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2024年10月28日東京聖書学院チャペル説教「分裂か和解か」
旧約書:イザヤ書9:6節から7節
福音書:マタイによる福音書10章34節から40節
使徒書:エペソ2章14節から19節
今週の木曜日は宗教改革記念日です。1517年10月31日付で、ドイツの修道士であり、また当時できたばかりのウィッテンベルグ大学の旧約学の教授であったマルティン・ルターが「贖宥の効力についての討論」という文書を世に問うたことで、宗教改革と呼ばれる運動がヨーロッパ世界に広がっていったからです。
この宗教改革について、私が中学生・高校生の頃は「世界史」の教科書では、中世のカトリック教会が堕落してしまっていたことに対する抗議として起こった改革運動であり、それゆえに宗教改革にくみする人たちはプロテスタントと呼ばれるようになったと記されていたと記憶して言います。
しかし、たとえば上智大学中世思想研究所から出されたキリスト教史で宗教改革の時代を扱った第5巻のタイトルは『信仰分裂の時代』となっていますし、ボーゲンコッターが著した『新カトリック教会史』では宗教改革の時代を、「ルターが引き裂くキリスト教世界」と評しています。
つまり、カトリック教会にとっては、宗教改革は、教会改革運動と言うよりは、むしろ教会分裂運動として映っているのです。ただ、ボーゲンコッターの名誉の為に行っておいきますが、ボーゲンコッターは宗教改革の時代を「ルターが引き裂くキリスト教世界」と呼びつつも、その分裂の歴史が第二バチカン公会議においてエキュメニズムに流れ込んでいることもしっかりと描いています。つまりボーゲンコッターは分裂を強調するのではなく、分裂の歴史を批判的に反省しつつ、和解の道が開かれていることを提示しているのです。
しかし、いずれにしろ、宗教改革という出来事が教会の分裂を産み出したのは、歴史的事実であることは間違いありません。そしてその分裂が、後に西方ヨーロッパ社会を疲弊させた30年戦争を産み出すきっかけとなったことも否めません。
分裂が抗争となり、抗争が戦争となって行くのです。もちろん、30年戦争が純粋に宗教戦争であったか否かについては、必ずしもそうとは言えない政治的・領土的な権力抗争というものがあったこともあったであろうと思われます。
しかし、キリスト教の信仰上の争いが、そのきっかけにあった事もまた、間違いのない事実なのです。だとすれば、私たちは問いを立てざるを得ません。その問いとは、「キリスト教の信仰は、対立を産み出し、争いを産み出し、人々を戦争に駆り立てるようなものなのでしょうか」と言う問いです。。
先ほど、司式者にお読みいただいたマタイによる福音書の10章34節から40節の記述は、文字通り読むならば、まさにイエス・キリスト様を主として仰ぐキリスト教とはそのような対立を産み出す性質を持つ宗教であるかのような印象を与えます。そこにおいて、イエス・キリスト様は
私が来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、 剣をもたらすために来たのだ。私は敵対させるために来たからである。人をその父に 娘を母に 嫁をしゅうとめに。こうして、家族の者が敵となる。
と言われています。この父と子、母と娘、しゅうとめと嫁との間には、少なからず力関係が生じます。そのような中で、私たちは、この言葉をどのように受け止めればよいのでしょうか。
キリスト教会が二義的であるとしても旧約聖書でキリスト預言であると捉え、クリスマスの時には必ず読まれるであろうイザヤ書9章5節では、キリストは平和の君であると言われているにもかかわらず、その預言が成就した存在であると言われるイエス・キリスト様が「私が来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、 剣をもたらすために来たのだ。私は敵対させるために来たからである」と言われるのです。
みなさん、このイエス・キリスト様の言葉は、マタイによる福音書の10章1節方始まる弟子たちの派遣の物語の中で語られた言葉です。イエス・キリスト様が12使徒をお選びになり、「神の王国が近づいた」と言う福音の言葉を告げ知らせるために派遣しました。しかも、「異邦人のところには行くな」と言うのです。
ですから、この派遣はユダヤ人のところに「神の王国の到来」を告げ知らせる派遣です。そのような中で、ユダヤ人社会の中に平和ではなく剣がもたらされる、すなわち争いが起こると言うのです。
それは、当時のユダヤ人社会がイエス・キリスト様のもたらした「神の王国の到来」を告げ知らせる福音を受け入れることができないからです。受け入れることができないから排除する。その排除する過程の中で、人をその父に 娘を母に 嫁をしゅうとめに敵対させると言う事態が起こってくる。
ここには、同一社会あるいは単一社会におけるマジョリティがもつ数の権力や力ある者が、受け入れることのできないマイノリティを排除すると言う構造があります。そして、マイノリティがマジョリティに抗うならば、マジョリティや権力者は力をもって排除していく。当然そこには、争いが起こるのです。
つまり、イエス・キリスト様の言葉が指し示すものは、キリスト教と言う宗教が持つ性質ではなく、人間の世界が持つ構造の問題なのです。その構造のもとで、イエス・キリスト様の時代に、イエス・キリスト様の教えに従う者はマイノリティでした。そして、そのマイノリティであるイエス・キリスト様の弟子たちが伝える「神の王国の到来」を告げ知らせる福音もマイノリティの主張です。その主張を、ユダヤ人社会の権力者が受け入れない限り、そこには排除が起こり、それでもその主張を続けるならば、そこには平和ではなく剣がもたらされることになる。
