働くのはご両親ではなくご自身です。だから決めるのもご自身で良いんじゃないかなとは思います。

続いて、最初のコンサータを飲みながら頑張っていらっしゃる方からいただいたマシュマロに対するお返事です。お待たせしてしまいました。
先に謝っておきたいのですが、クローズドとしての生きかたについて僕の考えについては一応は上で述べました。けれど、僕にはこの方の苦しみを無くすことはきっとできません。

なので代わりに、僕がこの方と同じようにかどうかは分かりませんが一番苦しんでいたときのことを書きます。

自分が発達障害者なんだろうなとは20代の後半くらいから思っていました。当時はもう就職していて仕事がもう全然できなくて、30代前半に薬あるなら飲まなきゃヤバいって思って診断されてクローズド就労になった感じです。
同じ頃にツイッターを始めて、何気なくADHDって検索したらたくさんのツイートが表示されました。そこにはADHDの当事者の息づかいがありました。
そのことに驚いたし何より嬉しくてADHDのことを呟くようになりました。フォロワーが増えると前からやりたいと思っていたことをやってみようと思いました。人の写真を、自分と同じような苦しみと疎外感を感じながら生きてきた人達の写真を撮って壁に並べてみたいと思いました。「知らない星」というタイトルで作品にまとめたいから写真を撮らせてほしいとツイッターの固定ツイートにしました。
そして僕は3年半くらいかけて色々なところに撮影に行きました。毎月、多いときは毎週どこかに行くような生活でした。日本地図の中にあった知らない街が少しずつ僕の中で人の住む街になっていきました。
応募してくれる人は当事者が多くて、僕は自分で嫌になるくらい話をするのが下手なんですけど、それでも色々な話を聴かせてもらいました。別に明るい話を聴けるわけではないんですが、続けるうちに少しずつ僕は呼吸するのが楽になったような感じがしました。自分の悲しみが相対化されたのかもしれません。
2020年の秋、コロナ禍の中で展示をしました。東京の大島で一軒家を借りて壁の四方と天井とベランダに彼ら彼女らの写真を並べました。夜、お客さんが帰ったあとの部屋で、床に置いたライトで暗闇の中に浮かび上がった写真を、過去の遠く離れた場所の光景を僕はずっと眺めていました。

ところで、「平成たぬき合戦ぽんぽこ」というアニメ映画があります。あまり見返すことはないけれど忘れられない映画です。住処を追われてしまったタヌキたちはラストで人間社会に溶け込んで仕事帰りにたまに仲間と集まったりしています。当時悲しく思えたそれは救いのシーンでもあったのかもしれません。

もうひとつ話をします。ツイッターを始める少し前の夏、すごく大人数で開催される当事者の自助会に行きました。初めての自助会参加でした。
自助会が終わった後ちょうど地域の花火大会があるからと参加者にしばらく屋上が開放されていました。まだ明るさが残る空に派手ではない花火がポンポンと上がって、それを名前も知らないけれど同じ背景を持つ人達と眺めていました。夕暮れの風が気持ち良くて、なにかの共犯者になったような高揚感がありました。今でも忘れられない時間です。
僕はいつもそういうものを探しているのかもしれません。

発達障害者として生まれたことは最悪な出来事だと思います。生まれ変わるなら定型がいいなと僕も思います。ただ、その最悪な出来事を共有していることをお互いに示しあうことができ得るということは、それが実際に互いに支え合うとかそういうことではなくても、その事実に勝手に背中を支えられてみたりすることもできるということなんじゃないかなって僕は思うんです。マイナス100に対するプラス1くらいの慰めにもならないプラスかもしれませんが、僕はその温度が好きです。

具体的な解決方法でなくてごめんなさい。もしも少しでも心を埋めるなにかがあったなら良いなと思います。

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