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空に向かって今日も話しかけてみる。

職業訓練校も受かったし、すこし安心したので
今日は2本書いちゃいます。

別に今日書いて、明日投稿でもいいんだけど。
でも絶対今日が良かった理由は読んでいただければわかるかと思います。



8月28日。

今日は何の日でしょう?


伯父(母の兄)の誕生日です。生きていれば71歳です。
71歳、ご健在な方、いっぱいいらっしゃるよね。


10年前の10月、伯父は他界しました。
時たま「空に向かって話しかける」とか表現することがあるのですが
これは、伯父に向けて話しかけています。

たぶん、ぜったい、伯父は全部知っていると思います。


父親にほとんど良い思い出がないわたしにとって、
伯父は沖縄に住む、父親のような存在でした。

(生まれも育ちも東京なのですが、仕事の関係で沖縄に移住していたのです)


お正月に帰ってきては、
弟と私を連れて、遊びに連れて行ってくれました。
クリスマスには、
でっかい靴下のお菓子詰め合わせ(表現合っているだろうか)とプレゼントをわざわざ、送ってくれました。


酔っぱらうとよく電話がかかってきて、こう言っていました。
「ちーちゃんのこと、おじさんは愛しているからな」


すこし大変な家庭にいる私のことを、きっと一番心配していたのは
母でも、祖母でもなく、間違いなく伯父だったと思います。


「定年になったら、○○家(母・伯父の苗字)のルーツを探るんだ」

とそれはそれは定年退職を楽しみにしていました。また

「定年になったら、母・弟は沖縄に来い」

と言っており、母親はそれを了承していました。
わたしは東京で仕事をしており、いろいろわかっていたのでしょう。


そんな中の、突然の病魔でした。
伯父は生きる気満々だったと思います。2回手術し、抗がん剤治療を沖縄で受けていました。



あれよあれよと、せん妄が起きるようになってしまい。
ホスピスに入ることになったよ、と当時沖縄で付きっ切りで看病していた母親から連絡があり、沖縄へ。


順番だいぶスキップしたって言ってた。
覚悟しなきゃ。


もうほとんど意識はないことを
ホスピスの看護師さんから説明を受けました。そして、


「意識がないみたいに見えるけど、耳は最後まで聞こえています。なので、間違っても葬儀の話とかはしないでね」


たしかに、意識はあるように見えません。

だけど。


「ちーちゃん来たよー」


と母親。


「おじちゃん、わたし、わかる?」


その時。
うっすらどころではなく、何滴も、何滴も涙を流していました。


聞こえてる、絶対聞こえてる。
確信しました。


「せっかくの個室だし、音楽でも小さくかけようか。ユーミンかけようか」


ピアノが流れた瞬間、またぽろり。
生きてるよ、間違いなく生きてるよ…
話す力、表情を出す力が弱っているだけで、生きているんだよ…


今でもよく覚えています。


人がいつしか弱り、土に還っていくということ。
祖母、伯父から教わっています。自然なことだと。


弱いわたしは、よくへたばってしまうんだけど、
そんな時は、空を見上げるんです。


わたしのことを愛してくれた人は、間違いなくいたから。
都度都度思い出して、その時まで、迎えに来てくれる時まで
かっこ悪くてもなんとか生きるか、って思うんです。


命日もあるにはあるけど、誕生日にこうして
話をするのも供養の一種かな、と思って今回書いてみました。
今年の10月で10年ですしね。節目。


何回も何回も、つい最近もくじけました。

めっちゃつらい。正直つらい。
だけど、「人」をいったんおいてみることにした。

どんなに失望されても、もういい。
馬鹿なりに歩いてみるよ。

今はそう、思っています。


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