17歳の悲劇番外編:あの時感じた思いが、こう繋がってくるとはなぁ
最後にちょっとつながる話があるので、番外編として綴らせてください!
あれよあれよと時は流れ。
30代を迎えた。
そりゃあ、仕事は大変だったし、別に家庭問題も解決していないけど
推し活が生きがいの20代。
体力だけはあったから、平日フルタイムで働き土日は試食販売のバイトをしていた。
なので、推し活できたんだと思う。
推し活仲間も、わたしにとって「第三の居場所」だった。
高校では記憶を飛ばしたり
22の時には樹海にも行った。
たぶん、メンタルが弱いんだろうな。
たぶん、普通じゃないんだろうな。
そんな思いを抱えて、迎えた30代。
半ばにさしかかって、出逢うことになる。
ふたつの、出逢い。
片方はどうやって出会ったかは、覚えていない。
「これ、わたしのことだ」
そう、HSP。
わたしの取り扱い説明書がそこにはあった。
人と会ってて、解散した途端に疲れがどっとくるところ。
上司の機嫌の悪さは自分のせいと思っていたこと。
太陽や空。やたらと感動するところ。
脳みそが疲れる感覚があったこと。
夢中になって調べた。
調べていて、悟ったこともたくさんあった。
けれど、今でもこれははっきりと覚えている。
この人おもろいな…
その人の発信を追い始めた。
きっかけになったTwitterの投稿も、覚えている。
その人たちがオンラインで居場所を作ったという。
こういうの、入ったことがなかった。
わりとリアルを重視する方だったから。
でも、迷いはなかった。
ステイホームがきっと追い風になったのだろう。
そこは
「否定をしない居場所」だった。
もしかしたら、オンラインで居場所をつくる世界線はなかったかもしれないと後になって聞いた。
オンラインでなければ、絶対に出逢っていない。
不思議ですよね。
もう片方の話。
わたしは30代半ばでそこそこな病気をした。
退院したはいいが、体力が極端に落ち
自宅付近しか出かけることができなかった。
そんな中、すごく近所に
カフェが出来た。
自宅付近の散歩をしていなかったら
気づいていなかったと思う。
プレオープンの時に
ジンジャエールを注文し、あまりのおいしさと人と会話してない寂しさがあってオーナーさんへ感動を伝えまくる変な客だった。
やはり印象に残っていたようで
「ジンジャエールのお姉さん」
から名前で呼ばれるようになった。
ここも、そう
「みんな受け入れる居場所」のために作られたカフェだった。
いろいろとあったのだろう。
このカフェは今、ない。
ここでいろんな人と知り合った。
今でも連絡を取る人もいる。
すごく、人間みがあるカフェ。だったと思う。
今でも思い出すとキュッとするのだけど
あの居場所があったから
笑えた人を知っている。
人と人が繋がって
わたしはここにいてもいい、と思えた人を知っている。
ただ受け入れる、否定しない
こんな居場所は、子供だけでなく
大人こそ、必要なんだと強く感じた。
「居場所」に導かれるように
出逢った、30代半ば。
高校生の時も、今も
「第三の居場所は必要だ」と思う気持ちは全く変わっていない。
でも、自分にはつくれない。
単純に、向かない笑
でも、なにかをしたい。
そんな思いはとても強い。
今日、キャリアコンサルさんに言われたことがある。
「転職回数多いように見えて、すごく筋が通っている。ヘルプデスクからはじめて、バックオフィスの経験を積み、途中ITに軸足をずらして、今はwebに強くなろうとしている。オンライン秘書で半ばフリーランスでもある。なにか実は大きな目標があるんじゃないの?」
ああ、そうだ。
第三の居場所をつくるというか、
つくるためにわたしの得意なことで関わりたいんだ。
大きい目標はきっとない笑
けれど、
これまで、一生懸命、もがきながら
すこしづつ、歩んできて。
すこしづつ、身につけていったことが。
なにひとつ、無駄ではなかったと思ったのです。
きっと、何かわたしの得意なことで「第三の居場所つくり」にこれからもかかわり続けるのだろう。
そのために、わたしは今日も自分の得意を尖らせるために
試行錯誤するのだ。笑ったり、泣いたりしながら。
オンラインとオフラインの居場所。
両方の良さを知っているつもりだから。