研究ノート・キリスト教ヒューマニズムについて-神学思想史の視点から
研究ノート:キリスト教ヒューマニズムについて-神学思想史の視点から
濱 和弘
キリスト教の世界において、ヒューマニズムと言う言葉は必ずしも好意的に受け入れられているわけではない。実際、ヒューマニズムは非キリスト教的哲学思想であるとして、ヒューマニズムに対するキリスト教会側からの批判的な主張がなされることがある。たとえば、A.ピエレールは次ようにヒューマニズムを批判する。
「ところが、これら二つのヒューマニズムに対して、わが教会は無力になっている。科学的ヒューマニズム に対しては劣等感を持っている。現代の人々に対して科学が行使する強力な誘惑は、聖書の啓示の源泉なるものを否定するように多くのキリスト者を導いている。彼らは、神の言葉以外には、人間の真理はないという立場を堅持するのをはずかしがって、なんとかして神の言葉を敬虔的認識に引き下げ、それに科学的装いを与えたがっているのである。他方、共産主義的ヒューマニズム に対しては、わが教会は恐怖におののいている」
ここでピエレールが批判の対象としているのは、科学的ヒューマニズムとよばれるものと共産主義的ヒューマニズムといわれるもので、いずれも現代のヒューマニズムである。前者は、世界と世界に起こる問題は、人間の知性によって知解され、解決し得るとして人間の知性に対する絶対的信頼を置き、神という人間の知解を超えた存在は、世界と人間の生の営みの埒外におく。また後者は、唯物史観に立ち、世界は物質世界の弁証法的自己展開として捉えられ、人間の営みもその中に置かれる。そして、おおよそ形而上学的な存在や事柄は、下部構造である人間に依存するものとして、形而上的なもの、あるいは形而上自体が人間内に取り込まれ否定される。当然、形而上的存在である神の実在も否定される。ピエレールは、このような現代のヒューマニズムが当然のことながら教会の外側にあり、それが教会に影響力を行使し、教会を侵食していると批判する。もちろん、そこには現代におけるヒューマニズムは、非キリスト教的なものであるという認識がある。
またR.C.スプロールはその著書『非キリスト教的思想入門』(田代泰成訳、いのちのことば社、2003年』において、次のように批判する。
「16世紀のルターとエラスムスの戦いは、キリスト教とヒューマニズムの間のもっと深い確執を象徴しています。戦いはルターの宗教改革の勝利に終わったかに見えました。しかし、17世紀になって形勢が変わってきます。18世紀に入り、啓蒙主義が進むにつれ、思想を形づくるうえでヒューマニズムが支配的な力を持ち始め、文化に及ぼす影響と言う点で教会を脅かすようになりました。
この影響力が『現代的精神』と呼ばれているものを形成しました」
スプロールの批判は、ピエレールと同様、現代精神が教会を脅かす存在となっているという点にある。そして、その現代精神を遡れば啓蒙主義に至り、さらにはその根源は16世紀のエラスムスに至るというのである。スプロールのいう現代精神は、それ遡れば18世紀の啓蒙主義に至ると言うのであるから、人間の理性を絶対視する理性中心主義であると考えて良いであろう。もっとも、本来、思想史的に言うならば、理性と知性とは厳密に区分して捉える必要があるが、ここでは一応、よりよい人間の在り方を求める人間の知的営みとしての理性として包括するが、理性に置いてスプロールはヒューマニズムという思想形態は理性中心主義であるといって批判するのである。この批判はピエレールと理性と信仰の関係という点で呼応する。すなわち、ヒューマニズムにおいては人間の理性が信仰を凌駕していると言うのである。
エラスムスは、「ヒューマニストの王者」と呼ばれるほど、16世紀のキリスト教・ヒューマズムを代表する人物である。スプロールは、そのエラスムスを名指しで批判しているが、それはとりもなおさず16世紀のキリスト教ヒューマニズムであっても非キリスト教思想であると批判していることでもある。しかし、果たしてそうであろうか。エラスムスに代表されるキリスト教ヒューマニズムはスプロールやぺレールが見ているような理性が信仰を凌駕している非キリスト教思想なのだろうか。その問いを、エラスムスから逆行的に遡る形でキリスト教ヒューマニズムの系譜をたどりながら明らかにしていきたい。
2. エラスムスのキリスト教ヒューマニズム
一般に中世のキリスト教会がストア派的禁欲傾向を是とした。それが、中世の修道院文化を形成していったが、この傾向は何も中世だけのものことではない。クリステラーによるならば、それは初期のキリスト教著作家たちにみられる傾向である 。そして、そのもっとも先端にあるのが修道院であるといえよう。このようなストア的傾向は人間の自然な本性を悪ととらえる。だからこそ悪である人間の自然の本性に逆らう禁欲的生活 を送ることが是とされ修徳的な生活である賞賛されるのである。このキリスト教におけるストアへ的傾向に対してエラスムスは、エピクロス派の快楽主義を支持して次のように述べる。すなわち「キリスト者の敬虔な生き方ほどエピキュロス的なものは他にないのです」 と。
このエラスムスの主張は、1533年版の「対話集」に収められた“Epicreus”で、エラスムスの主張を代弁するヘドニウスの口を通して、ストア的傾向を持つスプダエウスを説得するために語らせたものである。この説得の手法こそ、ヒューマニストたちがstudio humanitatisによって求めた雄弁であり、かつその雄弁を巧みに古典を用いながら発揮している点で、この“Epicreus”はヒューマニズム的著作であり、かつ「キリスト者の敬虔な生き方ほどエピクロス的なものは他にはないのです」と言うことによって、極めてキリスト教ヒューマニズム的である。つまり、キリスト者がキリスト者らしくある、それは神の創造の業である人間が人間らしくあることであるのだが、そのキリスト者がキリスト者であるということは、エピキュロス的な快楽主義の生き方の中に見出せるというのである。
ここで、エラスムスがエピキュロス的という言葉の背後にある快楽とは、いわゆる感覚的快楽ではない。確かに快楽は喜びを伴う。その意味では感覚的である。しかし、その喜びの感覚は身体を通して与えられるものではなく、心の中に泉のように直接湧き上がる喜びでなのである 。エラスムスは、先のヘドニウスを通して「全ての喜びの源に神がいる所はどこであれ、限りない喜びがあるのは当然」と言い、「神がいる所はどこであれ、そこがパラダイスであり。幸福がある」 と述べている。つまり、エラスムスのとっての真実の快楽とは神と共にあることであり、悪とは神と人間の間にある親密さを壊すことであると言えよう 。この神と共にある快楽を追及するからこそ「キリスト者の敬虔な生き方ほどエピクロス的なものは他にはないのです」と言うことができるのである。
ところで、エピキュロス主義では、快楽は人間にとって善である。そしてエラスムスに言わせれば、もし本当の善ならば、それが善人以外に与えられることはない 。また真の快楽は正しい善からしか生じない。言い換えれば、人間の本性(Natura)は善であるからこそ、善を求めるのであって、仮に人間の本性が善でなく悪であるならば、人間には善が与えられないのである。ここに、我々はエラスムスがストア的の主張を拒絶しエピキュロス的主張を支持する所以を見出すことができよう。すなわち、人間本性が何であるかの認識の違いである。
然るに、現実の人間は快楽を求めつつも誤った快楽を求めている。たとえばそれは、飲食であり、泥酔であり、性的享楽あり、放蕩であったりする。このように、誤った快楽を求めるのは、不正な欲望に酔って惑わされているからである とエラスムス言う。つまり、問題はこの不正な欲望に対して、私たちがどのように対処し、これ打ち勝つかと言うことである。従って、修道院における修道士的敬虔を、ただ行うということでは問題は解決をしない。欲望は人間の内的問題だからである。むしろ、修道士のようないわゆる聖職者の生活しておらず、世俗社会の中で生きていたとしても、この人間の内的問題に向き合い、真に正しい快楽を求め生きているならば、それは修道院であろうと世俗であろうと聖なる敬虔な生き方なのである。
結局、エラスムスが言わんとすることは、本当の善による真の快楽を手に入れるには、善の源である最高の善である神と結合することに他ならない。そして、この最高善である神との結合は、信仰によってもたらされるのである 。もちろん、何が最高善である神からもたらされる正しい善であり、何が不正な欲望から来る誤った善であるかと言うかということを見極め、どう行動するのは、信仰的判断であり、それは理性の働きによる。そして理性は、人間である人間の本性にかかわるものであり、エラスムスにとってそれは善である。だからエラスムスは理性を否定しない。けれども、正しい善は信仰によって最高善である神との結合によってもたらされるのであるから、理性は信仰に優先せず、信仰のもとに置かれた信仰的理性でなければならないのである。
ところで、この最高善である神との結合を完全に果たした存在はイエス・キリストである。それゆえに、イエス・キリストの教えと行動の中にキリスト者がいかに生きるべきかが示されており、そこにImitatio Christiということが起こる。Imitatio Christiとは14世紀から16世紀にかけてヨーロッパを席巻した信仰運動であるDivotio Modrna(近代的敬虔)の中心にある思想である。この、近代的敬虔は、もとをただせばエックハルトの影響を受けたロイスブロック(Jan von Ruysbroek)に至る。木ノ脇悦郎によると、ロイスブロックには、神と合一を目指す神秘主義的傾向と人間の自由意思に基づいて修徳的生活をするという道徳的傾向があり、前者をタウラーが、後者をグローテ(Gerhard Groote)が受け継いだと言う。
