苦手な言葉について。『清潔感』。
ポリ的にもOKで、倫理的にも問題ないような言葉に対して、言葉や言葉尻を捕らえて殺しにかかるような勢いで、その嫌悪を表明する人がいる。結構そういう人が自分の周りに沢山いるのでちょい疲弊する。
例えば、chillという言葉が苦手な人、少しでも使おうものならキレてくる。
自分はそういう風にして、タダでさえ倫理的にもポリ的にも言えない言葉が沢山あるのに(差別等に加担したくないから言えないんじゃなくて口が滑ってもそういう言葉は言いたくないんだけど)そんな言葉のブラックリストをしょうもない理由(トラウマ等々なら致し方ないが)でこれ以上増やしてどうするんだ。
とは思ってしまう。
そんな風に思っているアタシでさえ、苦手な言葉はある。
まぁだから人それぞれだと思って流すんだけど、今日はそんな僕の苦手な言葉についての話。
最近、苦手だけど死ぬほど世間では流行ってる言葉『清潔感』
僕は、『清潔感』という言葉がかなり苦手。
最近流行ってるこの言葉、みんながカジュアルに使う反面酷くイデオロギーが含まれているような気がしてならない。
世間は垢抜けブームだ。
オタクも処女も童貞も猫も杓子も皆が皆、サロンに課金して、垢を抜く。
アタシは人が人らしく(自分らしく)生きる事を美徳とし、そこに愛おしさを感じる。だからこのことが酷く不自然で気持ち悪く感じてしまう。
勿論垢抜けの中には、”なりたかったけどななかった自分”に少し背を伸ばしてなってみる。
というのもあると思う。
実際に私は高校生の頃は身なりの規則が厳しい工業高校に通っていたため、その反動で大学に入ってすぐ髪を染めてモヒカンにした。これは一種の垢抜けでもあると思う、だから垢抜けのすべてを否定できない。
けど、最近のいわれてる”清潔感”だったり”垢ぬけ”には偽善者の為に漂白されたルッキズムが残滓のように残ってるような気がしてならない。
気にしすぎかもしれない。
要するに口を悪く言えば、いっそのこと「自分は顔のいい人間しか恋愛対象になりません」といってくれた方が包み隠してない分清々しいし好きだと思ってしまう。
清潔感がある人じゃないと無理は、今の清潔感ブームにおいて、所謂清潔感のある顔っていう平均顔にそぐわない人間は無理という風に聞こえてしまう。穿った見方なのはわかるけどそう見、聴こえてしまうのはもうしょうがない。
だから、私は清潔感という言葉であったり垢ぬけという言葉が最近かなり嫌い。
垢ぬけ動画をめっちゃ見かける。
youtubeの短い動画やInstagram、tiktokなどいまや垢抜けや清潔感は一大産業である。
先日みた動画で、所謂、身なりに課金せずに趣味に没頭したようなオタクっぽい冴えない子にたいして若干押しつけがましいノリで無料でスタイリングを施してhappy end(和製英語)という動画をみて泣きそうになった。
コレは憶測でしかないんだけど私がそうだからという理由で自分がそのオタク君だったらと考えたときに、私は身なりなどどうでもよくてルッキズムには少しアンチ的な立場(あらゆる差別になるべく加担しないように行きたいと思っていますが見た目の好みは自分にもあるので少しアンチ)でいまして。
身なりに課金する暇があるなら、自分の趣味にお金や時間のコストを使うというイデオロギーの元生きています。
もしそういう人間に対してこの一大ブームが押し寄せてきたことを、そして動画の彼の様に垢ぬけ手術を施され動画のネタにされてしまった苦痛。
このことを清潔感という言葉に違和感を感じずに生きてきた方は熟考していただきたい。
酷く居心地が悪いわけです。
清潔感という言葉で漂白されたルッキズム上位の平均値以下の人間は汚い汚物の様に扱われてしまうような勢いを感じてしまう。非常につらくて動画を見て何度も泣いた。
さてさて。
ここまで話したうえで分かっているんですよ私は。
というか気づいているんですよ。
清潔感という言葉を交友関係の指針(付き合う付き合わないの指針)として使う人の多くは女性性を持つ方であるのを全く統計を取ったわけではないんですけど、多い印象を受けます。
コレはつまり、ヘイトの再生産なのではないかと思うわけです。
どういう事かといえば、これまで多くの女性性を持つ・性自認はどうであれ出生時性が女性である属性の方は、長い事スッピンで歩こうものなら「ブス」とののしられ、人権を得られないような状況がいまなお続いているのは間違いないと思うんです。
つまりこの清潔感は、女性性を持つ方にとってのメイクなんですよね。
そして、いまこれまで受けてきたスッピンでは外を歩けない(事実歩けるけどそれには社会的にリスクが伴ってしまう)という性差別を清潔感という言葉でヘイトの再生産を行っている。
では、どうなるのがアタシにとって好ましいのか、言わせてください。
性別関係なく全員が醜くても、ノーメイクで不潔であっても、後ろ指刺されることなく外をで歩ける世界です。
アタシはその醜く生きる事を例えば趣味の為とかで選択したその人間の人間らしさやアウラを支持していきます。
そして、自分がなりたい見た目を目指してそれは清潔だったり不潔だったりをメイクしたり脱毛したりしなかったりするのがいいと思うんです。それもまた人間らしさでありその人のアウラですよね。
以上です。
※もう少し踏み込んだで執筆したり、細かく添削しようかと思ってたんですけどわたくしはノンバイナリーという属性を持つ以上、男・女の二元論でしか語れない状態(便宜上)のこの話題を続けることが息苦しいのでここでやめておきます。駄文失礼いたしました。おやすみなさい。
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