この構造は、人間の世界の中に見られる構造であり、現在でも、イスラエルとガザのような出来事の中に見ることができます。そして宗教改革の時代の構造もまた、その現れでもあったと言えます。まさに西方キリスト教世界という同一社会の中におこったマジョリティとマイノリティの構造、権力と被支配者の間にある構造が産み出したものなのです。
しかし、キリスト教の信仰の本来の姿は、そのようなものではありません。キリスト教の本来の姿は、先ほどお読みしたエフェソ人への手紙2章14節から19節に隔ての壁を乗り越えて、二つの者を一つに結び合わる和解をもたらすものなのです。
そのために必要なものは、排除ではなく、受容する寛容さです。この寛容さが、宗教改革の時代にはプロテスタントにもカトリック教会にも欠けていたと言えます。それは、同じキリスト教会の中で、互いが自分自身の神学理解を絶対化し、それを正統なものとして自らの義を立て、それぞれの義をぶつけ合ったからです。自分たちの中に真理があると言う信念で互いが互いを排除したのです。そしてその排除の論理は、実はマイノリティであるプロテスタントの主張にも見られた。
それは、プロテスタントの立場を主張するスローガンが「のみ」と言う言葉であったことにも見出せます。「聖書のみ」「恵みのみ」「信仰のみ」とという極めて排除的な言葉をもって、宗教改革運動は、自分たちの主張を繰り広げたのです。そして、カトリック教会と決別すると言う分裂の道を選び、また、マールブルグ会議においては聖餐理解の問題で宗教改革運動の中にある諸派は互いに受け入れ合うことなく分裂し、当時、宗教改革運動の中にあったアナバプテストを洗礼問題によって迫害し弾圧し、排除するのです。
そのような歴史に私たちは学ぶ必要があります。歴史神学は、キリスト教の歴史を振り返りつつ、批判的・反省的に学んでこそ意義があるものです。自分たちの主張を護教的に意味づけるためのものであるとするならば、歴史神学の営みは虚しい努力となってしまします。
けれども、今日(こんにち)、その批判的・反省的営みが実を結びつつあります。1999年には、ルター派とカトリック教会は『義認の教理に関する共同宣言』という歴史的文書を世に著しました。そこでは、まさにプロテスタントとカトリック教会の分裂の核にある義認の教理に対して、自分たちはどこにおいて、どこまで共通しており、何処において依然、齟齬があるかということを確認し合い、互いに受け入れつつ対話をしていくという和解を示すの文書です。
またルター派は、今年になって東方正教会と、東方教会と西方教会の神学的分岐点にあるフィリオクェの問題についても共同宣言を出し、ニカイヤ・コンスタンティノポリス信条においては、東方教会が依拠するギリシャ語本文が正統であることを述べています。
これは神学的にフィリオクェを否定し放棄したものであると言う理解は勇み足であろうと思います。対話は始まったばかりの第一歩を踏み出したにすぎません。、その始まりは少なくともニカイヤ・コンスタンティノポリス信条の表記については、一致することで対話の窓口が開けた大きな和解の一歩なのです。
さらに、今年の5月にはカトリック教会教皇のフランチェスコ1世が、シンガポールにて、バーリー教やヒンドゥ教、仏教やモスリムの青年たちに、「あなたの神と私の神は同じ一つの神であり、すべての宗教はこの一つの神に到達する異なる言語、異なる方言です」といって、単にキリスト教と言う枠の中だけでなく、宗教と言う大きな枠の中のあっても、決して互いを排除するのではなく、平和を産み出す道を示しました。
もちろん、この教皇の宗教多元主義的な発言は、キリスト教会の中に物議をかもしています。宗教多元主義については、プロテスタント側の世界においても、ジョン・ヒックによって述べられてきたことです。そして、ヒックの主張にも異論や反論、そして批判があります。ですが、カトリックのトップに立つ教皇が、教皇の立場でこのような宗教多元主義的な発言をしたことの意味は大きいと言えます。だからこそ、キリスト教世界の中でのその反響も、反発も大きい。
しかしそれでもなお、私たちは、この時、教皇フランチェスコが問うた「もし『私の宗教はあなたの宗教より重要だ、私の宗教は真実だがあなたの宗教はそうではない』と言い争ったら、私たちはどこに導かれるのでしょうか?」と問いに耳を傾け、真剣に考える必要があります。
みなさん、私たちを取り巻くキリスト教世界は、確実に和解のための対話に踏み出しています。では、私たちはどうでしょうか。私たち福音派は、あるいは私たちが所属する教会は、和解と融合、平和を産み出す神の子としての対話をしているでしょうか。それとも分裂を産み出す対立への歩みを歩み始めているのでしょうか。
さあ、私たちは宗教改革記念日を数日後に迎えようとしています。宗教改革と言う出来事を歴史的経験として持っている私たち、それは、「社会におけるマジョリティがもつ数の権力や力ある権力者が、受け入れることのできないマイノリティを排除すると言う構造を経験し、同時に「のみ」という排除的言葉で神学的主張を述べて来ました私たちです。だからこそ、その私たちが、今、マイノリティを排除する支配と権力の構造の中を生きるのか、寛容と和解の道を生きるかを考える時かもしれません。
お祈りします。