このロイスブロックの人間の自由意思に基づいて修徳的生活をするという道徳的傾向を実践したのが近代的敬虔という信徒による一種の信仰運動であり、それが生活協同兄弟団として結実していく。この生活協同兄弟団は、もともとはグローテが寡婦たちを支援するために、共同生活をさせたことの端を発して起こったものであるが、それが男性信徒にも広がってできたものであるが、その生活協同兄弟団の核にある信仰的態度がImitatio Christiである。
エラスムスは、幼年期にこの生活協同兄弟団と関係する学校で学んでおり、エラスムスの思想にもこのImitatio Christiの精神が受け継がれている。もっとも、エラスムスは、Epicreuにおいては、このImitatio Christiを具体的にどう実践するかについてはほとんど記していない。むしろそのことが語られているのは、Epicreusより32年前に書かれ、1503年に出版された著作集『螢雪の功』の中の一作品として発表されたEnchiridion militis Christi(邦訳『キリスト者兵士必携』)に著されている。その後『キリスト者兵士必携』は、その後1518年に単行本として第二版が出版されるが、その後、版を重ね、この1533年時点では、十分に世に知れ渡っている。それゆえに、エラスムスが主張するImitatio Christiの具体的実践については、あえて語る必要がなかったのかもしれない。むしろエラスムスは、Epicreusにおいて、エピキュロス的言表を支持することにより、彼が『キリスト者兵士必携』で提示した敬虔な生き方を、まさに修辞学的な雄弁を用いて体系的・神学的に提示しているといえよう。
それゆえにわれわれは、このエラスムスの「敬虔」における実践的の生き方とキリスト教的ヒューマニズムの具体的内容を知るためには、必然的に『キリスト者兵士必携』に目を向けなければならないのである。その『キリスト者兵士必携』
でエラスムスが主張したことは、人間は、本来、理性は天的なものを求めて生きるものであるが、しばしば肉欲を満たす「この世」的なものを求める思いに支配されていしまっている。だから、人間は人間本来の在り方である理性的な生き方をしなければならないが、それは人となった神であるイエス・キリストの下に身を置き、イエス・キリストに学び、イエス・キリストに倣って(Imitatio Christi)生きなければならないということである。少々饒舌な説明になったが、ここにエラスムスのキリスト教ヒューマニズムの本質が見事に表れている。つまり、エラスムスのキリスト教ヒューマニズムとは、神の創造の業である人間が、人間本性である理性に従って神を目指し、本来あるべき人間の姿を自らの内に形成し、神の創造の業に参与していくことなのである。
2. エラスムスのキリスト教ヒューマニズムのルーツ
Imitation Christiを基調とするエラスムスのキリスト教ヒューニズムの思想が形成されていく過程を紐解いていくとき、われわれはエラスムスにとって重要な転機となった出来事をいくつか挙げらることができる。その最初の出来事が1499年から1500年にわたって英国を訪問した第一回英国訪問であろう。というのも、ホイジンガも指摘するように、第一回英国訪問以前のエラスムスの古典との関わり合いは、文学的なものであり、キリスト教との関連し、思想として展開ものはほとんど見られない。もちろん、エラスムスが1494年頃に著したAntibarbaroum liber(邦題『反蛮族論』)のようなキリスト教と古典研究を結び付けた書もあるにはある。しかしこれは、古典研究を批判する者に対して、古典研究を擁護するために「古典研究は聖書を学ぶのに有益である」と言ってのものであって、思想としてキリスト教と古典とを関係づけ、一つの神学思想に昇華させるまでには至っていない。
エラスムスが単なる古典研究者としてではなく、キリスト教ヒューマニストとして聖書と古典を融和させつつその神学思想を明確に著したのは、1499年から1500年にかけて彼が英国を訪問した直後からである。エラスムスは、英国より帰国したのち、積極的に聖書研究に取り組み、キリスト教と古典との思想的統合を図り始めるのである。その思想的統合が見事に表れているのが、1503年の著作 Enchiridion militis Christina(邦訳『キリスト者兵士必携』)である。このEnchiridion militis Christinaにはルネサンス・ヒューマニズムの影響、とりわけフィチーノやピコ・デラ・ミランドラといったプラトン・アカデミーと相通じる思想がみられるが、エラスムスとプラトン・アカデミーとの直接な関わり見られない。したがってプラトン・アカデミーと親和的な関係にあった英国ヒューマニズム、なかでもエラスムスの終生の友となったT.モアやJ.コレットを通してイタリア・ルネッサンスヒューマニズムのもつ思想的な面に触れていったものと考えられる。
第2の転機は、第一回英国訪問から帰国直後のジャン・ヴィトリエによるオリゲネスとの出会いである。エラスムスは帰国直後にオリゲネスの著作に出会いオリゲネス研究に没頭する。この出会いがエラスムスに大きな影響を与えたと思われる。というのも、先に述べたAntibarbaroum liberには、オリゲネスに関する言及はほとんど見られないのであるが、エラスムスの神学思想の核にあるキリスト教・ヒューマニズムが最も表れている書のひとつであるEnchiridion militis Christina には、頻繁にオリゲネスが優れた聖書解釈者として紹介され、かつヒューマニズムにとって重要な人間観をエラスムスはオリゲネスから援用するのである。
第3の転機は、ロレンツィオ・ヴァッラの Anotation Novum Instrumentum『新約聖書注釈』との出会いである。ヴァッラは緻密な文献批評によって、『コンスタンツ寄進状』や使徒信条に関する言い伝えが虚偽であることを明らかにした人物であり、このヴァッラの『新約聖書注解』は、まさにウルガタに対する文献学的批評であり、このヴァッラの書が土台となり、後にエラスムスの人文主義における文献学的最大の功績となるキリスト教会最初のギリシャ語校訂本Novum Instrumentumの出版に至る。またエラスムスは、自らをepicureanとしての自己を認識しているが、このはEpicreu的な生き方への傾向性はヴァッラからの影響によるものと思われる。そしてヴァッラもまた、ルネッサンスにおけるヒューマニストのひとりである。
このようにエラスムスの生涯における転機的な出来事を整理していくと、エラスムスのキリスト教ヒューマニズムが資源としているところの根源にはルネッサンスを土台とした15世紀のイタリアのキリスト教ヒューマニズムにある。このイタリアのキリスト教ヒューマニズムがアグリコラ等を介して、アルプスを越えたヨーロッパ北部に広がっていき、スタンプシス(ルフェーブル・デタプール)やロイヒリン、メランヒトン、エコランパディウス等のキリスト教ヒューマニストを生み出していく。これらの北方キリスト教ヒューマニズムの頂点に立つのが、オランダのデジデリウス・エラスムスである。このルネッサンスにおけるキリスト教ヒューマズムとオリゲネスとは、その人間論で相通じるものがる。それは、思想的には新プラトン主義とキリスト教の融合であり、それに基づく人間の善への可能性に対する期待と信頼である。この親和性を持つ二つが、エラスムスのキリスト教ヒューマニズムにおいて融和され総合されている。つまり、エラスムスキリスト教ヒューマニズムのキリスト教の部分がオリゲネスを土台としたキリスト教であり、ヒューマニズムがイタリアにおけるヒューマニズムなのである。
3. ルネッサンスにおけるキリスト教ヒューマニズム
ルネッサンス以降、15世紀16世紀に至るまでのヒューマニストとの多くは、キリスト教の信仰の枠組みの中に立ったヒューマニズムであったと言っても過言ではないであろう。とりわけヨーロッパ北部に広がったいわゆる北方ヒューマニズムや英国における英国ヒューマニズムはその傾向が強く見られる。ここにおいては、これらを総称してキリスト教ヒュ―マニズムと呼ぶが、それは、古典研究を通して求められる「人間らしさ」とそれに基づく生き方をキリスト教の枠組みの中でとらえる人間の生の在り方を指している。
このようなルネッサンス以降のキリスト教ヒューマニズムにおける代表的人物として、我々はペトラルカ、ロレンツォ・ヴァッラ、フィチーノ、ピコ・デラ・ミランドラ、サルターティ、ロイヒリン、スタンプレシス、ジョン・コレット、そしてエラスムス等を上げることができよう。ここでは、これらすべての人物を取り上げることはできないが、エラスムスに至るまでの過程として、先んずキリスト教ヒューマニズムの先駆者としてペトラルカを、また、フィチーノおよびピコ・デラ・ミンドラのいわゆるフィレンツェのプラトン・アカデミーの二人を、そして、ロレンツオ・ヴァッラを取り上げる ことで、信仰と理性という視点からキリスト教ヒューマニズムの概観をとらえてみたいと思う。
3-1. ペトラルカ
そこで、先んずペトラルカであるが、ペトラルカ自身は14世紀の人物であり、キリスト教ヒューマニズムの先駆け、あるいは始祖と言える人物である。
