僕の推し燃ゆ
1
4月に人事異動で新しい部署にきた。
デスクを寄せ合ってできた“島”を見渡せる位置にある管理職の席は酷く居心地が悪かった。8年という長い時間を静かな狭い部屋に引きこもって過ごしてきたのに、一転してガヤガヤと騒がしくてだだっ広いフロアの一角が職場に変わった。いきなり巣穴から引っ張り出されて日当たりのいい教室の席をあてがわれた気分だった。外まわりから自席に戻ってきてもそこが“自分の場所”という感じがしなかった。転職でもしたらこんな気持ちになるのだろうかと思った。
後ろの席を見る。今日も課長は不在だ。パソコンに表示された課内共有の予定表には課長の欄に「有給休暇」とだけ入力されている。明日も休暇で明後日もその先も休暇。毎日が休暇になっている異様な予定表の日付をそのまま進めていくと、月末に「退職」とだけ書いてあった。
皆に平等に与えられた権利なのだから僕に文句を言う資格はないのだけれど、途中ですべてを放り投げたように見えるそのやり方が気に入らなかった。
2
Aさんのブログを僕が見つけたのはもう10年以上前になる。僕が写真を撮り始めてから1年くらい経った頃だった。そのとき既に僕はAさんを知っていた。正確には僕は「Aさんの撮った写真」を知っていた。
写真を撮り始めた頃の僕は“ガンレフ”という写真SNSの先駆けのようなサイトに撮った写真を投稿していた。ユーザーから投稿された全ての写真が流れていく玉石混交の新着写真の画面で、自分の好みの写真を撮る人を探すことを僕は日課にしていた。
Aさんの写真はそのなかで明らかに異彩を放っていた。
彼の投稿頻度は低かった。だからその日新着画面を開いたことは運が良かったということになる。しかし、その日以降どこかで一度でも視界に入ることがあれば彼の写真を見逃すことはなかっただろう。
つまり、遅かれ早かれ写真を続けていればどこかで彼の写真には出会っていたのだと思う。
ハイコントラストのモノクロのポートレート。びっくりするくらい被写体に近い位置から撮られている。当然だけど被写体はカメラの存在に気づいている。ギラついた視線が目の奥に突き刺さる。写真から異様な凄みが漂い、それでいて見ていると妙な高揚感があった。陳腐な表現で申し訳ないが「脳汁がドバドバでる感じ」と言えば伝わるだろうか。
被写体は中年から初老の男性が多かった。道端で出会って懐に飛び込んで撮らせてもらっているような距離感だ。なにより写真が格好良かった。“森山大道みたいな”とよく表現されていたが、それとは種類の異なる“キマった”完璧さがあった。
僕は虜になって彼の撮る写真を追いかけるようになった。
あるとき僕はAさんのブログを見つけた。
他の写真SNSで知ったのか検索したのかはもう覚えていない。ブログには撮った写真のこと、生活のこと、仕事のことが短く綴られていた。文章から受ける印象で、ブログの主は当時の僕よりは少し歳上、20代後半の男性かなと思った。
3
Aさんはポートレートだけではなく、街の通行人を撮ったストリートフォトグラフィーも撮っていた。ポートレートと同じく構図的に決まった格好よさもあったが、人物を配置されたエレメントとして扱うのではなく、大きく捉えられた被写体の表情を絵作りの中で重視しているように見える写真だった。僕は純粋に写真として良い写真だな、格好良いなと思って見ていた。
Aさんはいつも渋谷の街で写真を撮っていた。だから渋谷に行くときはAさんに会えるのではないかとドキドキしていた。
Aさんのストリートフォトグラフィーは至近距離で撮られていたものだった。ブログには使っているカメラやレンズも書かれていたので知ってはいたのだけれど、被写体に踏み込んで準広角〜標準域のレンズで撮られた写真だった。当然撮ったことは相手に伝わる。ブログには撮られた通行人とのトラブルの顛末や警察とのやり取りも頻繁に載っていた。公共空間における撮影者の表現の自由と被写体の肖像権の衝突。肖像権の侵害は案件としては刑事ではなく民事なので、警官はあくまで揉めている2人の仲裁をする立場で登場していたのだけれど、当然トラブルの原因を作ったAさんには撮影者としての説明が求められる訳で、Aさんは撮った写真を相手に見せて何故撮ったのか、何が良かったのかなど説明をして最終的に納得の上で許可されたり、あるいはデータの削除を余儀なくされたりしていた。そういった顛末もブログには綴られていた。
振り返れば、SNSが普及しだしたこの辺りの時期から「街で人を撮る行為」への風当たりが少しずつ強くなってきていたのだと思う。
4
