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17歳の悲劇③記憶をぶっ飛ばした。20年たって今、思うこと。
番外編な話をちょっと。
先日はじめてノンアルのカシスオレンジを飲みました。
「カシスオレンジじゃないキャラ」を謎に演じていた頃を懐かしみながら。
別にカシオレキャラでもいいじゃん、いやカシオレキャラになりたかった。
この話だけでnote1記事多分かけそうだ。笑
はい!
♡♡♡
2学期も、相も変わらず
出席日数とバイトシフト、時給の計算をひたすら内職していた。
実技系は、とことんギリギリまで休んだ。
実技系の授業って、だいたい誰かと何か協力しなきゃいけない。
とにかく、過剰なくらいに
誰とも学校ではしゃべりたくなかった、存在を忘れてほしかった。
でもほんのほんのちょっと、心配してほしかった。。
まぁ
たまにしか来ない謎の暗い人なんて友達になりたいわけないよね。
心配してくれた人もいたってずいぶん後になってから聞いたけれど
そのころはきっとそう言われたとて感謝できなかったと思うのが本音。
一匹狼、って言葉がたぶんぴったり。
強くもないから、ブルブル強がってる。みたいな。
単位取得必須の授業。私にとってミッションなんてもんじゃない。
「車いすで交代で散歩しましょう」
「近くの公園で」
「班のメンバーでうまく交代しあって」
これだけ。
普通なら、半分さぼりと言ってもいいくらいだと思う。
だが、少しでいいので思い浮かべてほしい。
車いすで交代ってことは、誰かと二人一組になるということ。
出席番号順で決まっていればしかたなしに対応してくれるだろうけど、
うちの班は5人だ、たぶん。
ヘラヘラ歩いていれば、なんとかごまかせるかな?
いや、車いすに乗るなり押すなりしないと単位もらえないかな?
話しかける?
でも怖い人しかいない、どうしよう。。。。
今書いてても思うが、ふつうにヘラヘラしていればどうにかなった気がする。
自分があぶれることは想定内として、誰か相手してよ!って言ってもいいと思うし4人中ひとりくらい車いすの相手役をしてくれるかもしれない。
たまたま、トリガーがこの授業だった、としか思えない。
とんでもない行動に出る。
♡♡♡
携帯しかもっていなかった。
財布も鞄も学校に置きっぱなし。
ここ、どこ。
どうやら、逃げ出したらしい。
はたして
もういや!とか叫んだ?
走った?
もしくはそろーっとこっそり逃げ出した?
わからなかった。
すっぽり、
時計をみると1時間くらい。
なにしたか覚えてないのだ。
もう授業はとっくに終わっている。
バイトはやすみ。
今週末の予定もわかる。
自分の名前とかもわかる。
ただ、ここ1時間くらい前までのことだけがすっぽり頭から抜け落ちていたのだ。
たしか、地図を探してどうにかして学校へ戻ったような気がする。
隣町に行ってたんだよね。
今ならGoogleマップ見れば何の問題もないけど、20年前なので。
♡♡♡
だんだんと、「こりゃやばいことしたっぽい」と鼓動がすごいことに。
携帯には、いろんなところから着信と、いろんな人からメールが入っていた。
いろんなところ。
学校は市外局番からすぐわかったのだが、同じ班の人や、先生数人も電話を掛けたらしい。クラスが違う友人からも。もうばれてる。
これは学校辞め時だな。と
妙に開き直っていたような気もする。
とりあえず不登校始めるにしても
財布とかばんだけは、取りに行かなくては。
定期がないと、帰れない。
部活をしている時間帯にこーっそり行ってこーっそり帰ろう。
下手に遅い時間だと、鍵をかけられる。
もうこれで最後。
もうこれで最後。
もうこれで最後。
自分で何回も何回も唱えながら、教室へ。幸いだれもいなかった。
鞄もあった。財布もあった。
よし、あとは帰るだけ。
苦い思いをしたけれど、バイバイ。
さすがに、授業中に逃走しちゃう人なんていらないよね。
高校生活、バイバイ。
♡♡♡
「いたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
見つかった。
確か司書さんに見つかった。
次回詳しく書くが、クラスで居場所がなかったわたし。
図書室と保健室に居ることが多かった。
最初は怪訝な顔をされていたような気がするが、いつしか担任からお達しがいったのでしょう。常連と化していた。
わたし、逃げました。笑
「お茶飲んでって!」
なんでここで逃げ足を止めたのはいまだに謎である。
まんまと、来客用のお茶をすする。
どうやら、叫ぶことも泣くこともなく
気づいたらいなくなっていたみたいです。
班員のひとりがものすごく心配して、「探しに行く!」と言ってくれたそうだが、先生方は私の内情を知っていたので「大丈夫だから部活行け」と促してくれたそうです。
いいやつじゃん…
その人と合わせる顔がなさ過ぎて、あれから謝ることもお礼を言うこともなく、会話をすることもありませんでした。
ほんとうにありがとうございます。
そして、迷惑をおかけしてごめんなさい。
あのクラスのことなんも覚えていないけど、彼の顔と名前だけはいまだに憶えています。
もう忘れてると思う、忘れてほしいけど、もし何か人生のボタンが掛け合ったらとにかく謝りたいと、20年たった今でもそう思っています。
わたしは重たい荷物を抱えていたけれど、
それは間違いないけれど、
迷惑をかけたことは事実、それとこれとは違うから。
しばらくしたら。
「いたーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
クラスが違う友人が来ました。
「何ほっこりお茶を飲んでるんだ!!!!!心配した!!!!」
ここは、もう、謝るしかなかった。
記憶がない、と言ってもあまり信じてない感じだったけど。
担任経由で別のクラスの友人に話がいき、
当然わたしは記憶喪失中なので連絡するわけもなく。
最悪の事態も覚悟したそうです。夕方までに見つからなかったら自宅、夜まで見つからなかったら警察…
「ストレスが限界に来ちゃったのねぇ」
ゆるい司書さんにどれほど救われたか。
「この後、どれくらい実技の授業があるんだろう?ここまで来て辞めるのはもったいなさぎる。実技の先生にも事情を話して、レポートとかでどうにかできないものかしら?」
わたしには、居場所があるのかないのか?
クラスは最悪だったけれど、そんなに最悪なのか?
後から振り返ると、捉え方の問題だったような気がします。
ただ、それに気づくのは20年後のおはなし。
居場所がない孤独な一匹狼だったはずなのに。
取柄なんか何一つないはずで、即退学になっておかしくないはずなのに。
記憶をぶっ飛ばしつつも、この時はどうにか結果的には乗り越えるのですが
この「記憶喪失」は20代でも1回起こします。
高校生の時に、今でいうPDCAサイクルみたいなのを回していれば
20代の樹海行きはなかった気がします。
そんな、反省も込めて書いています。
客観的に見て、恵まれているんですよ。
記憶飛ばすくらい、苦しい思いをしてはいる、それは間違いない。
何も取柄はない、けれど
「それでもあなたの周りには必ずいい人が集まる」
立派な取柄よ。と。
高校2年生のあの日から、何回も何回も壁にぶつかるし、
何回も希死念慮が出てきて人を苦しめた。
でも、何回でも
素敵な人間関係に恵まれる、自分でも不思議なくらいに。
20年たって、少しは成長したのかな?
やっとやっと、あの日のことと今のキモチをほんの少し、言語化できたような気がします。
もうちょい続きます!