ペトラルカは14世紀に おいて、古典から学び、優れたラテン叙事詩を書いた文学家である。しかし同時に、その著作『わが秘密』 や『ヴァントゥウ登攀』 を一読すればわかるが、それらの書は自分自身に対する深い内省の書であり、それによって、ペトラルカが自らの生の在り方を追求したヒューマニストであることを如実に示している。
たとえば『わが秘密』は、ペトラルカがアウグスティヌスと対話するという想定によって書かれているが、この書にある「死の省察」の項で、ペトラルカはハイデッカー張りに、人間存在を死という非存在から問い、死すべき運命にある人間存在から、人間はいかに生きるべきかと言う生を問うている。その際、ペトラルカがハイデッカーと決定的に違うのは、この死を完全な非存在としてとらえるのではなく、死の先の神の裁きとそこからの救いを見据えている点である。そして、この裁きとそこからの救いが、人間に希望を与えそこから生を方向づけるのである。その意味でペトラルカはキリスト教の信仰、その教えの枠組みを出ていない。
このペトラルカの内省は、人間の生のあるべき姿と、あるべき方向を指し召すだけでなく、それを知りつつそれを現実に生きる苦悩に目を注ぐ。そして、その苦悩はペトラルカの苦悩なのである。この苦悩に対して、救いを与えるのはキリストの救いであることをペトラルカは自覚している。しかし彼は、救いがどこにあるかを知りつつ依然として苦悩の内にあるのである。その原因を、ペトラルカは古典を用いつつ明らかにしていく。そこには、人間の苦悩には普遍的本質があるという確信がある。だからこそ、古典とキリストの教えは矛盾せず一致して「人間」の姿を照らし出すのである。なぜならば、ペトラルカにとって信仰の対象は神であり、信仰の主体は人間だからである。だからこそ、自らの内に存在する苦悩の原因を追求する内省が重要になる。古典もキリストの教えも、その意味では、ペトラルカにとっては手引きなのである。そしてこのペトラルカの姿勢こそが、キリスト教ヒューマニズムの通奏低音なのである。
実際、『わが秘密』においてペトラルカは、自らが善を求めつつ自分の倒錯した考え方によって魂の病かかり、善よりむしろ苦悩に陥っていると自覚している。その自覚の中で、ペトラルカはアウグスティヌスの導き をへて、その苦悩の原因を見出し、いかに生きるべきかを見出しているのである。
ところで、ペトラルカについては、我が国においても近藤恒一 や佐藤三夫 による優れた研究がなされている。この両者の研究において、ペトラルカは共にモラリスムの哲学を追求したモラリストとして描かれている。
モラリストにとって、何が善であり、何が悪であるかを見極める知が必要である。その見極めた善によって人はより良く生きることができるからである。しかして近藤は、「彼(濱注:ペトラルカ)の考えでは、キリストなし、キリストの教えをはなれては、人間は本当に善くなることはできなかった」 と言う。そこには、キリスト教ヒューマニストとして生きるペトラルカの姿を見ることができるのである。そのような、何が善であり何が悪であるかを見極める知は理性の働きによる。当然、そこには理性の重視がある。そこで問題となるのが理性と信仰の関係であるが、ここでわれわれは、佐藤三夫が取り上げたペトラルカのアヴェロエス主義批判に着目しなければならない 。なぜならば、このアヴェロエス批判をとおして、キリスト教ヒューマニズムにおける理性がどの様な理性であったかを見ることができるからである。
そこで、このペトラルカのアヴェロエス批判であるが、このペトラルカのアヴェロエス主義批判を、『無知について』 を中心に論じている。このペトラルカが批判するアヴェロエス主義がいったい何であるかについては、佐藤の著書 においても提示されているように諸説 がある。
しかしながら、その根底にあるものは共通して人間の理性が自然の森羅万象とその背後にある神秘を解明し理解できる人間の理性、さらには人間の理性の働きのみで信仰的真理に至ることができるという人間の理性への絶対的信頼に対するペトラルカの否がそこにある。もとより、ペトラルカは人間の理性そのものを否定するわけではない。理性があるからこそ、古典研究によって人間はより良く道徳的に生きることができるのである。しかし、その理性はペトラルカにとって、極めて道徳的理性であり、また自然の神秘、また信仰的真理は神から啓示を通して知ることができる信仰的理性 なのである。この信仰的理性における知が、たとえば『無知について』において強く主張されるのである。このような理性は理性そのものに信頼を置かず、啓示に対する信頼が理性に優先する。この意味において、同じように理性を重視するにつけても、18世紀の啓蒙主義のそれとは全く異なるものであって、スプロールのように単純にキリスト教ヒューマニズムと啓蒙主義を結び付けてはならない。
3-2. マルシリオ・フィチーノ(プラトン・アカデミー)
ルネッサンス以降、特に15世紀、16世紀のヒューマニズムを特徴として、我々はプラトン主義を上げることができよう。この場合、プラトン主義とは、プラトンそのものだけでなく、プロティウス以後の新プラトン主義を含むものである。たとえばこの新プラトン主義の影響はマルシリオ・フィチーノ(以下フィチーノ)においてはその世界観の中に現れる。フィチーノは、世界は一者なる神から派出し、5つの位階的秩序によって構成されている と考えた。この場合い、一者なる神からより遠い位置に置かれたものほどより下級の存在であり、すべてのものは、究極的にはこの一者に向かい一者と神秘的合一を図ろうとする上昇的欲求による運動であると捉えていた。そして、肉体と精神を持つ人間の存在をより下級な質、物質の世界と上級な精神の世界の中心に置き、人間個人の精神が、神との神秘的合一を完成とする人間形成をなすところにその生のあり方を見据えていたのである。このあたりの見方は、多分にプロティウスの影響によるものと考えられる。
ところで、中世のトマス・アクウィナス以降のスコラ神学は、アリストテレスを用いて理性と信仰の融合を図ったことは知られている。15世紀、16世紀のヒューマニストたちにおいても、理性と信仰の融合を図るというその意図において基本的にその姿勢は変わらない。もっとも、彼らはアリストテレスではなくプラトンによってそれを成し遂げようとしたのであって、その代表的人物がフッチーノなのである。もっともフィチーノには、ピコほどではないにしろ、プラトン主義以外の影響も認められる 。しかし、その思想の中心には、プラトン主義が背骨のように一本通っているのもまた確かなことなのである。
このようなプラトン主義は、若干の違いはあったとしても基本的にフィチーノ以上に多様な主張を受容したピコにも受け継がれている。そのピコにおいて、プラトン主義はアリストテレスとの融合が試みられている。そう言った意味では、ピコはまず種々の哲学を総合し、そのうえで哲学と信仰を調和させようとしていると言えるが、それに対して、フィッチーノのプラトンへの傾倒はより鮮明で、より直接的であってキリスト教そのものとプラトン主義との融合を試みているのである。
このフィチーノのプラトン主義への傾倒は彼の著書『プラトン神学』に見ることができよう。この『プラトン神学』においてフィチーノが強調したことは
「霊魂の不滅性」である。フィチーノがこのように「霊魂の不滅性」を強調した背景には、それを否定する存在があるのは言うまでもなく推測される。というのも、「霊魂の不滅性」は、中世スコラ神学の根幹をなすアウグスティヌスにおいても認められるものだからであり、その「霊魂の不滅性」をあえて強調するには、それに反する何らかの主張があったと考えるのが自然だからである。
そこで、この時代「霊魂の不滅性」の否定を主張したアリストテレス主義の人物は誰かと問うとき、われわれ即座にP.ポンポナッツィ の存在を思い浮かべることができる。しかしながらポンポナッツィが『霊魂の不死性について』をもって、「霊魂の不滅性」の否定を表した のはフィチーノ死後18年たった1517年のことであり、フィチーノの直接の論敵はポンポナッツィではない。しかしながら、トマス主義に立ち「霊魂の不滅性」を支持していたポンポナッツィが、それを否定するに至るには、その全段階としてトマス主義に立つアリストテレス主義とアヴェロエス主義立つアリストテレス主義、さらには霊魂の不滅性を否定するアフロディシアスのアレキサンドロスの流れをくむアレキサンドロス主義との三つ巴の対立があること間違いがない 。
事実、フィチーノもアリストテレス派内がアヴェロエス派とアレキサンドロス派の二つに分かれて相争っており、この二つがキリスト教の宗教性を根本的に排除するものであるとして批判している 。この場合、フィチーノがトマス主義に言及していないのは、争点が「霊魂の不滅性」であり、フィチーノと同様に「霊魂の不滅性」を取り上げるトマス主義的アリストテレス主義者たちを批判する必要が特段なかったと考えれば、十分理解できることである。
したがって、フィチーノの批判は、アヴェロエス主義とアレキサンドロス主義に向けられていたと考えられる。それゆえに、野田又夫は、このフィチーノ「プラトン神学」における「霊魂の不滅性」の主張の背後にある論敵としてパドヴァ大学の自然主義的アリストテレス解釈をあげている 。この野田の見方は、概ねそのまま受け入れられるものであると思われる。パドヴァ大学は医学を中心とする大学であり、伝統的にアヴェロエス的アリストテレス主義に立っていたからである。そして、当然のこととして、そこにはアレキサンドロス主義との論争があったと考えられる。実際、クリステラーやリーゼンフーバー等も野田とほぼ同じ見解に立つ 。
