母をたずねて三千里...以下
おはようございます。
現在、成田空港国際線ターミナルの到着ロビーにおります。
私は日本に一時帰国中
「はるばるバヌアツから息子が私に会いに来てしまった!」ということで、感動の再会を果たそうと出待ちをしています。
と言っても息子と別れてまだ10日しか経っていませんが、3年位会っていない感じがします。
中学、高校生が1年間親元を離れて単身で留学をするお子さんがいますが、見送る親御さんはどんなに心配して寂しく思う事でしょうね!
息子は今回海外から単身で日本へ戻るのは初めてですが、彼と私は2人で海外と日本の往復を何回繰り返したか数え切れません。
息子が3、4歳の頃は人形遊びとお絵描きに夢中だったので、8時間のトランジットでも一人遊びに興じておりこれだけは本当に助かっていました。
しかし眠ると絶対に起きないので、トランジットの待ち時間に入眠されてしまうとチャビーな息子を背負って、両手に大荷物を持っての移動です。本当に重くて涙が出ました。
息子が8歳位になってくると話し相手になります。13歳の時は反抗期で「オレ、ブラックコーヒー飲んで来るわ」と謎のアクティビティで姿を消すのでお話になりません。
そして現在は16歳、相当戦力になります。
今回「来年受験もあるしひとりで日本往復してみたい」という申し出があり、オペレーションは私ですが(オンラインでチケットを買ったり)身一つで成田まで来れたようです。
現在通っているバヌアツの高校はイースター休暇に入り、息子は約2週間日本に滞在できます。私より先にまたバヌアツへ戻ることになりますが「日本にずっと居たい」と嘆くでしょうね。
彼にとったら今年最初で最後の日本生活です。
あのとき「タラレバ」
映画『La La Land』の再後半で、セバスチャンとミアが結ばれていた場合の「タラレバ」エピソードが展開されます。
人生は決断の連続で成り立っていて元には戻れません。
口に出してしまった途端
手に取ってしまった途端
足が一歩出てしまった途端
目を開けてしまった途端
後戻りできません。
サラセンで『プロポーズ あの日にかえって 断りたい』という名川柳がありましたが着手済みです。履行してしまいました。不可逆的です。私もだいぶ長く人間をやっているので様々な決断をしてきましたが「しまった!」と取り返しのつかない事も少々は…ですが覆水盆に返らずです。潔く進むか、火消しに追われるか、謝罪に明け暮れるか、相談先を探すか…。
しかしその場では「間違った選択をした」ことを大いに嘆くことになりますが長い目で見たらそれも教訓になっていたり、今の自分をつくりあげてくれた困難だったことも確かにあります(人生は短いからそんなことしてる時間が勿体ないけど)
塞翁が馬のパターンもあるので一喜一憂しないほうが良いのでしょうが。
息子の16年間に関して、私は親として「スタートラインに先ずは立たせなくては」と様々な決断をしてきましたが、多分「タラレバ」は一回も口にしたことはありません。
ここでは書ききれない色々な事がありました。語りだしたら千夜一夜物語じゃ終わりません。皆さんもそうだと思います。
1つ小噺するなら、息子は日本の中高一貫校に合格しておきながら1年で退学してしまいました。その時は最悪でも歩み出すとソコソコな結果になるので不思議です。これは宇宙の何かの法則でしょうか。進むうちに解決するのかな。
さて、『母をたずねて三千里』のマルコはイタリアのジェノヴァからアルゼンチンへと渡る旅ですが、その2ポイント間はやはり直線距離で12000キロらしいので三千里です。そうすると16歳の息子のバヌアツから日本までの直線距離は3480キロなので、13歳以下のマルコのほうが凄い旅です。
よく言われるのは、三千里という数値は文学的な表現や詩の中に使われがちで、厳密な換算ではなく感情や冒険の広がりを表現する手段とされています。