俺は、故人をもてあそぶ外道を許さない。
俺は物言わぬ故人をもてあそぶ外道を許す事ができない。
俺は故人の死を玩具にして、
自分のもつ「クリエーターやアーティスト(作家)は職人気質であるべきで、その作品に向き合うことに時間を費やすべし」みたいなノンポリに見せかけた極右思想を流布する為に利用して搾取した最低の外道を許すことができない。
このような外道の営みを止める事ができないのであれば、お前がやったことと同じように、俺はお前の死後ものいえなくなったタイミングでお前の過去の発言を部分的に切り取って玩具にして遊び、それで飯を食う。
震えて眠れ、お前が始めたゲームだ。
どんなにクリーンにノンポリに作ろうとしても作品にはその作家の持つ思想や作家性が出てしまう、社会に対して何か作品を出すということはそういうことだ。
作品を出すこと自体が社会性であり、政治的な行為である。
まずコレは大前提。
例えば極論究極に「エンタメ作品でみんなを楽しめる為に作品を作りました!」と言ったとしてもそれはみんなを楽しめたいという立派な政治的思想にたりえるし、その”みんな”の向かう方向、”どこ”の”どんな”、”誰”なのかという情報だけでもそれが政治性になりうる。
まずこの大前提がこの人間にはない。
つまり、この人間がやっている事は鳥山明という作家がしてきたことその作品で伝えたかったイデオロギーをいったん全部漂白、全無視して間違っていたとしても言い返せないリプライもできない故人になってしまったタイミングで、コイツのもつ前述の「作家は作品に向き合い政治色を出すべきではない」という右翼思想を流布する為に搾取し、利用したことに他ならない。
影響力のある作家はそれだけで利用されてしまいがちだが、好きな作家さんが死後、こんな形で利用されてしまうなんてアタシ本当に悲しい人の心はないのか。
お悔やみ申し上げろよ外道がよ。
では、作家諸君はどうするべきか。
それは自分で考えてほしい各々で、
ただ、あらゆる作家は己の作品を誤読ないし湾曲されたとき、生きてるうちに訂正ないし、説明をしておかないと今後このような外道は掃いて捨てるほど湧き出てくるので気を付けてほしいと思っている。
つまり、多少疲れてでも作家は作品の持つイデオロギーについて語る時間が必要なのだ。死後もてあそばれないための理論武装として。
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