しかしながら、フィチーノの批判が、「霊魂の不滅性」を否定するアレキサンドロス主義に向けられるのは理解できるとして、一応なりともその不滅性を主張するアヴェロエス主義を批判するのは如何なる所以であろうか。このことについては、リーゼンフーバーの適切な説明がある。すなわち、アヴェロエス主義は「理性の単一性と不死性を教えた。ただし彼らの言う理性とは超個人的な理性であり、個としての人間に固有のものではない。」 からである。これに対して、すでに述べたように、フィチーノが目指す人間形成は、あくまでも、個人の理性と意思が創造の根源である一者である神との神秘的合一に完成点をみている。したがって同様に「霊魂の不滅性」を主張するものであっても、その根源においてはまったく異なるものなのである。
このようにフィチーノにとっては、人間各自が持つ固有の理性と意思が、世界精神とも呼べる一つの精神に取り込まれ消滅するとするならば、いかにその一つの精神が不滅性であったとしても、人間の個にとってはその不滅性は否定されたと同然なのである。こうして、フィチーノにとってアレキサンドロス主義はもちろんのこと、アヴェロエス主義は受け入れがたいものとして退けられるのであり、パドヴァ大学はイタリアにおけるこの二つの主義の中心地だったのである。
この「霊魂の不滅性」をめぐる論争は、単にその主題だけにとどまらず、キリスト教ヒューマニズムを考えるうえでより深い意義を持っている。というのも、この論争の根底には科学的理性と信仰的理性の対立関係があるからである。それは、周知のアヴェロエス主義にある二重真理説との関わりである。
アヴェロエスの二重真理説は宗教的真理と哲学的真理、ここにおいては観察可能な科学的真理といってもよいが、それを分離するというものである。このような二重真理説に従って、霊魂の死滅の問題を考えると、それは霊魂の不滅性という宗教的真理にかかわる問題であり、人間の生物的死を取り扱うか観察によってもたらされる科学的真理の領域外の問題といえよう。
このような関わりで捉えると、霊魂に不滅性の問題において、人間の生物学的死は観察可能な現象として捉える事が出来る。この観察される死において個人の存在は死によって消失するのであるから、個人の死滅によって個人に属するも霊魂も死滅するととらえるのがアレキサンドロス主義であり、アレキサンドロス主義は、全く現象の観察による科学的真理に依存し、宗教的真理である霊魂の不滅性は観察によって働く科学的理性によって退けられている。
それに対して、アヴェロエス主義は観察できる人間の死の現実を前提として、その死により、個人の理性や意識といったものも死滅し、個としての存在はなくなる。こうしてアヴェロエス主義においても、アレキサンドロス主義と共に、霊魂の不滅性という宗教的命題に基づく信仰的理性を退ける。そのうえで、いったん退けた宗教的真理を霊魂は個人を超越した単一的理性として存在するとして、観察できる科学的真理とは連続性を持たない分離したものとして扱うことで科学的理性と信仰的理性を両立させるのである。しかし、結局のところ、個人という存在にとっては、霊魂の不滅性は否定されているのであるから、それは、個人という存在にとって科学的理性、および科学的真理が信仰的理性および宗教的真理に優越的な立場に置かれていると言うことである。
このようなアヴェロエス主義の立場、もちろんアレキサンドロス主義も立場は言うまでもないが、この二つの立場においては、科学的理性と真理が信仰的理性と真理にと分離し、前者が後者に優越的位置を持つ。このような見解にはフィチーノは同意できない。なぜならば、フィチーノにとっては、個人の霊魂も不滅であり、この霊魂の不滅という連続する生の中において、肉体の死は単に質量(ヒューレ)の喪失であって、あくまでも「霊魂の不滅性」という宗教的命題は宗教的真理となって科学的真理に優先するからである。つまり、フィチーノにとっては、信仰と理性は、あい異なる性質のものではなく、その二つが決して分離せず調和するという基本姿勢がまずあって、その調和は宗教的真理が科学的真理に優先することで保たれており、それゆえに、フィチーノにとっての理性は信仰的理性として機能するのである。
このようなフィチーノの基本的姿勢は、フィチーノにおいては先行的に存在していたのではなかろうか。そして、その先行する基本姿勢に、イデアと現実世界を精神の上昇によって関連させ、かつイデアが現実に優先するプラトンは、きわめてなじむものであり、それゆえに、フィチーノは、信仰的理性とをプラトン主義を用いて論証していると考えられる。そして、このようにプラトンに重視する姿勢は、霊肉二元論に立ちつつも、それをキリスト教的生のなかで昇華していく極めて宗教的要素の強いキリスト教ヒューマニズムに共通してみられる態度である。
3-3. ピコ・デラ・ミランドラ(プラトン・アカデミー)
S.ドレスデンは、その著書『ルネッサンス精神史』 をピコ・デラ・ミランドラ に関する記述から始める。このようにピコを冒頭に持ってくる意図は、中世とルネッサンスの断絶を主張したブルクハルトの主張がもはや過去のものとなり、むしろルネッサンス期のヒューマニズムを含んで中世とルネッサンスの連続性が認められるようになった今、「ピコの思想の全体は、彼独自の性格を失うことなく、独創的で、やはり『別物』である」 とドレスデンが考えるからであろう。つまり、単にルネッサンスというのではなく、ピコの思想を持って初めて、キリスト教ヒューマニズムに中世と異なる新しいものがもたらされたということである。
ところで、ピコは周知のごとくマルシリオ・フィチーノ と共に、フレンツェのプラトン・アカデミーの主要メンバーとして数えられる。それはフィチーノとピコとの間に思想的結びつきがあったことを示している。そのフィチーノはピコよりも年配者であり、その活動もピコに先んじており、プラトン・アカデミーにあっては中心的人物である。だが、ドレスデンは、そのフィチーノに先んじて、ピコを取り上げるのである。そこには、15世紀のヒューマニズムを特徴づけるものが、ピコの「独創的」で「別物」の思想のゆえであろう。
そのピコの独創的で『別物』の思想は、いうまでもなく彼の『人間の尊厳についての演説』 に表れている。もっとも、ピコのこの「人間の尊厳性についての演説」が、独創的であるかどうかについては、若干の議論が必要であろう。というのも、「人間の尊厳性」についてはピコに先駆けて、ジャンノッツオ・マネッティ(1396年~1459年)等が人間の尊厳と優越についてのべているあるからであり、更に中世との連続性の問題も問われている。これらの事柄については諸説があるところである。
この問題について、筆者はフィチーノとピコの間に見られる人間の尊厳性の取り扱いの違いを捉えることによってその立場を明らかにしたい。そこで、フィチーノのもつ人間の尊厳性の理解であるが、フィチーノもまた人間の尊厳性を見据えているが、しかしながら、フィチーノはその人間の尊厳性を絶えず人間の悲惨な現状との関連性でみている。
フィチーノにとって、人間の悲惨さの一つが、人の死すべき運命である。それゆえに、フィチーノの思想には、後に述べる「霊魂の不滅性」の問題が重要な問題となるのだが、いずれにしても、その人間の悲惨な現実を乗り越えたところにフィチーノは人間の尊厳性をみている。それは人間の彼岸的な生の中にある尊厳である。このような、人間の現実の悲惨さとそれを乗り越えたところにある人間の尊厳という構造においては、必然的に現実の世界は忌むべきものになる。この構造はペトラルカにも、マネッティにも見られるものである。そしてこの構造は、中世以来の「世の蔑視」と「人間の尊厳」を踏襲している。
それに対してピコの『人間の尊厳性についての演説』は、現実の人間の存在そのものの中に人間の尊厳を見ている。そして、それこそがピコの持つ新しさであり、ここにおいてピコは中世と断絶している 。ピコの思想の中核には、中世のそれと断絶した人間の尊厳性があり、それが後のヒューマニズムに与えた影響が多大であることは疑いもないことである。それゆえに、われわれはここで、ピコの『人間の尊厳についての演説』に着目しなければならない。
そこで、このピコの『人間の尊厳についての演説』であるが、先にペトラルカをキリスト教ヒューマニズムの先駆者と位置付けキリスト教ヒューマニズムの概観を見始めた我々にとって、ピコの『人間の尊厳についての演説』は若干の違和感を禁じえない。そもそも、その冒頭から「尊敬すべき神父の皆さん。私は、アラビア人の記録の中で、サラセン人のアブダラが、このいわば『世界という舞台』の中で何が最も驚嘆すべきものに見えるかと尋ねられたとき、人間ほど驚嘆すべきものは見当たらないと答えているのを読みました。」 というピコの発言は、アラビア文化を嫌い排除しようとしたペトラルカと大きく違っている。
もちろん、ピコのこの言葉を持ってピコがアラビア文化を無条件にかつ全面的に受け入れ賞賛しているというわけではないであろう。しかし、このアブダラの言葉から、驚嘆すべき人間存在とは何かを追及していった先に、ピコのいう「人間の尊厳」があるのは間違いのないことであって、ピコは、ペトラルカよりはるかに広い心を持ってアラビア文化に接している。そういった意味では、ピコにはペトラルカに見られたナショナリズムは見られない。むしろ、後のエラスムスに見られるコスモポリタンの雰囲気があるのである。実際、ピコは精神的コスモポリタンであった 。
