ダイバーシティ、差別と区別
これもグレーな話
ただ、センシティブな事を承知で書くと男女の区別などは、遺伝子が分けようとしているものなので、絶対的に存在すると考えている
しかし同時に遺伝子は、絶滅回避を目的に変化する為に組み換え可能な作りになっている
(遺伝子自体にそんな意思があるわけではないけど、生命体には生存本能や種の保存の欲求があるようなので、そう表現する)
つまり、イレギュラーは必要な事になるし、ダイバーシティは普通の事だ
この言い方が当事者を傷付けると言われるけど、本当は全員がダイバーシティの当事者だ
ただ有利な変異は才能と呼ばれるのに、不利だと障害と呼ばれがち
身内にも大なり小なりあるけど、受け止め方、受け入れ方は悩ましいところ
メンタル系となると、病院に行けば10人に1人は診断が付くと言われており、それはもう一周回ってただの個性では?と思うこともある
重度の認知症や脳性麻痺、双極性障害を見ていると、少なくとも軽い鬱位は、本人も周りも個性と思って受け止められるフレキシブルな社会にならないかなと思う
これは今の日本が特に窮屈なのかもしれないけど
ダイバーシティはLGBTや障害だけでなく、様々な他人を許容すること
仲良くする必要はなく、でも認めること
ただしそれは、そのまま認めるだけでなく、時に議論し、時に譲り合い、時に法でもって整理を付け、理解し合うこと
差別は理解なしの否定であり、区別は理解の上の整理と対応なのだと思う
前者はヘイトスピーチや隔離政策などであり、後者は医療者が症状に応じて治療方法を分けるようなものと言えば良いだろうか
自分がきちんと出来ているか、せめて努められているか、本当に難しい
実際にその立場にならないと分からないことはたくさんある
差別されたと怒ったり悲しんだりする前にも、相手を見つめ、自分を振り返る必要がある
余裕があれば出来るかと言えば、お金に余裕があろうが、時間に余裕があろうが、残念なことにダメな人はダメである
結局、故の無い差別を故が無いと自ら気付く思考こそ、大切なのだと思う
いや、本当に難しい…
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