Aさんのブログには日常のこと以外に海外のある審査制写真SNSに掲載されたという報告がよく綴られていた。審査制写真SNSというのは一応写真を投稿してそれが他のユーザーから見られ、コメントやお気に入り登録ができるという点では写真SNSのカテゴリに属するものだけど、通常の写真SNSとはある一点において大きく異なっていた。その審査制写真SNSではキュレーターと言われるスタッフが数人いて、その人達による「スクリーニング」という審査を潜り抜けないと誰の目にも触れることなく却下されてしまうのだ。さらに、スクリーニングの前段としてユーザー相互による採点作業もあった。誰の写真か分からない状態で流れてくる写真に5段階で点数をつける。これを何度か行うことで数日に一度投稿の権利を得るという仕組みだった。だから掲載のハードルはとても高く閲覧者の数に対して掲載される写真はとても少なかった。トップページに新着写真が掲載される頻度は一日に数枚程度だったと思う。その反面ひとたび掲載されれば閲覧数はすさまじく数万から10万ビューは期待できた。Twitterもインスタもなかった当時、写真SNSでその数字は圧倒的だった。掲載されている写真を見るとかなりレタッチがされた写真が多いなど特徴もあったものの、広告写真的なクオリティが求められていることは明らかで、ネイチャー系では自身のプロモーションとして投稿しているプロカメラマンも多く見られた。
当時は日本人で複数枚掲載されている人は数人しかいない状況であったが、Aさんはそこで一人ぶっちぎりで掲載枚数を増やしていた。海外の信じられない地形や鮮やかな風景やテクニカルな動物・昆虫写真、作りこんだ人物・静物写真の中に明らかに異質なAさんの写真が掲載されているのを見ると胸が高鳴った。今でいうとメジャーリーグでMVP候補筆頭の存在となった大谷翔平の活躍を見るような気持ちに近かった。
Aさんは作品の発表に貪欲で、海外の審査制写真SNSの他に国内外のコンペに応募しまくっていた。そして入賞しまくっていた。落選したときも律儀に落選したという結果をブログに載せていたから、恐らく彼は応募した全ての結果をブログに掲載していたのだと思う。コンペによって選者もその好みもバラバラなことを考えると驚異的な入賞率だったと思う。
ブログを追ううちにAさんのことが段々と分かってきた。Aさんは思っていたよりもずっと僕より歳上だったということ。奥さんと二人暮らしをしていること。犬を飼っていること。学生のころ音楽をしていたこと。
僕はそれからもAさんの写真とブログを追い続けた。Aさんの写真は日本以上に海外で評価されていた。コンペだけではなくウェブ上のマガジンや雑誌や新聞などのメディアで何度も何度も特集されていた。
同時に、アサヒカメラや日本カメラといったカメラ雑誌で「スナップ写真と肖像権」という言葉を目にすることが少しずつ増えていった頃だった。
5
そのAさんが会社を辞めた。
きっかけは海外のコンテストで大きな賞をとってその表彰式に行く許可が出なかったことらしい。写真を最優先する人生を選んだ。口で言うのは簡単だけど、Aさんがいわゆる“いい大学”を出たあと、同じく“いい会社”に勤めていたことはブログで読んで知っていた。定年退職までは何年も残されているはずだった。
写真家(写真作家)として食べていくのは難しい。自分の撮りたい写真、作品としてのみ写真を撮りそれで稼げる人は日本に10人もいないという話を聞いたことがある。では写真家はどうやって食べていくかというと他に安定した仕事を持つか、あるいはクライアントのための写真を撮るプロカメラマンとして生計を立てることになる。そのうえで作家として作品を作り発表するのだ。プロカメラマンとしての一番需要がある市場は失敗の取り返しがつかないウェディングフォトだと知り合いのカメラマンからきいて、生来普通の人よりもミスが致命的に多い僕には選べない道だなと選択肢から消したことを覚えている。
Aさんはフリーのカメラマン兼写真家として生きていくということだった。早速、雑誌の撮影の仕事をもらったとブログに書いていたのを覚えている。写真家・作家としてのAさんが求められての撮影仕事だ。順風満帆といった感じだった。
このあたりから僕はAさんのブログを読まなくなった。いや、「読めなくなった」というのが正しいのだろう。自分の出来なかった「今の生活を捨てるという決断」をしたAさんへの嫉妬や焦燥、諸々の感情に僕が耐えられなかった。各種の写真SNSを通じて追いかけていたAさんの写真も見なくなってしまった。
6
それから何年も経ったある日、Aさんが炎上した。
最初はツイッターだったろうか、写真家が炎上したというネットニュースが流れてきたのを見つけて僕は事態を認識した。
Aさんが街中でストリートフォトグラフィーを撮る場面がネット上で流され、それが炎上した。通行人に近づき、すれ違い様にカメラを構えて至近距離で撮影しそのまま立ち去る彼の姿が拡散された。鏡に映った自分自身を撮った写真でAさんの姿を見たことはあったけど、動いているAさんを見るのは初めてだった。まさかこんなかたちになるとはと思った。彼が行ったことは傍若無人な行為であり、盗撮行為であると非難・指摘する声が溢れた。
(この件について、僕個人として最も許しがたいのは動画を公開した、言わば“Aさん側”の人間達の姿勢なんだけど、本題では無いのでここでは触れない。)