さらには、ピコが人間は自らが欲するところのものになるカメレオンのような存在であるというとき 、そこには、ペトラルカが『わが秘密』において見せた自らを深く内省するところから出てくる悲壮なまでの苦悩といたものは見ることができない。むしろ、楽観的とも思えるほどに自らが欲するところに自らをならしめる人間の自由意思を謳歌している。
もちろん、ピコが人間の内面にある葛藤や苦悩といったことについて全く不知であるとか、それを知らないというわけではない。事実、ピコは人間の本性は人間の自由意思の決断によって良くも悪くもなるという 。そこには、善悪と言うもの狭間におかれた人間の葛藤と言うものが、当然見据えられていたことであろう。けれどもその本質上、ピコの主張は、人間の本性の善悪については本来無記白紙的存在であると言うものである。そしてその無記白紙的人間は、人間の自由意思に依存するということであり、その意味では、自己の内省によって自らの人間形成を目指すペトラルカと比較すると、マイナスからのスタートするぺトラルカと違って、ゼロからスタートするピコに、人間に対する見方に楽観性を認めざるを得ないのである。
いずれにしても、無記名白紙の本性が人間の自由な選択によって善にも悪にもなりうるというピコの主張に基づく人間の尊厳は、その尊厳の根拠に自由意志が置かれていることは間違いがない。しかし、この自由意志もまったく自由ということではなく、その自由意思が向くべき方向は定められている。それは創造の神である一者と和合し結ばれて天的生活をするためであり、道徳哲学や自然哲学はその道具であり、理性がそれを用いて超越者である創造主なる神が与えたところの自由意思が目指すべき方向とそこに至る目的のために用いられる道具なのである。
したがってピコにおいても依然、理性は超越者の与える目的に従属している。そして、超越者の与える目的に至るときに、人は心的至福に至るのである。こうのように、人間の理性は、人間の生において中心的な位置に置かれつつも、なお依然信仰は理性に対し優位にあり、理性は信仰的理性として信仰と調和し、かつ信仰につかえている。この場合、ピコにとっての信仰はキリスト教の信仰であることは言うまでもない。
このようなピコの思想、特に人間の尊厳性とその根底に人間の自由な意思を見るところに、16世紀のヒューマニズムの一つの特徴を見ることができるのである。
3-4.ロレンツォ・ヴァッラ
時系列的には、ピコ、フィチーノ、ロレンツォ・ヴァッラ (以下ヴァッラ)と逆行していくかたちになるが、やはり、15世紀、16世紀のキリスト教ヒューマニズムを考えるにあたってはヴァッラの存在に若干なりとも触れないわけにはいかない。というのも、15世紀、16世紀のキリスト教ヒューマニズムはフマニスム的態度と不可分であり、根本的理念としてルネッサンスの根本理念である源泉に帰れ(ad fontes)という理念を共有しているからである。
このad fontsという姿勢に基づいて、その諸源泉を古典に求めたフマニスムにおいて、古典の持つ文体や言葉の持つ意味およびその用法は、フマニストにとっては重要な意味を持つ。それは、古典にある洗練された典雅な文体と人々を引きつけ納得させる修辞学的表現はフマニスムの目的のひとつであり、学び倣うべきとことだからである。
このようなフマニスム的態度は文献学の起こりを促す。ドレスデンはヴァッラを評して「入手しうる原典のその純粋性そのものを、言語学上の正しい手段を用いて研究した最初の人」 と言う。このヴァッラの言葉の背後には、ヴァッラの時代には真のラテン語は野蛮人たちによって乱され、もはや失われてしまっているというヴァッラの意識がある。すなわち古典が書かれた時代、あるいは翻訳された時代の、用語、文体をヴァッラの時代に使われているラテン語を通して読むとき、その正しい意味が確定されないというのである。したがって、原典の持つ本来的意味を追及するために、写本等を比較する本文研究や歴史的批評といった文献学的手法による研究が必要となってくるのである。
こうしてヴァッラは、このような文献学的研究に基づいて、コンスタンツ寄進状に用いられている文体から、それが偽作であることを明らかにする。また同様に、使徒信条にまつわる言い伝えの信憑性のないものであること示すのである。このようにヴァッラは、文献学上の業績を残していくが、その中でも、彼自身によって出版こそされなかったが、その存在が広く知られた『新約聖書注解』 はウルガタ の翻訳上の誤りを指摘するものであり、後のエラスムスの新約聖書の校訂と新しいラテン語訳への原動力となった 。
このような歴史的・文献的批評は今日の聖書神学の歴史的・批評的研究方法の先駆けとも思われるほど、両者の間は接近している。しかしながら、両者の間には決定的相違がある。というのも、ヴァッラの場合、批評の対象とされているのはあくまでも、翻訳であり、聖書それ自体が批評の対象ではない。ヴァッラにおいても、原典としての聖書は不可侵な神の啓示として人間の理性を超えたところに置かれているのである。
もちろん、ヴァッラにおいても、人間の理性が軽視されているわけではない。またヴァッラが単に古典の文法や文体、およびその表現方法のみに関心を向けたるようなタイプのヒューマニストであったわけでもない。ヴァッラは、古典を通して人間の本来的姿である「人間らしさ」をもとめたヒューマニストでもあった。そのことを明らかにするために、若干なりともヴァッラの思想に触れたいと思う。
ヴァッラの思想は、一般にその快楽論に特徴が見出されると言われる。実際ヴァッラの『真の善について』において、ストア派の禁欲論とエピクロス派の快楽論の主張を述べているが、その構造は、まずストア派の主張を述べ、それに対してエピクロス派が反駁しつつエピクロス派の主張を述べるという構造になっており、結果としてエピクロス派の快楽論が擁護される形になっている。
さらに、ヴァッラは第三の立場として快楽論を擁護しつつも、その快楽における最高のものは、現世からはなれた天的な快楽であると主張を提示する。ここには、中世的ではあるが、キリスト教ヒューマニズムの祖であるペトラルカにも見られる「現世の軽蔑」と終末論的な最高善に生きる人間のあるべき姿を求めるヒューマニストの姿を見ることができる。
ところで、この第三の立場について、これがヴァッラの真の主張ではなく、当時の教会を意識した偽装のためのつけたしであるであるかといった議論がある。それに対して、クリステラーは、これをヴァッラの真の主張と見てよいと主張する 。
すでに述べたように、ヴァッラが聖書に不可侵の神の啓示を認めている姿勢から、ヴァッラが非キリスト教的でないことは明らかである。その中にあって、
エピクロス派の主張の上に立って、自らの主張を述べているヴァッラの姿勢は、
実質上はどうであれ、ストア派的修道生活を是とする中世キリスト教会においては異質である。従って、この第三の立場の主張が当時のキリスト教会を意識したヴァッラの偽装であるとは考え難い。したがって、クリステラーの主張は概ね受け入れても良いと思われる。つまり、ヴァッラはエピクロス主義とキリスト教を終末論的視点から総合しようと試みていたか、あるいはヴァッラが中世の終末論的人間の尊厳性を終末論的至福感に置き換え、それをエピクロス派の快楽主義に投影して見ていたのである。
以上がヴァッラの快楽論の概略であるが、ヴァッラの思想においては、もう一つ人間の自由意志と神の摂理に対するヴァッラの理解を捉えなければならない。これは神の予知と予定と自由意思の問題である。
そこで先んず予知の問題であるが、ヴァッラは神の予知と人間の自由意思の関係であるが、これについては、人間の意志に基づいて起こりうることを、現在、過去、未来を現在においてとらえうる神が、それ知るということをヴァッラは受け入れる。ここにおいて、人間の自由意思は受け入れられている。なぜならば、出来事が起こる原因は人間の意志にあり、神はそれを予見しているだけなので、神の予知と人間の自由意思は両立しうるのである。
しかし、神の予定と人間の自由意志の問題については、ことはそのように簡単にはいかない。なぜならば、神の予定にもとづく出来事は、原因は神にあるのであって、そこに人間の意志が関わる余地があるならば、ことの結果は神の予定ではなく人間の自由意思によって決まってしまう。それはつまりは、ことの原因は人間の意志に帰するということであり、神の予定は成り立たない。
結局、ヴァッラはこの問題について不可知論を決め込む。すなわち神の予定と人間の自由意思の問題は、人間の理性では計り知れない神のみぞ知る出来事であると言うのである。
このような姿勢ヴァッラの姿勢に対して、野田又男はヴァッラが信仰と哲学を区分するオッカムニズムに従ったものであり、ヴァッラは「理性的自然神学(理性によって神の存在と本質を論ずる哲学的神学)をしりぞけ、聖書による啓示神学(聖書によりイエス・キリストにおける啓示の信仰をもとにする神学)にのみ意味を認めようとしているのである」 と言う。確かに、ルネッサンス以降のヒューマニストの傾向として、スコラ神学に対する反発があり、その意味では同様にスコラ主義、特にトミズムに相対するオッカニズムにシンパシー を感じたとしても不思議ではない。
しかし、反面、このように宗教的真理と哲学的真理を区別する捉え方もまた
