組織の現実に、個人はどう向き合うか
ティール組織研究シリーズとして先月にあったオンラインイベントでは、ドイツでメンタルヘルス・リハビリを展開する病院グループ〈ハイリゲンフェルト〉創設者、ヨアヒム・ガルシュカ氏の姿勢、哲学がとても美しかった。
この日を振り返るイベントがまたオンラインであったのだけど、非常に考えさせられた時間だった。ヨハキムさん曰く、(これはティール組織の著者F・ラルーさんも昨秋のイベントで答えてくださったのだが)大きな組織を変革することは相当に難しいというようなことだった。
組織も生命体として観るのであるならば、組織もまた、役割の終わりと共に命を終える。ということは、変化しようとしない組織も、変化しようとする組織も、それぞれが時代の役割を担っているのだろうか。「今、変わらなくては」と考える私は、組織にとっては異質なウイルスやがん細胞?短期的な安定のためには、ともすると不要な存在?
そんななか、参加者さんのこの発言があった。
「DDOすなわちdeliberately development organizationは、デリバレイト、長期的に意図して発達していくものであり、短期的にどうこうできるものではない」
子どもと違い大人が価値観を簡単に変えられないように、古い組織もまた長期的にしか変化はできない。その過程でもし死んでしまうとしたら、それが役割だったということなのか。
と書くと運命論的に見えるが、そうではなく、だからこそ個人として謙虚さ、愛情、志を持ち、メタ認知、全体性を意識し、パーパスに耳を傾ける。そして組織の論理にとらわれず、一貫した姿勢を取ることが必要なのだと理解した。
一期一会、carpe diem
あるときはこれらの言葉を違った解釈で大切にしていたが、今また新しい想いで、この言葉を大切にしよう。