ここで刑事事件の対象としての盗撮行為について触れておく。いわゆる狭義の“盗撮行為”を取り締まる法令は各自治体の迷惑防止条例とされているようだ。例えば東京都の条例では盗撮は次のように規定されている。
○公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例(抜粋)
(粗暴行為(ぐれん隊行為等)の禁止)
第五条 何人も、正当な理由なく、人を著しく羞恥させ、又は人に不安を覚えさせるような行為であつて、次に掲げるものをしてはならない。
一 公共の場所又は公共の乗物において、衣服その他の身に着ける物の上から又は直接に人の身体に触れること。
二 次のいずれかに掲げる場所又は乗物における人の通常衣服で隠されている下着又は身体を、写真機その他の機器を用いて撮影し、又は撮影する目的で写真機その他の機器を差し向け、若しくは設置すること。
イ 住居、便所、浴場、更衣室その他人が通常衣服の全部又は一部を着けない状態でいるような場所
ロ 公共の場所、公共の乗物、学校、事務所、タクシーその他不特定又は多数の者が利用し、又は出入りする場所又は乗物(イに該当するものを除く。)
つまり、公道における人物の無許可撮影自体は東京都の条例で規定する迷惑行為としての「盗撮」に該当するとはいえない、ということになる。
なお、今年6月の国会にて成立する見込みの刑法などの改正案では撮影罪が新設され、盗撮や性的行為を密かに撮影する行為などが条例ではなく法律で統一的に取り締まられるとのことであるが、現在のところ報道を聞く限りは路上での無断撮影はこれらには該当しないように思える。
次に、民事上の問題としての「肖像権の侵害」がある。
僕の知る限り、スナップ撮影における肖像権のあり方が焦点となった判例の数は少ないけれど、肖像権侵害の基準は「被撮影者の人格的利益の侵害が、社会生活上受忍の限度を超えるか否か」だとする最高裁の判断が過去にあったようだ。
ここで問題となる「人格的利益の侵害の社会生活上の受忍の限度」という概念については、その時代を構成する社会によって変化し得るものであることは想像に難くない。具体的に言うと、インターネットの発展とSNSの普及によって、写真はかつてのそれとは全く異なる性質を持つものとなった。つまり写真とはネット上で拡散し得るものであり、デジタルタトゥーという用語を知らずとも一度広がってしまえば取り返しがつかないものであるという認識が一般的なものとなった。
ネット上の情報を読んだ限りの印象では、仮に撮られた人間が撮った人間を訴えて肖像権の侵害が裁判で争われた場合、現時点でのその基準としては「写真に街の一部として人物が写り込むのは(撮った側が)セーフ、はっきりと個人の特定が可能なレベルで個人にフォーカスされたものはアウトの可能性あり」といった見解のようだ(もちろん保証はできない)。加えて、他者から勝手に写真を撮られること自体への恐怖感が高まっている現在の状況では「人格的利益の侵害の社会生活上受忍の限度」の水面はさらに低くなっているだろう。
一方で、先の「基準」がどこにあるのかという問題の決着など待たずとも明らかなことがひとつある。ストリートを撮る写真家の倫理に求められている変化だ。倫理が法を包括するのなら、法整備が現代の倫理観に追いついていないというのが現在の状況の認識として正しいのだと思う。
この世界に「写真」が生まれて200年。かつてストリートフォトグラフィーという写真文化が生まれた。ブレッソンや木村伊兵衛がいた。現代まで続いてきた。
正直なところ僕自身答えはない。しかし、少なくとも“あの撮り方”はもはや今の日本では許されないものとなっている。
だから、Aさんの炎上はその動画が出回った時点で既に決まっていた。
7
僕の知るAさんの話はここまでになる。
彼が今どうしているのか、どんな写真を撮っているのか、全く知らない。ただ、あれから色々な写真家や作品と出会って僕の趣味嗜好も移り変わってきたけれど、あの日Aさんの写真に出会ったときの衝撃を超えるものは未だ訪れていない。
昔、Aさんがブログで自分は脳内で視覚情報の処理が聴覚情報のそれに優先されるようだ、みたいなことを書いていたことがあった。Aさんの写真が持つあのゾクゾクする構図が作られる根拠として妙に説得力があった。
ブログもAさんの写真も見なくなってから数年後、ひょんな事から僕もそのタイプだったと分かったとき、Aさんのことを思い出して少し嬉しかったのを覚えている。僕の人生の小さな伏線だ。
8
課長の退職日、久しぶりに顔を見る課長は悪びれもせずに花束を受け取ると「私は楽しく仕事ができる職場をモットーに、それを作ろうとしてきました」と笑顔で挨拶を切り出した。
「若い奴らも、やりたい事が別にあるのなら、皆もっと辞めたらいいのにと思います。会社にしがみつくのも辞めるのも自由ですが、どうか皆さんやりたいことをやってください。」
そのとおりだよと、悔しいけど同意してしまった。