ヒューマニストが拒否する考え方である。それは、アヴェロエス主義の二重真理説の背後あるアリストテレスの自然哲学への拒否として、ヒューマニズムを特徴づける一面でもある 。結局、いずれであったとしても、このような視点は、スコラ神学とヒューマニズムの対立構造に基づいて歴史をとらえ、そこからヴァッラを位置付けて理解しようとする見方であって、歴史家が与えたヴァッラの役割になってしまっている危険性がある。
むしろ、我々はヴァッラが予知と自由意思の関係について、理性的に承認できるとしているところに着目すべきであろう。すなわち、ヴァッラは、人間の理性で把握できる神学的問題と、人間の理性を超え、理性では捉えきれない神学的問題があると述べているのであって、必ずしも宗教的真理と哲学的真理を区別しているというのではない。むしろ人間の理性で知りうる限界を示し、それを超えた信仰の出来事に対しては人間の理性はそれに従属するという「信仰と理性の関係」を示しているのである。
さて、以上のようにエラスムスのキリスト教ヒューマニズムのルーツにあるルネッサンスにおけるキリスト教ヒューマニズムをそれを代表する4人の人物を通して概観してきたが、それをまとめると概ね次のように言えるであろう。すなわち、ここで取り上げた4人のイタリアのキリスト教ヒューマニズムを代表する人物の思想を見てきてわかるように、キリスト教ヒューマニズムの根底には、人間の尊厳性の認識がある。この認識は、初め、ペトラルカの内省的なところから始まって、神の前にいかに生きるかが問われることになる。そして、このような内省から生まれる人間としてのあるべき姿は、中世的「この世の蔑視」に対する、天的な存在としての終末論的な「人間の尊厳」結びついて認識され、この蔑視すべき世にあって、いかに神の前に生きるのかという実存的問題として、キリスト教的生が主題となっている。
それに対し、ピコには、もはや中世的な「人間の尊厳」にではなく、自由意志によって決断的に生きる人間の内的可能性の中に、「人間の尊厳性」の根拠が見られる。ただし、その内的決断は人間の欲望と神に向かう理性の葛藤の中にあり、神に向かう理性によって判断し生きるときに、その「人間の尊厳性」は初めて尊ばれるものである。こうして、キリスト教ヒューマニズムにおける「人間の尊厳性」の問題はピコを契機として変化が見られるが、ピコは、この欲望と神に向かう理性の葛藤の中に置かれた人間を、霊と肉という二元的存在、しかもその霊と肉とが対立するという構に中で見ている。しかしこの対立構造は、プラトン主義、中でも特に新プラトン主義の位階の構造の中で捉えられている。
もっとも、キリスト教ヒューマニズムにおいては、もともとプラトンを重視する傾向があった 。これはペトラルカを始めとし、フィチーノに至るまでキリスト教ヒューマニズムに共通して言えることである。その原因の一つは、キリスト教ヒューマニズムがスコラ神学の煩雑な議論を嫌い、より神の前に人間らしく生きるといった信仰的生を目指すものであったということにある。
またルネッサンスに見られるキリスト教ヒューマニズムが持つ反スコラ的性質のもう一つの原因は、スコラ神学、特にトマス・アクウィナス以降のトミズムがアリストテレスに結び付いていることに起因する 。このとき、トマスに影響を与えたのはアベロエス主義によって解釈されたアリストテレスであり、そのアベロエス主義の解釈に基づくアリストテレス的な自然哲学に対する反動的性向であると言える。この性向は、アリストテレスの信仰的真理と科学的真理の二重真理説を生み出す自然観に対しては更に強固に現れる。というのも、キリスト教ヒューマニズムにおいては、信仰と理性とは調和しており、それゆえに、古典とキリスト教の総合を目指してしている。この場合、その調和は信仰が理性に従属することで保たれている。この調和のゆえに、二重真理説を生み出す自然観を受け入れることができないのである。
4. オリゲネスとエラスムスの人間論
ヒューマニズムには、人間が人間らしくなるという人間形成をめざす視点がある。したがってキリスト教ヒューマニズムにも、キリスト教の枠組みの中でその人間形成を目指す視点がるといえよう。
このような人間形成の問題を神学的レベルで問うたのがオリゲネスであり、オリゲネスの人間観の影響はエラスムスに強く現れ出ている。とりわけ、エラススムス思想を明確に表したEnchiridion militis Christi において、意思決定的生き方をする人間の姿を、直接オリゲネスから援用したことを明記しつつ霊・魂・肉による三元論的人間理解によって説明するのである。そこで、エラスムスに影響を与えたオリゲネスの人間論をエラスムスの人間論と比較しつつ捉えてみたいと思う。そうすることでエラスムスが何をオリゲネスから受け継ぎ、何を受け継がなかったのかが明らかにあるであろう。
4-1 エラスムスとオリゲネスの三元論的人間観の間にある異同
エラスムスが意思決定的人間の姿を、オリゲネスの三原論的人間論の影響下で霊と魂と肉による三元論的な構成で見ていたことはすでに述べた通りである。しかし、実際は、そのオリゲネスの三元論的人間観もまた、あくまでも聖書の解釈者から生み出された者であり、エラスムスはそれをパウロにまで遡らせている。エラスムスの言葉を見てみよう。
オリゲネス的人間の区分を簡略に述べてみましょう。彼はパウロに倣って三つの部分を指示しています。すなわち霊・魂・肉です。これら〔三部分の〕すべてを結びつけて使徒はテサロニケの手紙の中で次のように書いています。「私たちの主イエス・キリストの〔来臨の〕日まで〔使徒たちは言う〕あなた方の身体と魂と霊とを責められることのないようまもりたもうように」(1テサ5:23)と 。
このように、エラスムスは、オリゲネスの三元論に基づく人間論は、ただパウロに倣っているだけだと理解している。つまり、エラスムスの意識の中では、彼の人間理解の源泉は聖書に遡るのであり、プラトンでもオリゲネスでもなければ、いわゆるギリシャ・ローマの《古典》にあるのではない。それらは聖書と一致する限りにおいて受け入れられるものである。
そして、エラスムスの人間理解の源泉に聖書の解釈あるが故に、エラスムスとオリゲネスの人間論には相違が生じてくる。実際、エラスムスの人間の三元論的の構成とオリゲネスのそれとの間には、三元論的構成という人間のとらえ方の枠組みは共通しており、また《魂》の階層的構造という点も類似する。またオリゲネスの捉える〔魂〕は、善にも悪に無向きうる中立無記なる自由な〔魂〕である。これは、我々が今まで見てきたように、エラスムスの意思決定的人間の三元論的な人間構成の中核となる思想と合い通じる。しかし同時に、その細部においてはかなりの違いがある。たとえば、魂のとらえ方にしても異なっている。梶原直美によると、オリゲネスは〔魂〕 は精神(mens) の堕落したものだと否定的に捉えている と言う。また〔霊〕についてはそして、この〔魂〕が、人間が教育されることによって元の精神(mens)状態に回復されるというのがオリゲネスの救済論である 。このような救済論は、精神(mens)を神の像に置き換えると、教育を通して神の像を回復すると言うこと目指すこの一点において、オリゲネスの教育思想とエラスムスのimitatio Christiの教育思想に近いものがある 。しかし、エラスムスにとって《魂》それ自体は、堕落した神の像でもなく、神の創造の業によって付与されたものである。またオリゲネスの三元論的理解において霊である精神(mens)は、物質の創造に先駆けて創造されたイデア的存在であり 、人間の中には魂として存在するものであるから、オリゲネスの霊と身体と魂の三元論的人間理解は、霊と身体と魂という三つの構成要素を示しつつ、実質的にはプラトンの霊肉二元論と同じであると言える。この点で、エラスムスとオリゲネスは、その三元論的人間理解の内容は微妙に違っている。エラスムスにとって、霊は天的なもの(イディア)を求める理性ではあるが、それは人間の内に在る人間本性である。また、オリゲネスとエラスムスは身体の理解においても違っている。エラスムスは人間の身体と精神について述べているエラスムスの言葉を見てみよう。
もし、身体が与えられていなかったとしたら、あなたは神のような存在であったでしょうし、もし精神が付与されていなかったとしたら、あなたは獣であったでしょう。相互にかくも相違せる二つの本性をかの創造者は至福の調和と結びあわせたのでした。だが平和の的である蛇は不幸な不和へと分裂させたので、猛烈な激痛なしに分かれることもできなし、たえざる戦闘なしに共同的に生きる事も出来ません 。
この言葉が示すように、精神も身体も神が付与したものであり、本来的には善きものであって決して悪いものではない。ただ、その二つが調和して相存在いることが神の創造の業において自然なのであるが 、罪のゆえにその調和が破られているところに問題があるのである。精神と身体のどちらかに問題があるのではなく、相互の関係に問題があるというのである。またオリゲネスに依れば、〔身体〕は人間の罪の重さに応じて与えられたものであるのに対し、エラスムスにおいては、これも神の創造の業によるものであり、魂と同様に肉(身体)も本来的には、その本性において善いものなのである。このように、エラスムスの三元論的な人間理解とオリゲネスのそれとの間には違いがある。
このように、エラスムスはオリゲネスの聖書解釈に倣って人間を三元論的な構成で捉えるが、その内容については、微妙に違っている。
4-2. 差異の根源:創造論的人間論と贖罪論的人間論
さて、われわれは前節において、エラスムスとオリゲネスの三元論的人間観の間にある違いを見た。しかし、このような違いは一体どこから来るのであろうか。おそらくそれは、エラスムスとオリゲネスの聖書を通して人間を理解する際の視座の違いにある。そこでエラスムスの人間を見る視座に関わる発言を見てみよう。
姦淫する者は呪われるべきでありますが、人間そのものはそうではないのです。神を冒涜する者は拒絶すべきですが、人間をではないのです。トルコ人を殺すべきであるが、人間をそうすべきではありません。自分で自分を規制した不敬虔な人が滅び、神が造りたもうた人間が救われるように尽力すべきです。全ての人に対し心を尽くして善を欲し、良かれと祈り、善行をなすべきです。
ここで、エラスムスは、姦淫や神を冒涜すると言う行為において、またトルコ人(異教の民)の異教を信じる信仰といったその《個》性 ゆえに、その《存在》の《個》たる部分は否定する。しかし、その《個》たる部分の根幹にある《存在》は、その根源においては、神の創造された〈人間〉そのものである。それゆえにエラスムスは、人間そのものは呪われるべきでなく、また拒絶されるべきでもなく、ましてや異教の民だからといって殺されるべきではないというのである。ここには、〈人間〉の存在を神の創造の業として捉え、尊厳をもって見るエラスムスの創造論的な視座が現れている。
このようなエラスムスの創造論的な視座に対し、オリゲネスの人間を見る視座は人間の堕落にある。すでに述べたように精神(mens)が本来あるべきところから堕落して〔魂〕となり、その結果、人間は身体を持つ存在として「今、ここに」あるのであって、人間はその〔魂〕が回復し元の精神(mens)状態を獲得しなければならないというのが、オリゲネスが人間を見る視座である。それはつまり、堕落と救済という構造で人間を捉えているのであって、そのような堕落した〔魂〕を、堕落の結果当たられた身体に宿す〈人間〉は救済論的存在である。このように〈人間〉の存在を救済論的に捉えるオリゲネスと人間を創造論的に捉えるエラスムスとの間には、明らかに視座の違いがある。それが同じ三元論的な構成で人間を語りつつも、両者の異なる魂や身体の理解の違いとなって現れていると言えよう。
もとより、創造論と救済論は密接な関係にある。西方教会の伝統においては神の創造の始原に立ち返る事が救いの業であり、結局、救済論は創造論の完成という一面を持つからである。しかし、創造論的人間観をもって「今、ここに」現存する人間を実存的に捉えるとするならば、「今、ここに」存在する人間は、神の創造の恩寵の中で、善きものとして創造された存在である。エラスムスが、「姦淫する者は呪われるべきでありますが、人間そのものはそうではないのです。神を冒涜する者は拒絶すべきですが、人間をではないのです。トルコ人を殺すべきであるが、人間をそうすべきではありません 」というのは、人間が人間として生まれ存在するのは、神の創造の業によるからである。つまり、人間は、この世に生を受ける段階においては、はなはだ善い神の創造の業なのである。その良く存在として造られた人間が、後天的に得たものよって罪人になるのであって、人間はもともと罪人として生まれてくるのではないのである。木ノ脇悦郎は、この問題を、エラスムスとルターの間にある人間理解における原罪の問題として、両者のロマ5章の解釈を通して論じている。そこでエラスムスに対して論じられていることは、要は、エラスムスは人間が罪を犯すという現実の中に人間の原罪を見ているのであり、そこには、人間はアダム以来、罪を主体的に模倣するという現実の中に、罪の必然性を見ているということである。つまり、エラスムスにとって人間の罪は必然的なことがらであるが、しかしそれは、後天的なものである。この後天的な罪の故に、人間は神の救済が必要なのであるが、しかし、本来的に人間の霊はもちろん、魂も肉も、本来的に善きものなのである。だから、罪を模倣する者からキリストに模倣するものに転換しなければならないというのである 。創造論的人間観とは、このような人間理解であり、神の創造の業である善き者を善き者たらしめようする救済観である。
それに対して救済論的人間観は、もともと人間は罪人として生まれてくると言うものである。つまり、人間の罪性は先天的なもの、つまり人間は罪人として生まれ、罪人であるから罪を犯す存在であるというのが救済論的人間観である。オリゲネスを見るならば、人間の持って生まれる魂は自由な意志を持って善と悪とを主体的に選ぶものであるが、もともとが霊が怠惰によって堕落したものであり、身体はその罪に応じて与えられたものである 。つまり、人間が魂と身体持って生まれてきていると言う事態そのものが、人間が罪人であるということを示しているのである。その人間を、教育し、魂を元の霊に回復しようというのが、救済論的人間観であり、悪しき者を善き者としようという救済観であって、創造論的人間観と救済論的人間観は、現実に存在する人間に対して異なる視点から人間を捉えているのである。
4-3 超越へ向かう人間のモデルとしてのイエス・キリスト
オリゲネスとエラスムスにおいては、現実の人間を見る視点に違いがあることは既に述べたとおりであるが、いずれも神の創造の業である人間が、神の与えた人間本性を完成させるという点においては共通している。つまり、両者とも超越に対する憧憬がそこにあるのである。
オリゲネスは、その人間本性の完成を教育によって成し遂げようとしたが、その教育の紺的にあるのは、聖書を研究するというところにある。川村信二によれば、オリゲネスは倫理的完徳のモデルとしてイエス・キリストを捉え、聖書研究を通して、そのイエス・キリストの「キリストの人性」を探求していったという。つまり、聖書研究という学びを通し、人は模範としてのイエス・キリストを知り、そのイエス・キリストに学ぶことで魂を霊へと向かわせていくのである。
さらに川村は、このような「キリストの人性」の探求が10世紀、11世紀の修道院文化の中で生まれた聖書を習慣的に読むというlectio devinaの習慣の中で「キリストの人性」が黙想的対象および神学的考察の対象となって人間の生き方の中で主題化されて「キリストの人性」への信心となっていったという。この「キリストの人性」への信心が、さらに13世紀のアッシジのフランチェスコの「貧者と共に生きる」という実生活次元で実践され、それが15世紀の近代的敬虔(Divotio Moderna)の中心精神である「キリストに倣う」(Initatio Christi)と繋がり実践化され再活発化しっていったというのである。
この近代的敬虔のImitatio Christiは、エラスムスのキリスト教ヒューマニズムのルーツの一つであることは既に述べたが、まさにそれはオリゲネスから面年と繋がっているのである。この一連の神学思想は、もとをたどれば、神であり人であるイエス・キリストの人性が、神が人間を創造された際に与えられた神の像が完全な神の似像を人の中に生み出したものであると捉え、この世に現わされたと考えるところにある。そしてその精神は、さらに古代教会の「身体的・精神的慈悲の業」としてキリスト者の日常生活の倫理的実践課題とその中心にある愛徳精神にまで至るものである。
これは、現実に存在する人間が、神人両性である神人キリスト、すなわち超越者が人となって有限な「この世」に突入し世界内存在となられ、自らが神の啓示として人間が人間として本来の神の創造の業に沿ってあるべき人間となるべく模範となられたということである。それは超越へのモデルである。この超越への憧憬とそれを学びにそれ倣い生きるという精神は、古代教会からオリゲネス、中世修道院、そしてエラスムスへと受け継がれた者であり、それは人間の知性がキリストの人性の中に現わしだされた啓示に人間の知性が従属しているのである。この啓示に対して人間の知性が従属する理性こそが信仰的理性である
5.まとめとして
さて、われわれはキリスト教ヒューマニズムとは何かということを、ピエレールとスプロールの批判にこたえる形で捉えてきた。彼らが批判する現代のヒューマニズムにおいては、理性と信仰は分離し、理性が信仰の上位に立ち信仰は理性に従属するところからおこっている。そして、さらにスプロールになると、そのような信仰と理性との関係はよる批判である。このR.C.スプロールの批判は、ピエレールの批判以上にヒューマニズムにとってより深刻であるといよう。というのも、スプロールの批判は、確かにその主な批判は現代のヒューマニズムにむけられているものであるが、しかし、さらにスプロールに至るとこのような信仰と理性との関係は、16世紀のルターとエラスムスの自由意思論争にまで遡り、エラスムスのキリスト教ヒューマニズムは、キリスト教と深い確執を持つものであり、非キリスト教的、あるいは非プロテスタント的であると言うことになる。
しかし、ここまで見てきたように、ルネッサンス以降、ペトラルカを祖として起こったイタリア・キリスト教ヒューマニズムも、またそのイタリア・キリスト教ヒューマニズムの影響を受けつつも、より宗教的な形 となってアルプス北部に展開したキリスト教・ヒューマニズムも、さらには英国ヒューマニズムも人間の理性を重んじている。しかし、そこにおいて信仰と理性の関係は決して理性が信仰に優先することなく、どちらかと言えば、理性は啓示に従属し、それゆえに、その理性は信仰的理性であって、科学的理性によって啓示を検証するのではなく、信仰的理性が啓示を受容していくのである。つまり、15世紀16世紀のキリスト教ヒューマニストにとって信仰は理性的信仰として受け止められたのではなく、信仰的理性によって人間そのもの生の在り方が観察され、そして「いかに生きるのか」が問われていったのである。それは、キリスト教ヒューマニストたちが、アリストテレスの自然哲学を嫌い、アヴェロエスの二重真理説を退けたことからもうかがえることである。
スプロールは、現代のヒューマニズムが18世紀の啓蒙主義の進展した形であり、啓蒙主義は、エラスムスに代表される15世紀16世紀のキリスト教ヒューマニズムに繋がっていると見ている。たしかに15世紀16世紀のキリスト教ヒューマニズムは人間に深い関心を向け人間を観察する。その意味では、啓蒙主義とキリスト教ヒューマニズムとの間にはある種の類似性は見られるであろう。しかし、両者の間には深い溝があり、その溝を中心とした彼岸と此岸ほどに違いがある。それは信仰的理性が神の啓示を核にしたものであり、科学的理性が人間の知性を核とするところからくる溝である。スプロールは、あまりにも無邪気に、また安易に理性という言葉をもってこの溝を越え一歩を踏み出ていっているのではなかろうか。しかし、その一歩踏み出すか否かは実に大きな相違なのである 。その意味で、ヒューマニズムを人間中心の哲学とみなし、キリスト教の神中心の信仰と対峙させてとらえる見方には賛同しがたいものがある。もし、キリスト教ヒューマニズムを哲学と言う言葉を受け入れるとするならば、それは「いかに生きるか」を問う学問として、すなわちエラスムスが「キリストの哲学」という言葉であらわした狭義の意味においてである。というのも15世紀16世紀のキリスト教ヒューマニズムは人間の知性の問題ではなく、人間が神の前にいかに生きるかと言う実践的キリスト教における「敬虔」の問題だったからである。
引用文献一覧
D.エラスムス
Enc. 『エンキリディオン』宗教改革者著作集2 金子晴勇訳 教文館 1989年
本論文において『エンキリディオン』から引用する場合は、特に注記がない限り、
この金子訳から引用する。ただし、必要と思われる場合には、金子晴勇訳の底本となったAusgewählte Schriften. Bd.1 Brief an Paul Volz; Epistola ad Paulum Volzium; Handbüchlein eines christlichen Streiters; Enchiridion militis christiani : Übertr., eingel. u. Anm. v. Werner Welzig. Latein.-Dtsch. (以下AS.)を手元において、確認を行った。
Pal. 『新約聖書序文』宗教改革者著作集2 木ノ脇悦郎訳 教文館 1989年
Apo. 『新約聖書序文』宗教改革者著作集2 木ノ脇悦郎訳 教文館 1989年
Met. 『新約聖書序文』宗教改革者著作集2 木ノ脇悦郎訳 教文館 1989年
Vz. 『ヴォルツ宛の手紙』宗教改革者著作集2 金子晴勇訳 教文館 1989年
Pal.,Apo.,Met.,ともに、特に注記がない限り引用の際は、この木ノ脇
訳からvz.ついては金子訳から引用する。.
以上のほかに、英語のものとして、Works of Erasmus,Toronto Unversity Press
を参考にする。
Epc.“Epicureus”ただし、本論文においては、『神学研究』No.46 関西学院大学 1999
年pp.87-111にある木ノ脇悦郎訳を用いることとする。
ピコ・デラ・ミランドラ
① 『人間の尊厳について』大出哲、阿部包、伊藤博明訳 アウロラ叢書 国文社 1985年
ハンス・リルエ
① 『無神論・ヒューマニズム・キリスト教』伊藤之雄、小林茂共訳 YMCA同盟出版部 1965 年
A.ピエレール
①『人間と社会』倉塚平訳 新教出版 1964年
J.ホイジンガ
①『エラスムス』宮崎信彦訳 ちくま学芸文庫 筑摩書房 2001年
K.リーゼンフーバー
①『マリシリオ・フィチーノのプラトン主義と教父思想―キリスト教哲学の一展望』鈴木伸国訳 カトリック研究 No.76 pp.1-44 2007年
P.O.クリステラー
①『イタリア・ルネッサンスの哲学者』佐藤三夫監訳 みすず書房2006年
②『ルネッサンスの思想』渡辺守道訳 東京大学出版会 1977年
R.C.スプロール
①『非キリスト教的思想入門』田代泰成訳 いのちのことば社 2003年
S.ドレスデン
①『ルネッサンス精神史』高田勇訳 平凡社1984年
赤木善光
① 『エラスムスのキリスト観についての一考察―Enchiridion militis christiani(「キリスト教兵士必携」)を中心として』東北学院大学論集,一般教育 No.454 東北学院大学文経法学会 1964年 pp.21-46
② 『エラスムスのphilosophia christianaについて』東北学院大学論集,一般教育 No.46 東北学院大学文経法学会 1965年 pp.67-94
③
金子勇晴
① 『近代自由思想の源流―16世紀自由意志説の研究―』創文社 1987年
② 『キリスト教思想史入門』
③ 『初期エラスムスの人間学の特質』国立音楽大学研究紀要 No.15 国立音楽大学
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木ノ脇悦郎
① 『聖アウグスティヌスとエラスムスー異教古典理解をめぐってー』
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②『新約聖書序文』宗教改革著作集2エラスムス 木ノ脇悦郎訳 教文館1989年
③『エラスムスにおけるPhilosophiaの論理』福岡女学院短期大学紀要16号 別冊 福
岡女学院短期大学 1980年
④『エラスムスの思想的境地』関西学院大学出版会 2004年
⑤『エラスムス研究 新約聖書パラフレーズの形成と展開』日本基督教団出版局 1992
年
⑥『Devotio ModernaとエラスムスのPhilosophia Chiristina』神学研究No.19 関西
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⑦『エラスムスのEpicureus(1533)について』神学研究 No.46 関西学院大学 1999
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⑧『エラスムスの人間観と教育について(1)』福岡女学院短期大学紀要 No.12 福岡女学
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⑨『「自由意思論」の動機―オリゲネス、アウグスティヌスとエラスムス』神学研究No.38
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⑩『エラスムスの聖書解釈とPhilsophia Christiana』教会と世界1980年2月号pp.20-23
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① 『ペトラルカ研究』創文社 1984年
②『ペトラルカと<アヴェロイスト>』中世思想研究 No.18 中世哲学会 1976年 pp.66-83
③『ペトラルカとアラビア文化』東京学芸大学紀要第2部門人文科学No.28 東京学芸大学 1976年 pp.11-29
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①『イタリア・ルネッサンスにおける人間の尊厳』有信堂高文社 1981年
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①『Devotio Moderna』大阪府立大学紀要(人文・社会科学)No.16 大阪府立大学
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①『エラスムスにおける「反野蛮人論」とヒューマニズム』基督教学研究No.17 京都大
基督教学会 1997年
②『エラスムスの「敬虔」概念の倫理的基礎』基督教学研究No.11 京都大基督教学会 1990年
根占献一
①『ルネッサンス・ヒューマニズム考―クリステラー・グレイ・ウルマン説を中心にー』イタリア学会誌No.33 イタリア学会 1984年
②『マルシリオ・フィチーノにおける哲学と宗教の関連づけとその指摘発展』イタリア学会誌No.22 pp.64-77 イタリア学会 1979年
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①『ルネッサンスの思想家たち』岩波書店(岩波文庫)1971年
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①『エラスムスの古典研究擁護におけるヒエロニュムスとアウグスティヌスの引用につ
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②『エラスムス「セルワァティウス・ロゲルス宛書簡」(1514年7月)翻訳と解題』創
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渡辺一夫
①『フランス・ユマニスムスの成立』岩波文庫セレクション 岩波書店 2005年
渡辺茂
①『ドイツ宗教改革 精神と歴史』聖文社 1978年
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